断頭台
**残酷な描写があります。ご注意ください**
「フィー!」
揺り起こされて目を開けるとそこにはヴィクタがいた。
顔を上げると額から汗が流れた。すがるように私は彼の手を取った。
「……ヴィクタ」
「酷くうなされていた。しかも、呪いの香りがする。大丈夫なのか?」
「夢に……キーラが現れました」
「キーラが?」
「やはり隷属の首輪をかけられているようです。それを取るのを手伝ってほしいとお願いにきたのです。自由にしてほしいと」
「夢渡りを使ったのか。あれは絆がないと使えない。フィーと神殿長の絆はまだ繋がっていたのだな」
そう言われると彼女が手に持っていたハンカチが頭に浮かんだ。
あれを渡した頃、確かに私は神殿長のことを母だと慕って疑いもしなかった。
あの頃の私は無邪気に何も知らず、人のためを思って生きていた。
「夢でしか自由な言動もできないと言っていました。……それから、彼女の上半身には、お、おびただしい……く、釘が……」
「フィー、わかったから、ゆっくりと息を吐くんだ」
ヴィクタに支えられて息を吐いた。あんなに刺されて、平気なはずはないのはよく知っている。どうしてアーノルドは、憧れでもあるエルフにあんなことをできるのだろう。
しばらくして息を整えると私は夢で聞いた話をヴィクタにすべて伝えた。
「キーラは特別な呪術を使ったのだな」
「魅了なんて初めて聞きました」
「人の心に影響する呪術は不安定だからな。思い通りに作用しなかったのだろう」
キーラはただ愛されたかっただけ。
私の指輪を見た時のキーラの顔が忘れられない。
きっとそれは彼女が喉から手が出るほどに欲しかったものに違いない。
もしも私が同じ立場だったら……。
愛を得るために、何だってしてしまうかもしれない。
ヴィクタの温もりを、愛情を知ってしまった今はキーラが求めた愛を愚かだと笑うことはできない。
けれど人の心は他人が操作していいものではない。
彼女は身をもってそれを知ることになってしまったのだ。
「もう、終わりにしましょう」
「そうだな、フィー。モモを取り返し、キーラを解放しよう」
涙が零れた。
神殿長に対してどういう気持ちでいていいのか答えが出せない。
母だと慕い、尊敬し愛していた。その想いの深さだけ、裏切られた、どうしようもない気持ちが募る。
彼女が聖女にしてきたことを思うと、簡単に同じロッド王家の被害者だと片付けられない。
「心が、痛むのです。ヴィクタ……」
彼はなにも言わず私を抱きしめてくれた。
どちらにせよ、キーラは現実世界では私たちの味方にはなれない。
私とヴィクタは明日に備えて準備を済ませた。
そうして迎えた約束の時間は夜中だ。
キーラに言われたとおり、逃走用の馬車を準備して礼拝堂の裏に向かった。
将軍にも相談して、知らないふりをしてもらった。将軍は裏手の巡回を減らそうかと提案してくれたが、変化が起きれば不審に思われるかもしれないのでそのまま通常通りにしてもらった。
もちろんヴィクタがこっそりとついてきてくれていた。
ロッド国の王宮はレリア軍に制圧されて空っぽの状態になっていた。
幾重にもかけられていたシールドももう見る影もない。
それなのに礼拝堂だけは厳重に守られていて、誰も侵入できそうになかった。
指定された礼拝堂の裏はそれを見張るレリア軍からは死角になる。
きっといつでも逃げ出すことのできるようにと逃亡できるルートをもっているのだろう。
閑散とするその場所に足を踏み入れて、私は時間がくるのを待った。
「こんな時にも黒い衣装できたのか。墓場によくお似合いで」
そうして珍しく時間通りにきたアーノルドに声をかけられた。彼は私の魔法で顔が半分ただれたままだった。きっと体の治癒を優先させたのだろう。長いコートを羽織り、松葉杖をついている。
「あなたの知っている大聖女は死んだのです。黒はおあつらえ向きでしょう」
「いいや? 首を切るはずだったのに逃げたんだ。目の前のお前の首は繋がっているじゃないか」
アーノルドはニヤニヤと私を見て言っている。
含みのある言い回しに嫌悪感が募る。
「モモはどこなの?」
「お前の大事な世話係はあそこだ」
アーノルドが指さした先には断頭台があり、そこには頭を乗せられたモモがいた。刃が落ちるロープは親衛隊の一人が握っていて、キーラ、その隣でジェシカが下を向いて目を背けていた。
「モモ!」
「フィ……フィーネさま……」
「もともとはお前の首を落とすはずだったんだ。かわいそうになぁ」
心底楽しそうに言うアーノルド。いつも、どうしようもないと思っていたが、本当にろくでもない人間なのだと思い知らされる。
私を貶めるためにはなんだってやるつもりなのだろう。
ふう、と息を静かに吐く。
「逃走用の馬車は取引の材料ではなかったの?」
「ははっ、あんなの、信じたのか? お前がひとりでくるならそれでいい。逃げようと思えばいつだってできるさ」
「国王も王妃もレリア軍に捕まっているのよ? 国王はあなただけでも助けてくれと嘆願しているのに」
「父に感謝しろって? 俺が? 俺が助かってロッド国を盛り返す方が王も本望だろうさ」
「簡単に両親も捨てるのね」
「尊い大聖女様はただの世話係のために体を張るのにな。まったく俺にはできない崇高な精神だ。さて、あの世話係が助かるにはお前の首を差し出すしかないぞ?」
「ほんとうに、あなたってどうしようもなく残忍なことを思いつくのね」
「大聖女にお褒めいただけて光栄だな。で、どうする?」
「ジェシカ、あなたこんなことをする男をまだ愛し続けるの?」
不意に私から声を掛けられるとは思っていなかったのかジェシカがびくりと肩を震わせた。
「わ……私は」
「目の前で罪もない同胞が首を刎ねられるのを見ているつもり?」
ジェシカを揺さぶると彼女は目に見えて動揺していた。
「黙れ、フィーネ、お前は死んでいたはずの人間なんだ!」
「アーノルドを治癒するのは大変だったでしょう? 自分の命が吸われる気持ちは味わえたかしら……それとも、それすらまともにできなくてモモに代わってもらったのかしら」
「う……、でも、だって……」
「黙れ! 今すぐ世話係の首を刎ねさせるぞ!」
アーノルドの怒声が飛んできて私は言葉をのんだ。
「……わかったわ。私が代わるからモモを離してあげて」
私がそう言って断頭台の方に歩き出すとアーノルドは面白そうにそれを見ていた。
ジェシカは耐えられなかったのかグスグスと膝を突いて泣き出してしまった。
後ろにいた親衛隊の二人が出てきてモモを断頭台から外した。
「最期に抱きしめるくらいさせてくれるでしょう?」
私がそう言うとアーノルドが親衛隊に顎をしゃくって了承した。
「フィーネ様……だめ、ダメです。もう、もう一度、わたしが」
抱擁して頭を撫でていると、抱き着いたモモが泣きじゃくった。
「怖かったでしょう、モモ。大丈夫だからね」
「おい、もういいだろう、フィーネの頭をのせろ」
モモから離した私を親衛隊が抱えて立ち上がらせる。
同時に私の腕を両側からつかんでいた親衛隊が二人ドサリ、と倒れた。
「え」
あまりの素早さにアーノルドが驚いたまま目を見開いていた。
「ヴィクタ。ありがとう」
私はモモを立たせて後ろにさがる。私をかばって前に出た銀髪の青年を見てアーノルドが息をのんだ。
「あの時のエルフ……なんで、お前が……。それに、この場所はフィーネしか入れないように細工を……」
「エルフの魔法を元にしたシールドの魔法陣の書き換えなど同族にとっては造作もないことだ」
「心臓に釘を打っていたんだぞ……」
「私の命は大聖女様に助けていただいたのでね」
ヴィクタがそう言うとアーノルドは羽織っていたローブをぶるぶると右手で掴んだ。
「フィーネは死にかけて、もう治癒力は……」
「きれいに抜いてくれたよ」
「くそっ……」
「お前の相手は私だ」
ヴィクタが炎の剣を構えた。
それで合点がいったのか、アーノルドの顔がますます歪んだ。
「ハッ! そうか、お前だったのか、ドリス=ヴァン」
その時、アーノルドが羽織っていたマントをバサリ、と脱ぎ捨てた。
ガキン!
中から出てきた黒いものにヴィクタが即座に反応する。
「お前のそのすました美しい顔を俺と同じように血まみれにしてやる!」
アーノルドの左腕からビュッ、と黒いものが飛び出したのが見える。
あれが……魔獣を移植した腕……。
見たことがある黒い……そうだ、ご神体だ。
それはブクブクと膨れ上がったり、そこから刃物のような爪が出てきたりしていた。




