エルフの国をめざして2
「朝食を食べるぞ」
船に乗る前にヴィクタに連れられて食堂に向かった。ここでもモタモタする私とは違い彼はスマートに注文を済ませた。
「菜食主義だと思っていました」
「……森の恵みは動物だってあるだろう。一部の偏見だ」
目玉焼きを食べるヴィクタに驚くとそう言い返された。エルフは謎が多い。
「お前こそ、食べていいのか?」
「質素でしたが別に決まりはなかったです」
聖女だからと制限もなく、王家の晩餐に出席する際はご馳走を食べさせてもらっていた。
「足りなければ追加するぞ」
「そんな、このプレートを完食できるか不安なのに」
「そのくらいは食べろ。お前は食が細すぎる」
なんだかんだ言ってヴィクタは私の世話を焼いて、食べきれなかったベーコンを食べてくれた。代わりにデザートはヴィクタの分も食べさせられた。
「……レリア国はエルフの引き渡しと大聖女の首を条件に出しているんだろ?」
「しかし、エルフは行方不明だし、大聖女は神殿で倒れてもう長くないらしいぞ。首を刎ねる前に死んじまう」
「北の土地を差し出すんじゃないか? どちらも渡さない、じゃ許してくれんだろ」
「まったくどうして大聖女は戦争ばっかりさせるような神託をしたんだか」
「ほんとうにな。ありゃ大聖女じゃなくて、大悪女だ」
「このまま死んでも自業自得だな」
「いや、その前に首を刎ねてもらわないと」
後ろのテーブルにいた船員たちがそんなことを話していた。
思わず聞き入ってしまった私にヴィクタが声をかけてきてハッとした。
「茶を飲んだら行くぞ。そろそろ時間だ」
そう言ってヴィクタは私の頭をポンと撫でた。それだけで私は勇気がもらえた。
『大悪女』か。確かに戦争を起こして一番被害を受けるのは国民だ。
先頭に立って切り込んだアーノルドは怪我をしても聖女に治癒させ、家族を失うこともないのだ。
もっとアーノルドを止める努力が必要だったのか。しかし神殿長の神託を誰が止めることができたのだろう。モヤモヤと考えているとヴィクタが私の手を取って繋いだ。
「お前はもう大聖女は廃業したんだ」
そうしてそんなことを言うので笑ってしまった。
「無職ですが私を国に連れて行ってくれるのですか?」
「もとよりそのつもりだ」
少し照れたようなヴィクタが眩しい。その心遣いに勘違いしそうだ。
用意されていた船はホロ付きの六人乗りくらいのものだった。寝床もあって、長時間移動できるようだ。途中、休憩に岸に寄せて食事などを済ますと言われた。
「夫婦なんだから寄り添ってろ」
船に乗る時にふらつけば、支えてくれた。こんなに親切にしてもらって好意を寄せない方がおかしいと思う。
もう少しだけ、夢を見させてもらおう。今だけ夫婦ごっこも許されるはず。えい、とヴィクタの腕にしがみついたが彼は特に気にしていないようだった。
しばらく船の上で陸が離れていくのを見守った。ロッド国を出ることになるなんて思ってもみなかった。とても不思議な気分だ。
「このままレリア国に入れるのですか?」
「いや、それは無理だ。今は交渉決裂で揉めているからな」
ヴィクタがクスクス笑う。
レリア国の条件に関わる二人がこうしているのだ。ロッド国とレリア国がそう簡単に和解できるわけがない。
「なにも知らず、私は小さな世界に生きていたのですね」
大河に向かってポツリと言う。水音がバサバサと船の縁を鳴らしていたので隣にいるヴィクタに私の声は聞こえないかもしれない。
「聖女が神殿にくる信者を治癒すると、治った信者は神に感謝します。けれど、もしそれが命を分け与えていたとしたら……感謝すべきは聖女にです」
信仰心が薄まって、こんな考え方になるのだろうか。でも、あんなに力を尽くしてきたのに、今更『大悪女』だなんて納得いかない。
一番私の力の恩恵にあやかっておきながら、私を大悪女に奉り立てた王家やアーノルド……そして母と慕っていた神殿長。
こんな裏切りはあんまりじゃないだろうか。
それからも私は『大悪女』の噂をあちこちで聞くことになった。
全ての悪を押し付けられた大聖女……私の母国を思いやる気持ちは薄まっていった。
「このまま予定通りだと三日後にレリアの隣国クアントに着く。そこからは陸路だから今のうち体を休めておけ」
「はい」
それからもヴィクタは世間知らずの私の世話を焼いてくれた。
夜は横になってそのまま河を移動した。
寝る前にヴィクタの傷の手当をした後は、同じ軟膏で彼が私の髪と顔をテカテカにした。
もちろん、ヴィクタの手によって……。
「ずいぶん綺麗になってきたぞ?」
少し潤いが戻ってきた私の髪と肌にヴィクタの方が満足そうだった。
私はこの時間が恥ずかしくてたまらなかった。まるで彼の特別になれたような気持ちでフワフワする。
「あの……」
「首の方も塗っておこう」
ヴィクタの指が顎から首に滑った。なぜだか妙な気分になったが、ヴィクタの指を拒むという選択肢はなかった。
「ん……」
鎖骨に指が触れた時、小さく声が出てしまった。
「……アーノルドは婚約者だったろう? どこまで許した?」
「許す? ……なにを?」
ヴィクタがなにを言いたいのかわからなくて聞き返した。すると唇をフニ、とその感触を楽しむように軽く指で押された。
「口づけはしたか?」
そう聞かれてやっと理解した私はカッと顔に血がのぼった。
「手を繋いだことしかありません! それも公式の場で嫌々です!」
「そうか」
ヴィクタはふわりと笑って私を抱き寄せた。
どうしてこうなったかわからないけれど、私はドキドキしながら彼の腕のなかにいた。
「お前は自分自身がどれだけ傷ついているか、わからなくなっているんだ」
ヴィクタの言っていることがわからなくてポカンとしていると、彼は私の頭を撫ででそのまま寝かせた。
「さあ、寝なさい」
「はい」
ヴィクタは隣に同じように寝転んでいる。
そしてシーツの上から背中をポンポンと叩いた。
「ええと、なにをしているのですか?」
「フィーネにはいろいろな経験が足りないのだと思ってな」
「これはなんの体験ですか?」
「ふふ。親に寝かしつけられる体験だ」
「エルフはこうやって親が子供を寝かしつけるのですか?」
「人族一般では同じだと思うぞ」
「……そうなのですか」
「ごちゃごちゃ言わないで寝ろ。おいおい精神的にも追いつくだろう」
「私って精神的に子供なのですか?」
「基準はそれぞれだが、バランスは悪いと思う。大人びていたり、子供のようだったり」
思うことがあってこうやってくれているのか。
ヴィクタの子供に生まれたら幸せなんだろうな。
でも今は……できれば夫婦ごっこの方がいい。
「ヴィクタはキスをしたことがあるのですか?」
「なんだ、してほしかったのか」
「……してくれますか?」
ニヤリと笑ったヴィクタがからかっていることはわかっていた。でも、チャンスならキスも経験してみたい。もしかして、このまま目を閉じれば……。
一縷の望みをかけてギュッと目を閉じていると額に柔らかい感触がした。
「え?」
まさか、本当にキスしてもらえるとは思わなかった。
目を開けるとヴィクタが優しい目で私を見ていた。
「ね、寝ます! おやすみなさい!」
視線に耐えきれなくなってシーツをかぶって壁に向かって寝転んだ。
ヴィクタはもうなにも言わなかったけれど、背中をポンポンと叩いてくれた。
もう、ドキドキってものではなくて、心臓が口から飛び出そうだった。
しばらくそうしているとギシリ、とベッドがきしんでヴィクタが通路の向かいのベッドに向かったのが分かった。
こんなの、眠れるわけがなかった。




