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悪女エリザベートによる軌跡  作者: 無位無冠
もう振り返ることはしません
18/26

祈念

 馬車の中では、エリザベートからさらなる追求を受けることはなかった。視線を外に向けて、一度もヴィルマを見ない。ヴィルマをまるでその場に居ない者の様に扱っている。


 ヴィルマにとって、それは恐怖でしかなかった。姉の庇護を失えば、ウィケッド一族内での立場がなくなってしまう。父が健在であるうちは守ってもらえるだろう。しかし、世代交代するころには、一族は姉の取り巻きたちが当主を務めることになる。

 もしお見合い相手のスフォルツァ伯爵家に嫁いだとしても、有形無形の圧力が与えられてしまう。最悪ともなれば離縁され、ウィケッドに戻ることも出来ずに路頭に迷うことになるかもしれない。


 沈黙だけが続き、嫌な未来を否応なく想像してしまう。


 罪人が投獄される監獄が、貴族街から遠いのが恨めしい。狭い空間で、黙ったままの姉とともにいるのが耐えられなかった。だが、姉に話しかけるのは怖くてとてもできない。


 きりきりと胸が痛む。いっそ倒れてしまえたらどんなに楽だったろう。でも、そんなことになったら、本当に見捨てられるかもしれない。


 どうして良いかわからずに、小さくなっているしかなかった。


 しばらく経つと、ようやく監獄に到着した。息をつく暇もなく、エリザベートは侍女のヨハンナと護衛を引き連れて監獄へと入っていく。

 ヴィルマもその後に続くが、背後の護衛から監視しているというのがひしひしと伝わってくる。


 一室に通されると、そこにはすでに父と叔父たちが待っていた。


「早かったな、お前たち」


「お父様こそ。王宮でのお仕事は放り出されたのですね」


「それでも、殿下たちのほうが早かった」


 残念とばかりに首を振る父。跪いている叔父たちは沈痛の面持ちをしている。


「申し訳ありません。ウィリアムに抵抗され、見回りをしていたエイチンクの騎士に見つからなければこんなことには……」


「叔父様、一体何があったのですか。暗殺犯を捕まえたと聞きましたが」


「はい。我らは平民街のはずれで暗殺犯を発見しました。数日の監視で、潜伏先などを調べ上げて捕縛に赴きました」


「そのときに本家に一言でもあれば良かったわね。そうすれば、私たちはここまで来ることなく、屋敷で処理できたと言うのに」


 エリザベートの一言に、叔父の固めているこぶしが震える。


「申し開きもございません。我らの恥辱をそそがんとする気持ちが先走り、ご迷惑を……」


「あらそうなの。てっきり殿下に介入させるためだと思っていたわ」


 ヴィルマが肩をびくっと震わせる。叔父は、跪いたまま深く頭を下げた。


「エリザベート。こやつらをそういじめるな。殿下の介入を図るなら、こんな迂遠な真似はせん。お前もわかっておろう」


「そうですわね、お父様。お前たちも、気にせず続きを話しなさい」


「はっ。確実を期すため、潜伏先に戻ったところに突入、捕縛しました。しかし、そこには……ウィリアムもいたのです」


「おにい、いえ、ウィリアムがいたことは事前にわからなかったと?」


「はい。監視では外出したのは暗殺犯のみで、他に人がいるとは思いもしませんでした」


 叔父や従兄弟の様子から、嘘はついていなさそうだ。知っていて隠していたのではないというのは救いだった。


「ウィリアムが激しく抵抗したため、同様に捕縛しました。そこに、騒ぎを聞きつけた見回りの騎士がやってきて二人を奪われました」


「エイチンクの騎士と言ったわね。よりにもよってうちの威光も通用しない相手が来るなんて、偶然とも思えないわ」


「エイチンクもアルブレヒト陛下の失せ物を捜索している。こちらの動きから、何かあると勘付いたか……」


 父と姉が顔を突き合わせて、意見を出し合っている。


 王冠と王笏が行方知れずになっているのは、軟禁されているヴィルマの耳にも届いていた。元ドワルド領に持ち出されたと言われているが、未だ発見へと至っていない。殿下に味方する貴族たちが中心となって各地を捜索し、ウィケッド派は捜索を禁止されている。

 そのために、何かを探しているウィケッド一族の騎士と兵士が目についてしまった。


「尋問はこちらに任せてもらえるのですか?」


 エリザベートが父に質問する。


「殿下に先を越されたのが痛かった。尋問は許可できないと言ってきおったわ。偽装や口封じでも警戒しているのであろう。しかし、それはこちらにしても同様だ。なので、教会に主動してもらえるように手を打った」


「教会というと、マーロム司教に?」


「その通りだ。あの方なら、殿下も引き下がるし、こちらへ悪いようにもしないから大丈夫だ」


 姉が納得したとばかりにうなずく。ヴィルマにしたら、どうしてマーロム司教がそこまで信用されているかわからない。司教はラディスラウム殿下の叔父であるのだから、向こうの味方をするのではないのか。


 姉が雇ったと嫌疑をかけられた、ベンゼン家襲撃の主犯を取り調べたのもマーロム司教だった。身内の自分は疑われているというのに、敵対陣営の血縁を信じる二人に理不尽さを感じる。


「それでは、ゆっくり待つしかありませんね」


「だから早かったと言ったのだ。心配するな。ヘレーネの仇には必ず我らが裁きを下す」


「それに……ウィリアムも含まれるのですか、お父様」


 自分でも驚くぐらいの冷たい声であった。


「……無論、あやつが関わっていたのならな」


 父が厳しい顔をしてこちらを見てくるので、ゆっくりうなずく。叔父と従兄弟が心配げに見つめてくるが、安心させられるような心境ではなかった。


「礼拝所に行っております。構いませんか?」


「行ってきなさい。何かあればすぐに呼びに行かせるわ」


 父もうなずいてくれているので、ついてこようとする護衛を制して、部屋を出る。


 部屋を出たところで、ようやく父ではなく姉が許可をくれたことに思い至った。気遣ってくれたのかとも思ったが、もう戻る訳にはいかない。自分のいたらなさにため息を吐き、礼拝所に向かった。










 監獄の礼拝所は、教会と比べると随分と小さい。祭壇と左右に置かれた二台の長椅子があるだけで部屋が一杯になっている。


 祭壇に祈ることはせずに、長椅子に腰を下ろした。


 一人になりたかっただけで、祈りたくてここに来たわけではない。しばらくぼうっと神像を眺めながら時が過ぎるのを待つ。一族のことや兄のこと、考えないといけないのはわかっているが、何をしたところで良い方向に転がるとも思えなかった。


 そのとき、礼拝所のドアが不快な音を立てて開き、男の僧侶が姿を見せる。


「おや? 先客ですか」


 この小さな礼拝所に常駐する僧侶とは思えない立派な身なり。ドアの向こうには護衛と思われる教会騎士の姿も一瞬だが見えた。


 監獄に来る高位僧侶が誰か思い至り、ヴィルマは立ち上がって僧侶にお辞儀をする。


「お初にお目にかかります。私はウィケッド公爵が一子、ヴィルマにございます」


「ウィケッド公爵の子でしたか。エリザベート嬢には会ったことがありますが、確かに君とは初めてですね。私はマーロム、教会より司教の位を賜っている、ただの坊主ですよ」


 おちゃらけてただの坊主という姿に、ヴィルマは思わず笑ってしまった。


「あ! 申し訳ありません。失礼なことを……」


「いやいや。こちらも初対面でふざけてしまって申し訳ないことを。ささ、堅苦しくする必要はありません、そちらに」


 マーロムが着席を促してくれるので席につくと、マーロムももう一台の長椅子に座る。


「司教はどうして礼拝所に?」


「一仕事の前に祈りを捧げようと思いまして。神の前では全てを公平に扱わなければなりません。ですから、偏りがないように自分自身を戒めておくためですよ」


 殿下の叔父なのに信用されているのは、こういう方だからでしょうか。


 父や姉がどうしてマーロムを重用(ちょうよう)するのかわかる気がした。


「貴女もどうしてここへ?」


「私は……ただ一人になりたくて」


「そうですか。聞いておりますが、難しい立場に立たれているようですね」


「ええ。何をしても、悪くなるような気がしてしまうのです」


 まったくの初対面の人に何を言っているのだろうか。しかも、父や姉以外の一族がマーロム司教と接触したのを知ったら、またうるさくなるかもしれないのに。


「自分の知らないところで物事が動いて、どんどん悪くなってしまっている。もう、どうしていいのかわかりません」


「なるほど。でも、何もしない訳にはいきませんな」


 ヴィルマは弱々しく首肯する。マーロムも視線をヴィルマから祭壇へ向ける。


「聞いた話によると、スフォルツァ伯爵家のマクシミリアンと見合いをしたとか」


「はい。でもそれが――」


「私はしばらく王国を離れていたのですが、昔は王都の教会で修行していました。その頃、マクシミリアンは母親とともによく教会に祈りに来ていたので、あの子のことはよく知っています」


 マーロム司教はどうしてここでマクシミリアン様のことを……。


 聞きたいことはあったが、小さな頃のマクシミリアンのことを話すマーロムを遮るのは止めておいたほうが良さそうだった。遠い目をして、昔を懐かしむ様に語るマーロムを止めるのは無粋な気がしたのだ。


「そんなマクシミリアンではありますが、貴族社会ではあの子のことでスフォルツァ伯爵家は爪弾きにされてしまっている。理由は知っていますか?」


 急な話題転換に思考が追いつかない。慌てて首を振った。


 マーロムはそうだろうとばかりに大きくうなずく。


「マクシミリアンには父親がいない」


 そういえば、スフォルツァ伯爵家では、マクシミリアンと母親、伯爵家の当主である祖父との食事であった。父親がいないのは王宮で仕事に追われているのだろうと思ったが、確かに一言も話題に上らなかったのはおかしい。


「マクシミリアンの母、彼女は誰とも知れない男の子供を産んだと言われています。男については当時は色々と騒がれたものです。妻子ある貴族、平民、犯罪者。終いにはアルブレヒト陛下、兄上が父親なんてのもありました」


「……知りませんでした。父からは何も……」


 どうして父は教えてくれなかったのか。父だけではなく、姉や親族、侍女、家庭教師も知っていたはずだ。


「君は、スフォルツァ家を蔑視しますか?」


 貴族女性にしたら、恥ずべきことだ。でも、マクシミリアンの母親に後ろめたそうな様子はなかった。昔のこととは言え、今でも後ろ指をさされているだろう。それなのに、堂々とした高位貴族の振る舞いだった。それはマクシミリアンも同様だ。父も奥様も、スフォルツァ家の人たちを蔑んでいる様子は欠片(かけら)もなかった。


「……わかりません。スフォルツァ家の方々は……とても蔑視されているとは思えない様子でしたし……」


「その通りです。よからぬ男の子供を産んだのではないか。そんな男の血を引いているのではないか。そうした疑いを向けられながらも、彼女たちは気にもかけない。言いたい輩には言わせておけば良い。なぜなら彼女は愛する人の子供を生み、あの子は両親に愛されて生まれてきた。だから、二人は恥ずべきことは何もないと考えている。ただ……結ばれることができなかっただけだと」


 あらぬ疑いをかけられても卑下する必要はない。何もしていないのだから、胸を張っていればいい。


 そう、マーロムに言われているように思えた。


「上に立つ者は、前を向いていれば良いのです。私の甥や君の姉君も、王国に混乱をもたらしていても現状でも顧みることはしていない。君も、自分が正しいと思って行動しなさい。教師にも、そう教えられているでしょう」


「はい。ええ……そうですね」


 教師の教えもある。しかし、思い出されるのは姉の姿だ。疑いをかけられ、さらには少なくない恨みも買っているだろう。でも、自信を持って日々を過ごしている。

 そんな姉からしたら、びくびくと怯える自分はなんて愚かに見えたのだろう。


「貴族は先頭に立たなくてはならない。それが民を、一族を率いる者の責務。あなたも、堂々と信じた道を進みなさい。できることならば、マクシミリアンとともに……」


 マクシミリアン様はとても感じの良い、いい人だった。彼と一緒なら、自分も穏やかに過ごせるだろうと考えていた。でも、父親のことを考えるとそういうわけにはいかない。

 司教の話を聞く前ならば、自分の一族のことを考えて断っていた。いや、一族は関係なく、自分自身が尻込みをして父に断るようにお願いしていたはずだ。

 でも今ならば、自分にないものを持っているマクシミリアンが眩しく見える。彼と一緒に歩けるならば、前を向いて進むことができる気がした。


 ヴィルマは、マーロムにはっきりと首肯する。マーロムはうれしそうに笑った。


「それでは、私はもう行きましょう。心配しなくても、悪いようにはしませんよ」


 優しい笑みを浮かべて、礼拝所を出て行くマーロム。


 ヴィルマは、ドアが閉まるまで頭を下げて見送った。


「そういえば、司教はお祈りしなくて良かったのでしょうか」


 自分を励ましていたから、時間が押してしまってできなかったのだろう。


 ヴィルマは長椅子に座りながら、マーロムの分まで祈りを捧げた。

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