第132話:『北の工房と鉄の心臓』
王都が新生王国の誕生に沸き立つ頃。
帝国の北、峻険な山脈の懐では全く別の革命が、マグマのように熱く、静かに進行していた。
『帝国軍・技術研究局』。
その巨大な工房は、もはや眠らない巨人だった。
谷間に響くのは、昼夜を分かたず鋼を打つ甲高い槌音。職人たちの怒声。そして時折、試作品が引き起こす盛大な爆発音。鼻をつく鉄と油の匂いが、工房の熱気とともに立ち込めている。
その熱狂の中心に君臨するのは、局長のマキナだ。
目の下には深い隈が刻まれ、油と煤に汚れた作業着はもはや元の色を失っている。だが、その瞳だけは飢えた獣のように爛々と輝いていた。ここ数週間、彼女がベッドで横になった記憶はない。
片耳には『囁きの小箱』。リナが主導する『経済特区』の都市設計会議が、遠い王都の喧騒を運んでくる。
「だから、その下水管の勾配じゃ逆流するって言ってんだろ! 図面を引き直せ!」
「素材は鉛じゃない、陶器製だ! 耐久性が段違いなんだよ!」
技術顧問として参加する彼女の鋭い指摘に、受話器の向こうで専門家たちが呻く声が聞こえた。
そしてもう一方では、人類史を塗り替える発明に心血を注ぐ。
『蒸気トラック』。
その心臓部たる『蒸気エンジン』の小型化と安定化には、既に目処が立っている。問題は、この荒ぶる鉄の心臓が生み出す力を、いかにして御し、大地に伝えるか。
「――違う! 車軸と車輪の連結はもっと柔軟にしろ! そんなガチガチの構造じゃ、石ころ一つで空中分解だ!」
帝国中から集められた最高の馬車職人たちを前に、マキナの檄が飛ぶ。
彼女の頭の中には、前世の「自動車」の基本構造が鮮明に焼き付いている。だが、それをこの世界の技術でゼロから再現するのは、神の設計図を盗み見るにも等しい所業だった。
「局長! その『ハンドル』とやらを回しても、前輪が思うように曲がりません!」
「アッカーマン・ジャントー機構の計算が甘い! いいか、内輪の切れ角は外輪より大きくするんだ! 図面を見ろ、ここに書いてあるだろうが!」
「『ブレーキ』の摩擦力が足りません! このままでは丘一つ下れませんぞ!」
「ドラム式の構造を理解しろ! てこの原理を応用すれば力は何倍にもなる! いちから勉強し直すか、あぁ!?」
答えを知るがゆえの苛立ちが、言葉の端々に滲む。
職人たちは、彼女の口から奔流のように溢れ出す未知の理論に戸惑い、反発し、やがてその天才的な発想に心を奪われていった。
「……なるほど……車輪と車体を『バネ』で繋ぐ…。これで衝撃が直接伝わらなくなるのか……!」
「歯車の組み合わせで速度を変えるだと…? なんてこった…画期的すぎる…!」
最初は「小娘の戯言だ」と油の染みた髭面でせせら笑っていた頑固な親方衆の目が、日を追うごとに変わっていく。疑念は驚嘆に、そして畏敬に。やがて、共に歴史を創るのだという熱狂の光が、その瞳に宿り始めた。
マキナは、彼らの職人としての魂に火をつけたのだ。
そして、ある風の強い午後。
工房の広い敷地に、一台の奇妙な塊が引きずり出された。
頑丈な馬車の台車を土台に、荒々しくゴム状物質が巻かれた四つの木製車輪。その前部に鎮座するのは、鈍い黒光りを放つ小型の蒸気エンジン。
不格好で、無骨。
だがそれは、紛れもなく自らの力で走るために生まれた『鉄の馬』だった。
「――よし、火を入れろ!」
マキナの号令が飛ぶ。職人が炉に魔力を帯びた石炭をくべると、ボイラーのゲージが意思を持ったようにみるみる上昇していく。
しゅごごごごご……。
鉄の心臓が、重々しい産声を上げた。
マキナは自ら運転席に飛び乗ると、剥き出しの鉄のレバーを握りしめる。振り返り、集まった職人たちの顔を見渡して、ニヤリと笑った。
「――歴史が動くぞ、お前ら! しっかり目に焼き付けとけ!」
彼女がクラッチを繋ぎ、足元のペダルを踏み込む。
ゴゴゴゴゴ……!
ガクン、と全身を殴りつけるような衝撃。
鉄の馬はゆっくりと、しかし、確かに前へ進み始めた。
一メートル。
五メートル。
十メートル。
軋む車輪、噴き出す蒸気。その速度は次第に上がり、やがて人が全力で走るよりも速く、土煙を巻き上げながら敷地を駆け抜けていく。
「「「――うおおおおおおおおおおっ!!!」」」
見守っていた職人たちから、地響きのような歓声が爆発した。
油まみれの帽子がいくつも宙を舞い、がっしりとした肩がぶつかり合う。年老いた鍛冶師が、その場にへたり込んで顔を覆った。誰もが、今目の前で起きている奇跡に言葉を失っていた。
マキナは、頬を叩く風を受けながら、心の底から笑っていた。
最高に、楽しい。これだからモノ創りはやめられない。
(……リナ。あんたが望んだ未来の、第一歩だぜ……!)
それはまだ、ガタガタとやかましい鉄の塊に過ぎない。
だが、その小さな一歩がやがてこの大陸の全てを変える革命の始まりとなることを、その場にいた誰もが肌で感じていた。
(……さて、次はこいつにでっかい荷台をこしらえてやるか!)
風を切る鉄の馬の上で、マキナの危険な好奇心は、まだ燃え上がったばかりだった。




