第13話:『鳥もち地獄と屈辱の遊戯』
私の作戦、『鳥もち地獄と屈辱の遊戯』は、直ちに実行に移された。
まず、工兵部隊と、駐屯地にいた数少ない錬金術師たちが招集された。私の指示は、極めて具体的かつ悪趣味だった。
「松脂と、この地方で採れる粘着性の高い樹液、そして少量の魔法触媒を混ぜ合わせ、絶対に乾かず、そして絶対に剥がれない、超強力な接着剤を作ってください。それを、森の中の、敵が必ず通るであろう獣道に、巧妙に偽装してばら撒くのです。そう……まるで、ただのぬかるみのように」
工兵隊長は、「軍師殿……えげつないことを考えなさる」と顔を引きつらせながらも、私の完璧な指示書に従って、部下たちに作業を開始させた。
次に、私はグレイグに選抜させた、足の速い兵士たちを集めた。
彼らに渡したのは、一枚の羊皮紙。そこには、私が知る限りの、ありとあらゆる煽り文句を凝縮した、『対剣聖用・悪罵リスト』が記されていた。
「いいですか、皆さん。あなたたちの任務は、戦うことではありません。敵の『剣聖』様を見つけたら、このリストに書かれた言葉を、できるだけ腹の立つ言い方で叫びながら、全力で逃げることです。彼を、私たちが用意した“舞台”まで、エスコートして差し上げるのです」
兵士たちは、リストに書かれた「剣聖殿は飾り物!」「王都の酒は美味かったか、腑抜けの英雄殿!」といった過激な文句を見て、ゴクリと喉を鳴らした。
数日後、準備は万端に整った。
そして、『剣聖』ハヤトは、面白いほど簡単に、私たちの仕掛けた挑発に乗ってきた。
「臆病者が! 逃げるな、帝国軍の犬ども!」
森の中に、ハヤトの怒号が響き渡る。
彼の前では、帝国兵たちが散発的に矢を放っては、悪罵を叫びながら蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
「その程度の速さで、俺から逃げ切れると思うなよ!」
プライドをズタズタにされたハヤトは、完全に頭に血が上っていた。もはや、周囲への警戒など微塵もない。ただ、目の前で自分をコケにする卑怯者たちを叩き斬ることしか、彼の頭にはなかった。
そして、彼はついに、運命の獣道へと足を踏み入れた。
ザリッ、という嫌な感触と共に、彼の足が止まった。
「……ぬ?」
ただのぬかるみだと思った地面が、彼の軍靴にねっとりと絡みつき、抜けない。
「なんだ、これは!?」
彼が力任せに足を引き抜こうとした瞬間、バランスを崩して手をついた。その手もまた、粘液質の地面にべったりと張り付いてしまう。
「くそっ!」
もがけばもがくほど、偽装されていた落ち葉や土の下から、黒く、ねばつく「鳥もち」が姿を現し、彼の鎧や手足に無慈悲に絡みついていく。
「……さて、と。そろそろ、観劇の時間と参りましょうか」
私は、あの豪華絢爛な輿の上から、遠見の魔法鏡でその一部始終を眺めていた。
赤い帳の隙間から、私は高らかに命令を下した。
「全軍、前へ。ただし、矢の届かぬ安全な距離を保つこと。決して、攻撃はしてはなりません。……王国の英雄殿の、無様な姿を、とくと拝見するといたしましょう」
私の命令一下、帝国軍の兵士たちが、ぞろぞろと森の中から姿を現した。
彼らは、泥と鳥もちにまみれ、身動き一つ取れなくなった『剣聖』を、遠巻きに取り囲んだ。
ハヤトは、屈辱に顔を真っ赤に染めて叫んだ。
「き、貴様ら! 俺を誰だと思っている! このアルカディア王国の剣聖、ハヤトだぞ! 卑怯な真似をせず、正々堂々、この俺と戦え!」
その叫びに応えたのは、剣ではなく、一人の吟遊詩人だった。
私の指示で待機していた彼は、リュートを奏でながら、即興で歌い始めた。
「♪ああ、哀れなるは剣聖様~♪
自慢の剣は鞘の中~ 泥にまみれて動けない~♪
王都の美女はどこへやら~ 今宵の相手は鳥もちだい~♪」
そのふざけた歌に、帝国兵たちの間から、こらえきれない笑い声が漏れ始めた。
クスクスという笑い声は、やがて、腹を抱えての大爆笑へと変わっていく。
「ひ、卑怯者ォォォォ!」
ハヤトの絶叫は、もはや悲鳴に近かった。
仕上げに、私はセラ副官に合図を送った。
セラは、子供が石を投げるように、小さな水筒を、ポン、とハヤトの兜に当てた。カン、という軽い音。それは、何のダメージもない、ただの嫌がらせ。
だが、その一撃が、ハヤトの心を完全に折った。
彼は、最強の剣聖。無敗の英雄。
その彼が今、泥人形のように無様に固められ、敵兵に笑われ、子供の悪戯のような攻撃でコケにされている。
これ以上の屈辱があるだろうか。
やがて、ハヤトの援護に来たのか、森の奥から『聖女』マリアと思しき一行が現れたが、彼らもこの異様な光景を前に、迂闊に近づくことができない。
私は、変声器を通して、最後の言葉を戦場に響かせた。
「……さて、剣聖殿。今日の遊戯はこれにてお開きといたしましょう。その無様な姿、我が帝国の兵士たちの良い笑い話になりました。……もう間もなく日も暮れましょうが、今宵はゆるりと泥遊びを楽しんでいかれるといい」
その言葉を最後に、帝国軍は潮が引くように、整然と撤退していった。
残されたのは、泥と屈辱にまみれ、プライドをズタズタに引き裂かれた、一人の元・英雄だけだった。
輿の中、私は赤い帳の奥で、満足げに微笑んでいた。
(ふっふっふっふ……。どうです、これが私のやり方ですよ、剣聖様? これであなた、しばらく私の顔を思い出すだけで、夜も眠れなくなるんじゃないかしら?)
私の小悪魔的な笑いは、誰にも聞こえることはなかった。




