本が嫌いなこと
本を読むとしんどくなる、いわいる、本を読むという行為が終わった後、長い時間を意味もなく堕落して過ごしている。
本が嫌いなのは一冊の中に納まる程度のことしか自分が出来ていないという事実である、だれもが本を開くとき、同じようにしか読めないし、同じ程度の言葉しか喋れない、故に本が嫌いなんだ、本を読んだ時に同じ感慨や感想しか持てない、好きか嫌いか、その本自体を指標にして個人を別個にして扱う、本を作り続けてきたとき人間は本が大量の意味を持たされている、本の意味について考えることが多い。
本に力が無いのではなく、いや、思うことがあった、僕は海外の記事をいわいるAIを通して知らない間に読んでいるし、訳されて頭に放り込まれている、そういったことによって実はいろんなものがよこされているといっても過言ではないのかもしれない、けれど、僕らは本を読み続けるなら買って読むのがいいのかいろいろと考えることも多い。
本は嫌いだ、読んでいてもあまり面白くない、むしろ他人に本を渡すような意味が多い、好きになれるような本を読んだことがない、本が素晴らしいという人に出会ったこともない、本が嫌いだ、好みが無い、本の中にいわいる没入できるようなものがない、本を読むということはそのまま終われといわれてるようでもある、生きていて意味を感じることが少ないのと同じように本に意味を感じることが少ない、本の中には特段として何もないように感じる。
本を読むのがすばらしいことだと言えるひとはすごい人なのだろう、けれど僕は本を読んだとしてもすばらしいことにはなっていない、本が嫌いなのはそういった理由だけではないが、本を与えられた時に、もはやそれしか残っていないかのようないやな気持にもなる。
本が人格を形成したのだとしたら、本を読まない人間の人格とは何なのだろう?




