聖女の住む国は(ヴィクタール視点)2
このまま私が死んだとしてもエルフ国の侵入経路になってしまう指輪だけは取り返さないといけない。これはエルフしか知らない秘密だ。けれどもしもこの王子に知られてしまったら? それだけは避けなくてはならない。私は指輪を取り返す機会をうかがいながら大人しくロッド国へと運ばれていった。
「早馬を出して、聖女たちに治癒の準備をさせろ。俺たちの治癒が優先だ。他に力を使わせないように言い聞かせておけ」
王子の声が聞こえてくる。ロッド国軍はこうやって無茶な戦いをして勝利してきたのだろう。聖女? 聞いてあきれる、ただの戦闘の補助要員じゃないか。相手の国の者にどれだけ残酷に血を流させようが気にも留めていないのだろう。
詳しく知らない私でもロッド国の無茶な侵略の仕方は耳に入ってきていた。くそ……もう少し警戒していれば。しかし、カテナを逃がせたことは不幸中の幸いだ。
私はロッド国に向かう道中の地図を頭の中に浮かべた。
今は指輪を取り返すのは一旦諦めよう。とにかくここから抜け出して態勢をととのえないと。
魔法は使えないが、ヤツらが気が付かなかった足首のミサンガに一回分の移動魔法が仕込んである。たった十メートル先に飛ばさせるだけの魔法だが上手く使えば逃げられる。なるべく、建物の多い場所で使わなければ。
見通しの良い荒野を抜けて、馬車が進む。
休憩時間に腕を押さえた王子が私の様子を眺めにきた。
「よう、気分はどうだ?」
覆っていた布を下げて私の顔を確認する王子。しかし、呪いをかけたことを思いだしたのか、目が合いそうになると慌ててすぐに布をかけ直した。
「顔をもっと拝んでやろうと思ったが、また呪いをかけられては不味い。本当に恐ろしい生き物だな。お前たちが望めば全世界だって手に入るのに、どうして望まないのか俺は不思議でならないよ」
なにか言い返そうかと思ったが、なにを言ってもこの男を喜ばすだけだろうと思って黙った。余程わたしを捕まえて機嫌がいいのか王子は自分語りを続けた。
「エルフの存在を知ってからずっと興味があったんだ。身体能力、魔法技術、魔力とどれをとっても優れているなんてすばらしい。容姿まで完璧な存在だ」
私の髪に触れる感覚があった。そしてその手は胸の釘を確認している。そんなにもエルフに執着があったのか。
「ああ、最高の気分だ。国に帰ったら、特注で作った首輪をかけてやる。俺専用のエルフだ。これからの戦いが楽しみだなぁ。俺は全世界の頂点に立つ男になるんだ」
くつくつと笑いながら王子が去る気配がした。
ロッド国は宗教国家でなかったのか。
今まで神の意志に基づいて戦ってきていたはずだ。世界の頂点? 王子の言動からは己の欲しか感じられなかった。
外から人々の生活臭がしてくる。どうやら国境に近づいてきたようだ。チャンスは一度しかない。できるだけ人が集まるところで魔法を発動させる必要がある。
ロッド国内に入り、人の足音がたくさん聞こえてきた場所で、私はミサンガを切って魔法を発動させた。運よく飛んだ場所は何かの倉庫の中で、私はそのまま忍んで王子の手からは逃げることができた。
あのまま、王子のいいなりの人形に成り下がっていたら、と思うと恐ろしい。しばらくそこで体を休めてから、夜中に近くの森へと身を潜めた。
自然と共に生きてきたエルフにとって森は英気を養うには最適な場所だ。魔法は使えないが草花から精気をもらうことはできる。ロッド国が湖から水を引いて運河を利用している国であることも私には有利だった。水は流れるだけで癒しの効果があるからだ。
数日潜伏して体調を整えると、王子の胸の呪いの具合を遠隔で確認した。するとそれが消されてしまっていることに気づいた。どうやら聖女が呪いまで取り去ってしまったようだ。強力な呪いなのにこんなにすぐに解呪されてしまうとは。
「恐ろしいな」
アーノルド王子があんな戦い方をするだけある。ここで釘を刺されたまま、身動きが取れない私と違って、きっともうヤツは腕も胸も治って平然と動いているのだろう。
「忌々しい」
しかし、聖女は知らないだろう、あの呪いに介入したものの胸にまた種が芽吹くことを。なんとしても指輪は取り返さなければ。あの王子に指輪を持たせたまま野放しにしたら、エルフたちはいずれ戦争に駆り出されるかもしれない。
まずは王子を治癒する人物を消そう。大聖女は一人しかいないはず。あれだけの傷を治せる聖女がいなくなればきっと王子に大打撃を与えられるはずだ。
私は呪いを発動させる。しかし、不思議なことに呪いの位置は王宮や神殿から離れた位置から感じるものだった。なんとか通常に歩くことができるようになり、街で情報を集める。するとレリア国から和平の条件として『エルフの解放』と『大聖女の首』が出されたことを知った。きっと私の無事と報復として一番わかりやすいものを選んでくれたのだろう。
ロッドの街中で大聖女の評判は地に落ちていた。今まで飾っていた絵姿も燃やされ、今では無茶な神託を下ろし、戦争を斡旋した大悪女として皆に煙たがられていた。
「早くレリアに首を渡して平和にしてほしいものだ」
国民は手のひらを返して噂している。こんなことになって、アーノルド王子は大聖女を世論から守ることもないのか、と少し不思議に思うくらいだった。
どこかで大聖女は匿われているのかもしれない。どのみち、神殿を出ているなら好都合だ。その顔を拝んで、確実に始末しておかないとならないだろう。




