エルフの国をめざして3
百歳も年下の私が子供の様に思えるのは分かる。
でも、だからって年頃の女性に対してあれは、と思ったり。でもヴィクタがすることはなんだって経験したいと思う自分もいる。キラキラしたたくさんの思い出を宝物にしたいのだ。
そんなふうに思っていると私の頭の中はヴィクタでいっぱいになってしまった。
当然夜眠ることができず、なんども額を指で確かめては、ヴィクタの唇の感触を思い出して悶えてしまった。
ウウ……
その声は小さくて、初めはなにかわからなかった。
私はシーツから顔を出してヴィクタの寝ている方に耳を立てた。いつの間にかヴィクタは船の端にいて、私に背中を向けていた。
やっぱり『ウウ』とうめき声が聞こえる。音を立てないようそっとヴィクタに近づくと、彼は体を丸め心臓の上でシャツをギュッと掴みながら脂汗をかいていた。
私はその姿を見て、心が冷えた。先ほどまで胸をときめかせて悶えていた自分を殴ってやりたくなる。
心臓脇に二本も釘を打たれていて、平気な者などいないのだ。
普段ヴィクタはそんなそぶりを一切見せないので、それに慣れてしまっていた。
魔力は眠る時に補充されると聞く。
魔法を使えないように打たれた釘。きっとこうやって眠っている時が一番苦しいのだろう。
どうしよう。とてもつらそうだ。
私はゆっくりと息を吐いて考えをまとめた。
エルフの国には行ってみたかったけれど、釘を抜くことを優先した方がいいのではないだろうか。もともとヴィクタが国に帰ることができればいい。
なによりもヴィクタが苦しむ姿は見たくなかった。
しかし、釘は二本だ。
途中で私が息絶えてしまったら……。
ぐるぐると考えて、でも苦しそうなヴィクタを見ていられなくて私は手を心臓にかざした。
そうして治癒力を使おうとした時、その手はガシリとヴィクタに掴まれた。
「なにをしてる」
その声は聞いたことのないような冷えた声だった。
「あの……ヴィクタが唸る声が聞こえて」
「そこに座って」
「ええと」
「そこに座りなさい」
「はい」
体がびくりと反応した。慌てて体を起こしたので船がすこし揺れた。私が座ると起き上がってきた彼も隣に座った。寝ているところを覗いて怒らせてしまっただろうか。
それよりも、体は大丈夫なのだろうか。
そんな私の考えがお見通しだったのか、ヴィクタは『心配するな』と言って水を飲んだ。
「……ずっと、苦しんでいたのですか?」
恐る恐る聞くとヴィクタが私を見て呆れた顔をした。少なくとも怒っていないようで少しだけほっとする。
「お前は自分のことはどこまでも我慢強いくせに人のことですぐ泣く」
ヴィクタは困ったように私の涙を親指でぬぐった。
知らずまた泣いてしまっていたようだ。困らせるとわかっていてもどんどんと涙が出てきて止まらなかった。差し出されたタオルに顔を伏せると、ヴィクタが私の背中を擦った。
「私が苦しんでいたのにお前が慰められてどうする」
「ごめんなさい……」
「いいか。私のためを思うなら、心臓の釘はエルフの国に行ってから抜く。知識ある他のエルフに相談もできるからその方が安全だ」
「わ、わかりました」
「起きている時は魔力は抑えられているだけだから辛くはない。ほら、わかったなら向こうのベッドで寝ろ」
そう言われても隣で耐えている人がいると言うのに、平気な顔をして眠れるわけがなかった。
「……気になるなら起きていよう」
そんなことを言い出したヴィクタの服の裾をギュッと掴むと彼は困った顔をした。
「楽になる方法はないのですか?」
「……ハア。では背中をさすってくれ」
そう言うとヴィクタはこちらに背を向けて横たわった。私もそっと横になるとヴィクタの背中を擦った。
「和らぎますか?」
「ああ、久しぶりに安眠できそうだ」
優しく、そっと、背中を擦る。
どうか、ヴィクタの苦しみが少なくなりますようにと。
そうして一生懸命さすっていたはずだったのだが……。
「よく眠れたようだな」
「はっ」
その声で慌てて目覚めるとゴチン、と船の端で頭を打ってしまった。
心地よく寝てしまったのは私の方だった!
そうしてしばらく私はこれをネタにヴィクタにからかわれることになった。
「さあ、陸についたぞ」
船は順調に進み、レリア国の隣国クアントに着いた。 陸に上がって船着き場で借りていた船を返すと国境に向かった。不審に思われないようにヴィクタにくっついて夫婦を装い検問を通る。すべてヴィクタが手続きしてくれて上手く国に入ることができた。
「こう、すんなり移動できると気味が悪いな」
「そうなのですか?」
「アーノルドが私を捕まえることをあきらめるとは思っていなかったからな」
「確かにエルフに並々ならぬ思いは持っていましたけれど」
「……どうもひっかかる。まあ、それも国に着いてから考えよう。さて、ロッド国民のふりのままだとレリア国には入れない。知り合いがいるから新しい入国証を用意してもらおう」
それから馬車を借りて移動した。
今更だけど、ヴィクタってお金持ち? と不安になってきた。
「おい」
「はいっ」
「またなにか一人で考えているだろう。ちゃんと私に伝えなさい」
「ええと、今まで頼りきりだったのですが、ヴィクタはお金をどうしていたのかと思って」
「そんなことか。百二十も生きていればコネも蓄えもあるから気にするな」
「お金持ち?」
「まあ、かなりの、な」
そうしてしばらくして大きなお屋敷の前で馬車が止まった。
ヴィクタは当然のように先に下りて私をエスコートし、間もなく屋敷から慌てて男の人がやってきた。ヴィクタはその姿を見てペンダントを外し本来の姿を晒した。
「ドム公爵様! ああ、よくご無事で……私はあなたが生きていると信じていましたよ! アテナ様にすぐ連絡を入れますね」
「そうしてくれ。しばらく世話になるから連れにドレスを用意してくれ」
「へ? お、お連れ様?」
「……フィーネ、この男はエンカルド伯爵。クアント国での信頼のおける私の友人だ」
「おや、今話題の大聖女様と同じ名前なのですね」
「ん? 今話題?」
「今朝、レリア国にロッド国の大聖女様の首が届けられたそうですよ」
「なるほど、大病で死んだことにして首だけ渡すことにしたのか。死人に口なしだからな」
「え?」
「ここにいるフィーネが本物の大聖女だ」
「う、嘘でしょ⁉」
「とにかく、ここで騒ぐのはよくない。中に入れてくれ」
「は、早く入ってください!」
慌ててエンカルド伯爵が私たちを中に入れてくれた。
応接室に通されてから、私は意を決してペンダントを外した。




