エルフの国をめざして1
「お世話になりました。このご恩は一生忘れません」
「そんな、フィーネ様、それは私どもの言うセリフです」
「けれども、実はフィーネ様にいい人がおられたなんて知らず……」
「い、いい人だなんて! 違います! た、助けていただくだけで!」
早速私は次の日にヴィクタとエルフの国に向かうことになった。
もしものことも予想してアーノルドが指輪に気づく前に移動したい、と言われたのだ。
いきなり現れたエルフを連れて私がここを離れるとダイズとサリーに言ったものだから、なんだか妙な雰囲気になってしまった。
元々荷物はみんなが用意してくれたもので足りる。
エルフの国に行って自分の命を伸ばそうとは思っていない。残りわずな命でヴィクタの釘を抜こうと思っているだけだ。そうしたら、きっと少しでもヴィクタの役に立てると思ったのだ。
「ありがとう、ダイズ、サリー」
「息子のホリーにフィーネ様を会わせたかったです」
「ホリーが大きくなった時、フィーネ様の話をするつもりです」
私は二人とハグして別れを惜しんだ。
危険を顧みずに私を匿い、本当によくしてくれた。きっと渡しても遠慮されるだろうから、机の上に私が着けていたピアスを置いてきた。
「フィーネ様が眠れないほど焦がれていたのはこの方だったのですね」
去り際にサリーに囁かれて、隣にいるヴィクタに聞こえていないかドギマギした。
二人とも逃げている身なので見つかったらどうしようかと思っていると、身に着けている間は他人に見えるペンダントをヴィクタが手に入れてくれていた。
「わあ、本当に違う人に見えますね」
さっそくペンダントをかけるとお互い違う人に見えた。
「名前は、ダイズとサリーから借りよう。夫婦という設定でいいな」
「ふ、夫婦……あの」
「なんだ?」
「ヴィクタに家族はいるんですか?」
「エルフの国にいるぞ」
「……お子さんは?」
「ん、ちょっとまて。家族って言うのは両親と姉だ。私に伴侶はいない」
「あ……そう、なのですか」
聞いておいて期待したり落胆したりで心臓が忙しい。伴侶がいないと聞いて嬉しかった。
「ほら、行くぞ」
「はい」
ヴィクタが自然に手を出したので、慌てて手を握った。
人が多いからだよね……意味なんてないから。
街に出ると必要なものを購入した。
水に囲まれたロッド国は水路を使って移動することも多い。他国へは大きな河を経て行くルートが普通だ。ヴィクタは船を借りる手配をしてくれていた。
ロッド国で育ったのになにもわからず、ヴィクタの方がよほど詳しい。
「サリー、内側を歩け」
「あ、ありがとうございます」
街を歩くときはさりげなく私の体を引きよせて人ごみから守ってくれた。
やっぱり、親切な人だ。
発せられる言葉はぶっきらぼうだけど、大切に扱ってくれる。
大聖女としてはみんな優しくしてくれたけど、そんな肩書も無ければ私はただの貧弱な女だ。エルフに見合う風貌ではないのはわかっている。
それなのにヴィクタは私を見て一度も嫌な顔をしたことがない。
エルフは自分が美人だから気にならないのかな。アーノルドはいつも私の容姿をけなしていたのに。
――つまらない黒髪に陰気臭い顔。
はあ。思い返してみても気が滅入る。
「船は明日一番に乗れる。今日は宿に泊まろう」
「はい」
全てヴィクタに任せきりで申し訳ない気持ちだ。
宿の部屋に入るとヴィクタは息を吐いて変装用のペンダントを外した。
途端に彼は本来のエルフの姿に戻った。
やっぱりとても美しい。
そう思って見とれているとヴィクタが私を不思議そうに見ていた。
「変装を解けばいい。夜眠れなくなるぞ」
「え、そうなんですか?」
「魔力で体を包んでいるからな。毛布をずっと体にかけているようなものだ。窮屈だろう?」
窮屈……かもしれないけれど。
「私の姿はみっともないのでこのままでいたいです」
「……みっともない?」
ヴィクタが不思議そうに繰り返した。やっぱり彼は全然気にしていなかったのだと思うと自然と微笑んでしまった。
「肌も髪もカサカサで、体もガリガリです」
「……長らく一度に大量の力を使った後遺症だ。お前のせいじゃない」
ヴィクタはそう言って自分のリュックをがさがさと探った。そうして軟膏を取り出すと私のところにきた。
「包帯を替えるのですか?」
手伝えばいいのかな、と思ってそう言うとヴィクタは首を振って私のペンダントを外した。
「あっ……」
「お前がそんなことを気にしているとは思っていなかった。この軟膏は傷だけではない、肌や髪の補修にも効く」
「あの……」
「口を閉じろ」
言われて口を閉じるとヴィクタが軟膏を自分の手に広げてから、そっと私の顔を包むようにして塗り始めた。
どうしよう、これ、恥ずかしすぎる。
ヴィクタの親指が目の下を優しくなぞる。大きくて長い指に顔を包まれてなんだか変な気分だ。これは親密すぎやしないだろうか……。
しかし塗っているヴィクタを見ると真剣な顔をしていた。
「国に着いたら姉に相談してみよう。美容に詳しいからな」
指が唇にたどり着くとかさついていたのが気になったのか、丹念に塗り込められる。
もう顔から火を吹きそうだった。
耐えられない。
ああっ。
視線のやり場が無くて下を向くとヴィクタが私の両耳を軽く引っ張った。
「終わりだ。毎日塗っていればそのうち戻るから気にするな」
「ふ、ふあい」
動揺しすぎて変な返事をした私をヴィクタがプッと噴き出して笑った。
「お前は十分可愛い」
そんなことを言ってしまうヴィクタは私の心臓を止めようとしているのかもしれない。
寝る前にまた苦い薬湯を飲むとヴィクタが甘い実を口に入れてくれる。
ヴィクタにとったら小さな子供なのだろうけれど、私だって十八歳の女なのだ。
素敵な男性にこんなことをされ続けて平常心は保てない。
疲れましたと嘘をついてシーツをかぶり、私はベッドの中で悶えていた。
やがて体がポカポカしてくると瞼が下がる。
私は神殿の姉妹である聖女たちのことを思った。
彼女たちのお陰で私は今、こんな甘酸っぱい気分も味わうことができた。
あの時余命が一年だと、どこかで投げやりな気持ちになっていた。国のためなら首を差し出してもいいなんて思っていたが、冷静になって考えたらアーノルドに嫌悪しかないのにしっくりこない。
エルフの国に行くことは私にとっていいことばかりだ。
ダイズのところでお世話になったのがバレたら迷惑をかけてしまっていただろう。
ララたちは私が王宮に向かう途中の井戸をのぞき込んで落ちて死んだことにしたようだとヴィクタに聞いた。あの井戸なら深すぎて引き上げるのは無理だ。背格好が似ているモモが私の服を着ていたのでうまくやってくれたのだろう。
レリア国はヴィクタが行方不明なことも、私の首を渡さないことにも怒っているらしい。これを機会に王家は周辺諸国にちょっかいをかけすぎたことを反省すればいい。
私は……。
エルフの国で少しの間お世話になったらヴィクタの釘を抜く。
多分、そうしたらもう長くはないだろう。
この淡い気持ちを楽しんで、少しだけヴィクタの記憶に残してもらえたらそれでいい。
なんとなく、ヴィクタは私を割り切って利用できない気がする。
思いやりのある人だから。釘は抜かなくていいとか言い出しそうだ。
その時は私が決意して治癒を行おう。
こんなに穏やかな気持ちで過ごせるなんて思っていなかった。
改めて私は聖女たちに感謝した。




