本が嫌いだ
本が嫌いな理由はなんだろうか、結末が決まっていること、ページを開くと続きであること、長く続いた挙句に元通りにはならないこと。
好きな理由のほうが少ない、本というものはいつだって要約されている内容だ、いわば実際に何かを試したということであっても、それを冷静になって考えてみて振り返って残したものである。
つまりその多くには本自体への熱量は割かれてるようで実際は物事の要約に過ぎないわけであり、どれだけ本が好きだと本を並べてみても正確にその本が好きなのかどうかはわからないのである、これはその本が好きだったのではなく、たまたま本が好きな環境に置かれていただけであり、実際には本がずっと好きである理由や所以が無かったのだと思う、僕は本が嫌いだ、その理由は作れないからである、本は作れない組み立てられないものだ。
むしろ本というのは未来に向けて描かれている、いわいる未来の無い人にとっては本はもう要らないのだ、紙の束であり文字の入力された示しではあっても、過去でしかないものを魅せれてもそれの価値をうまくはかり知ってみることがない、僕は本が苦手である、けど未来の人、自分より若い人にはその価値が分かるのだと思う、僕は本が嫌いなのだ、これは変わりようも換えようもない、本は大嫌いなんだ。
なんで本が嫌いなのか、なぜだろう、本が嫌いな理由ばかりを考えている、本で助かったという気分になったことがない、本からの複写でうまく何かが出来た試しがない、本で何かをできたという感覚がない、本が僕を助けてくれたという気持ちになったこともない、本は友達ではなく周りを敵ばかりに変えたように思える、それは僕が本と敵対しているからなのかもしれない、本はいつも僕を敵側に置いてくれた、故に僕は本の敵なのだ。
本が嫌い故に本の敵にしかなれないのだ。




