第124話:『王国の礎』
王都の古寺院。その最奥、ステンドグラスから射す光が幾筋もの塵を照らす静謐な一室で、聖女マリアは一人の男と向き合っていた。香の匂いが満ちる中、男は静かに佇む。顔に刻まれた深い傷跡は、彼がくぐり抜けてきた戦場の記憶を雄弁に物語っていた。しかし、その身に纏うのは質素な衣服のみ。腰に剣の一本すら差してはいない。
「――お初にお目にかかります、聖女様」
男の低い声が、冷たい石床に響いた。
「本日より新生王国傭兵ギルド、初代ギルドマスターを拝命いたしました、“グレイ”と申します」
かつてガスパロ・バルボと呼ばれた男は、その名も過去もすべて異国の土に埋め、深く、深く頭を垂れた。
「ええ。顔をお上げなさい、グレイ」
マリアの声は聖母のように慈愛に満ちていたが、その紫紺の瞳は一切の感情を映さず、男の魂の底まで見透かすように細められていた。
「さて。ギルドマスターとしての最初の仕事、分かっていますわね?」
「はっ。先の戦で散り散りになった傭兵たちの掌握。そして、彼らがこの国で無用な騒乱を起こさぬよう管理すること。……心得ております」
「よろしい」
マリアは白魚のような指先を組み、満足げに微笑んだ。
その謁見が行われている裏側で、王国の夜はざわめき始めていた。
各地の酒場や宿屋。薄汚れたランプの灯りの下で、『影の部隊』の囁きが燻る火種のように広まっていく。
「おい聞いたか? 王都に新しい傭兵ギルドができたらしい」
「頭はあのガスパロ……いや、今は『グレイ』と名乗っておられるとか」
「聖女様と新王陛下のお墨付きらしい。きっと仕事も報酬も、ヴェネーリアの頃とは比べ物にならんぞ」
その噂は、行く当てを失い野盗に身を落としかけていた傭兵たちの耳に、乾いた大地に染み込む慈雨のように届いた。一人、また一人と、錆びかけた剣を再び磨き、希望を胸に王都へと足を向け始める。
天翼の軍師が描いた絵図の通りに、力は静かに、だが確実にグレイの元へと集束しつつあった。
◇◆◇
同時刻。王都の練兵場は、乾いた土煙と汗の匂いに満ちていた。
「たるんどるッ! それでも国王陛下をお護りする衛士か!」
ライナー・ミルザの怒声が、鈍い剣戟の音を切り裂いて響き渡る。
就任以来、彼は一日も休むことなく軍の再建にすべてを捧げてきた。腐敗した上官を罷免し、実力ある若手を引き上げる。旧式の訓練を廃し、帝国式の合理的な戦闘術を導入する。その急進的な改革は、旧体制に巣食う者たちからの激しい反発を招いていた。
「ライナー衛士長! あなたのやり方は横暴すぎる! 我らには我らの伝統が……!」
古参の騎士隊長が、訓練を中断させてまで食ってかかる。
ライナーは冷然と彼を見据えた。
「伝統、か。その伝統とやらが、先の敗戦を招いたのではないのか」
「なっ……貴様!」
「口先だけでは何も変わらん。――剣を取れ。貴様の言う『伝統』とやらが、俺の『改革』に勝るというのなら、その剣で証明してみせろ」
夕暮れの光が差す練兵場の中央で、二人は対峙した。騎士隊長が誇らしげに構えるのは、華美な装飾の長剣。対するライナーの剣は、実用一辺倒の無骨な一振り。
観衆の息を飲む気配の中、先に動いたのは騎士隊長だった。伝統の剣技とやらは、確かに華麗な軌跡を描く。だが、ライナーの目はそのすべてを見切っていた。
キンッ! 甲高い金属音。
ライナーは最小限の動きで剣を受け流すと、一瞬で相手の懐に踏み込む。剣の柄頭が、騎士隊長の鳩尾にめり込んだ。
「ぐっ……!」
呻きと共に崩れ落ちる巨体。ライナーは返す刃で喉元に切っ先を突きつける。勝負は、わずか一合で決した。
「これが現実だ。戦場に美しさなどない。あるのはただ、生きるか死ぬか。そのために不要なものを削ぎ落とし、ただひたすらに勝利を求める。それが俺の信じる強さだ」
ライナーは冷たく言い放ち、剣を収めた。静まり返った練兵場で、兵士たちの見る目は明らかに変わっていた。反感は、畏怖と、そして確かな信頼へと。
その夜、新王アルフォンスの執務室。
ライナーは山のような書類の束を王の前に差し出した。軍改革の初期案だ。
アルフォンスはそれに目を通し、感心したように頷いたが、ふと顔を上げた。
「素晴らしい計画だ、ライナー。だが、今の君の『衛士長』という立場では、他の者たちの反発も大きいだろう」
的確な指摘に、ライナーはぐっと言葉に詰まる。
すると、アルフォンスは悪戯っぽく口の端を上げた。その表情に、どこかあの小さな軍師の様な趣が感じられた。
「――そこで、だ。ライナー・ミルザ」
王は立ち上がると、印璽が押された一通の勅令をライナーに手渡した。
「本日をもって、貴官を『王国軍・最高司令長官代理』、及び『軍制改革・全権委員』に任ずる!」
「……っ!」
「つまり、これよりこの国の軍に関する全権を、一時的に君に一任する。反対する者は王命に背く者として私が裁く。……これで文句はでまい?」
それは、国王からの絶対的な信頼の証。
ライナーは震える手で勅令を受け取ると、その場に膝をつき、深く頭を垂れた。
「陛下……このライナー・ミルザ、この命に代えましても……!」
「ああ、頼んだぞ」
アルフォンスは彼の肩を力強く叩いた。
そして王の布告が、瞬く間に王国全土に発せられた。
『新生王国軍、兵士を広く公募す』
元傭兵であろうと平民であろうと構わない。しかし、その門は極めて狭かった。
剣の腕前や体力以上にライナーが求めたのは、その者の『魂の在り方』だった。
なぜ兵士になるのか。誰のために剣を振るうのか。
その問いに、己の言葉で答えられぬ者は、どれほどの腕自慢であろうと容赦なく門前払いとされた。
それでも、門を叩く者は後を絶たない。新しい時代を自らの手で創りたいと願う、熱い志を宿した若者たちが、王国中から集まり始めていた。
ライナーは、彼らの真っ直ぐな瞳の中に、かつて自分が失いかけていた希望の光を見出す。
新生王国の礎は、一人の不器用で実直な男の手によって、静かに、しかし確実な熱を帯びて築かれていこうとしていた。
↓ネタばれ満載?あとがきはこちら。
【あとがき集】天翼の軍師様は作者に物申したいようです
話題目の後ろの数字は、対応する話数です。本編を先にお読みくださいませ。




