愛する人を
あれから少し話をして、解散となった。アテナは私の話を聞いた上でまた調べてくれるらしい。
部屋に戻るとヴィクタは開口一番私に言った。
「フィーネ、聖なる力を使わないと約束してくれ」
「でも、ヴィクタの釘は私に抜かせてください」
「……なかなか強情なところもあるんだな。少なくとももう少し健康になってからでないとダメだ。自分の命も大切にしてくれ」
「ヴィクタがそう言ってくれるなら、私も自分の延命に努力してヴィクタの釘を抜きます。あなたの役に立ちたいのです。私からその役回りを奪わないでください」
「すぐには受け入れられないだろうが、ロッド国の聖女は生命力を疑問なく分け与えるように洗脳されている。他人への奉仕が喜びだと教えられてはいなかったか?」
「え……」
「お前の優しい心が間違いだとは思わないが、私は命の重みは皆同じだと思っている。だから、自分のことも大切にしなさい」
「わかりました」
そうは答えても、これが奉仕の心でないことは自分が一番わかっている。ヴィクタを助けることで彼の心に残りたいのだ。彼が思うより私はわがままでいるのに、それを告げることはできなかった。私にはヴィクタに告白する時間は残っていないのだ。
そうしてレリア国に入る日がきた。エンカルド伯爵に見送られ、迎えにきてくれたアテナと国境に向かう。数時間すると虹色の壁が現れた。
「あれは、いったいなんなのですか?」
不思議な光景に驚く。まるで空からカーテンがかかっているようだった。
「あれがレリア国の国境だ。エルフが魔法で国境に膜を張っているんだ」
ヴィクタが言っていた防御魔法……こんなにきれいなものだったなんて。
「ロッド国軍はあれをあちこち破りまくったのよ。攻撃された時はレリア国に侵略してきたのかと思っていたけど、補修にくるエルフの捕獲が目的だったのね」
「……それでヴィクタが」
「狙われたのは私の息子だったの。ヴィクタールはそれを助けようとして代わりに捕まったのよ。ヴィクタールならすぐに逃げ出してこれると思ってた。まさか呪詛をかけたくぎを用意していたなんてね」
しばらくして馬車は何もない荒野のような場所に着いた。ヴィクタがお金を払うと馬車はきた道を戻っていった。
「まさか、ここから入ることになるとはな」
「しかたないでしょ。あなた達二人はお尋ね者みたいなものだもの」
「ここ、といいますと?」
「ロッド国が攻め入る時に使った場所よ。ここはクアント国だけど、その向こうは元ミラン国。多分将来的にレリア国に攻め入るために手に入れた領地だったのかもしれないわね」
私が覚えているアーノルドはかなり昔からエルフに憧れが強かった。しかもその『憧れ』は自分にエルフを従えさせたい、という迷惑な願望だ。
自分の方が優れていると、そう誇示するためのようにも思えた。常に一番で、憧れられていたい。なにかと派手なことが好きだったと記憶している。
「さあ、では行こう。国境のシールドはエルフの指輪があれば通行書代わりに開けるから」
なるほど、そういった意味もあの指輪にはあったのか。
心底取り返せてよかったと思った。
「ん……?」
ところが、ヴィクタが虹色のシールドに指が触れると異変が起きた。ヴィクタが突然両膝をついたのだ。
「ヴィクタ⁉」
驚いて私とアテナが声を揃えた。ヴィクタはシャツの上から心臓を押さえていた。
「ぐううっ」
「なにが起こってる?」
アテナは周りに異変を感じて辺りを見回した。私はヴィクタを心配して駆け寄った。
「心臓が痛むのですか?」
「……トラップだ。……だから私を泳がせていたのか」
ヴィクタの足元が黒く染まっていく。
「向こうから、なにかくる。……シールドを張るから、動かないで」
アテナが私たちの周りに魔法陣を描き始めた。
向こうから小さくて黒いものが近づいて来るのが見えた。
アーノルドは逃したエルフを探そうとはしていなかった。でもそれは死んだと思っていたからではなく、トラップにかかるのを待っていたんだ。
「すぐに応援を呼ぶわ」
「アテナ、待て。ヤツはエルフの捕獲を狙っているんだ」
「じゃあ、どうしろと!」
「まずはレリア国に助けを求めてくれ。エルフはだめだ。きっと……ヤツがくる」
レリア国は目の前なのに、もう黒くて小さな魔獣に囲まれていた。よく見るとそれは大群のサソリの魔獣だった。
サソリたちはシールドには近づけないが、私たちも外に出られない。
目立つのはよくないと護衛を断ってしまったので、アーノルドが着くのが先か、レリア国の応援が先か、空気が緊迫していた。
どうすることもできないのか。
「カハッ……」
「ヴィクタ!」
どうしよう、胸を押さえたヴィクタの目の焦点があっていない。
目の前でヴィクタが苦しんでいるのに……。
「とにかく、数を減らしてみるわ」
そう言ってアテナがシールドから出た。
彼女は風の魔法が使えるようで、サソリたちを風の刃で蹴散らしていた。泣いている場合じゃないのに涙がこぼれてしまう。
「ふ、ふう……」
蹲り、心臓を押さえるヴィクタは触れることも憚られる。なにもできない自分が辛い。
今はサソリを蹴散らしているアテナだが、アーノルドがロッド国の兵士を連れてきたらよくない状況になるに違いない。
姑息でずる賢いアーノルドはきっとまたエルフの動きを封じるために策を講じているに決まっている。アテナとヴィクタが捕まる最悪な事態は避けたい。
なんとか今のうちにレリア国に入ってしまわないと。
ふーっと私は息を吐く。
きっと、できる。
これは自己犠牲じゃない。
愛する人を救いたいと思っただけだ。
バチバチとシールドにサソリが当たって落ちる音がしていた。私は決心して左手をシールドの外に伸ばした。
サソリには毒がある。
お願い、私のコアに効果のある毒であって……!
「うううっ」
すぐに左手に強烈な痛みが走った。
心臓が熱く、握られるように痛んだ。この感覚は間違いない。痛みをこんなに歓迎することになるとは……。
「ヴィクタ……」
ヴィクタの意識は朦朧としていた。震える手でシャツをひらくと埋め込まれたくぎの文字がひかり、心臓を締め上げていた。
こんなの、苦しいに決まっている。
私は心臓の上に両手を置いて意識を集中した。
お願い。
どうか。
お願いします。ガトルーシャヘイブラロ神様。
私の愛する人を……助けてください!
強い力が心臓から指先に伝わり、臓器を修復しながら釘が持ち上がってくる。
視界もだんだん悪くなるのに、ポタポタと顔のどこかから血が落ちてきた。
それでも手元が見えにくいとしか思えなくて力を注ぎ込んだ。
思い出したように激しい頭痛がやってくるとやっぱりクラクラする。
ゲホッ……
喉が激しく熱い。
もう少し……お願いだからもう少しだけ、私の体がもってほしい。
「カハッ……!」
両手でその釘を握りこんで……。
それから、無事に抜けたかは確認できなかった。
ただ、もう自分のできる限りの力を全て注ぎ込んだ。




