夢渡り
その夜……私は夢の中で神殿長に会った。
彼女はかつて私が母と慕っていた頃にプレゼントしたことのある、刺繍の入ったハンカチを持って現れた。
夢であるとわかっているのに、目を覚ますことはできないという不思議な感覚だった。
神殿長は私の目の前でその姿をキーラに変えた。
金髪にブルーの瞳、耳が尖っている彼女はとても美しいエルフだった。
アーノルドが憧れる気持ちがわかる。
いや、歴代の王族の王妃を思い浮かべるとみんな彼女に傾倒していそうだ。ジェシカも現王妃もどこか彼女のレプリカのようだった。
「この姿では、初めまして。ね、フィーネ」
本来の話し方はこうだったのか、少し早口でキーラはそう言った。神殿長としてのゆっくりした口調は演技だったのかもしれない。
「あなたのことは神殿長と呼べばいいのですか? それともキーラ?」
私がその名を出すとキーラは少し動揺した。
「なぜ、知っているの?」
「王が自白したのもありますが……」
私はキーラに自分のエルフの指輪を見せた。
「そう、だったのね。あなたはエルフと真実の愛で結ばれたのね。なるほど、だから死を回避できたのね」
複雑そうな顔でキーラは私の事情を察したようだった。
「……あなたがどこまで知っているかはわからないけれど、私は元エルフのキーラ。ここにはお願いがあってきたの」
「お願い?」
「あまり時間がないから簡単に説明するわ。私は魔道具でアーノルド様に隷属させられている。今、あなたの夢の中に入ったのは、モモを引き渡す代わりにアーノルド様を逃す手伝いをすることを交渉するため。けれど、アーノルド様は知らない。夢の中なら、私の言動は自由になるということを」
「え?」
「フィーネ、私にかけられた隷属の首輪を外す手伝いをして欲しい。百五十年前から代々ロッドの国王に奴隷として従わされていたの。もう、自由にしてほしい」
「奴隷?」
「少し、昔話をするわ。百五十年ほど前、私は恋をした。その人はロッド国で毒と魔獣の研究をしていた王弟なの。私もエルフの国を出て同じ研究をしていたから接点があって、知り合っていくうちに彼のことがとても好きになったの」
キーラの話はアテナが言っていた話を詳しくしたものだった。
「私は彼と結婚することを望んで……でも、森の神には祝福されることはなかった。今思えば、彼がそれほど私のことを愛していなかったのだから当たり前だったのだけれど、当時はそれでもいいと思ったの。きっといつか私の愛が彼に伝わるって信じていた……」
そこでキーラは自分の首を探る仕草をした。すると黒い色の首輪が出現した。あれが隷属の首輪なのだろう。
「バカな私はいつまでも愛してくれない彼に業を煮やして魅了の魔法を使うことにした。けれど、その時にはもう彼が私を王に売った後だったのよ。エルフの国を追放されたエルフは記憶の一部と魔力を森の神に返却するの。僅かに残った魔力をすべて魅了に変えてしまった私は、よりにもよって魅了の魔法を王にかけることになってしまった」
「それだったら大事にされたのでは?」
思わず聞くとキーラはゆっくりと首を横に振った。
「愛のない魅了は執着でしかなかった。いえ、王は私を愛していたのかもしれない。けれど私は王を愛することはなかった。皮肉にもそれが原因で王弟は殺され、そして彼がしていた研究を私が引き継ぐことになった」
「王弟がしていたのは聖女と毒の関係の研究だったのですね」
私の言葉にキーラは頷いた。
やはり、キーラは聖女の研究をしていたのだ。
「聖女の治癒の力を増幅できることを知ると、戦争狂いの王は国内各地から治癒ができる子供を集めて戦争に明け暮れた。そうして私は聖女を幼いころから『母』として慕うように育て、兵士の治癒の道具にした。私がしてきたことは罪が重すぎる」
「わかっていたのに、どうして止められなかったのですか!」
思わず叫んだ私にキーラの顔は歪んでいた。これでは死んでいった聖女が悔やまれてならない。
「首輪がある限り、私は王家の指示に逆らうことはできないただの人形。王家は私の支配権をその子供に譲渡してきた。私は死ぬことさえ選べない」
次に彼女は服のボタンを外して私に見せた。
「アーノルド様は幼いころから私に興味があった。そして、エルフをたくさん従わせることができたら、世界を支配できると信じている」
息ができない……そこにはおびただしい数の釘が胸に刺さっている。
あの時ヴィクタの動きを正確に塞げたのは、すでにそれを試していたからなのだ。
「アーノルドはあなたに憧れているのではなかったの?」
「私が使った魅了は呪いのように変化し……ロッド王家を歪ませた。様々な要因が絡まって、もう再生は不可能だと思う。悪しきものを断ち切ってほしい。こんなことを頼んでごめんなさい。フィーネ」
「呼ばないで」
母と慕っていた頃のようにキーラが私の名を呼ぶ。心が乱れ、混乱してしまう。
「あなたは今までの聖女の中でも抜き出ていた。大聖女にふさわしく、カリスマと力を持っていた特別な子。そして……森の神に祝福された奇跡の人間」
「そんなことを言われても」
「母と呼ばせた私とて、娘たちの命を削る手助けはしたくなかった。毎日が地獄だった。いくらエルフが長寿で人の死を目の当たりにしてきたとしても、娘を亡くすのはつらい」
「嘘よ、私のことを塔に閉じ込めようとしたのに」
「ごめんなさい」
謝られても、どうしていいかわからない。
裏切られて、信じられなくなっているのも確か。そして、自分の意思すら取り上げられているなら、キーラも本当は被害者だ。
「いまさら、謝らないで」
「フィーネ……許してもらおうなんて思わない。でも、これ以上私がアーノルド様に加担しないように助けてほしい」
「話だけは聞きます」
「ありがとう。モモを使った取引が成立したとアーノルドに思わせて。そして指定する時間に、目くらましの魔術がかかった逃亡用の馬車を用意して礼拝堂の裏手にきてほしい」
「モモは、無事なのですか?」
「ええ、無事よ。アーノルド様はジェシカに治癒するように言ったけれど、今までそれをさせてこなかったからジェシカは治癒の力が上手く使えなかったの。だから代わりにモモが治癒している。あなたをおびき寄せるまでは酷い扱いはしないでしょう」
今までアーノルドはほとんど私からしか治癒を受けてこなかったのだ。きっとジェシカの力だと思うように治癒できないことに気づいたのだろう。
「夢から出れば私はアーノルド様に従う人形に戻る。取引は建前で初めからアーノルドはモモを使ってあなたの首を切るつもりで断頭台を用意している。だから、そのつもりで対策してほしい」
「なっ……」
「礼拝堂の裏にあなたしか侵入できないシールドを張る。……でもそれはあなたの伴侶がエルフなら解除できる。それから、アーノルド様はダメになった左腕に魔獣を移植したから注意して」
「え? 待ってください、移植って?」
「アーノルド様は今までと違った力を手に入れている……ぐうっ」
その時、キーラが首を押さえた。
「どうしたのですか?」
「私が戻るのが遅いので、アーノルド様が怒っている……手短に説明するわ」
それから彼女は必要なことを私に言づけた。
去り際、キーラは笑ったけれど目尻には涙が溜まっていた。
本当にキーラが私や聖女たちを大切に思っていたのかは判断できない。
けれど、彼女が絶望の中で生きているのはよくわかった。




