第51話 5月6日 決戦の日(7)
「うん。帰るよ。でもさ、こういうことって、俺にだけ言っているの?」
「それって、私がいろんな男の人に言っているんじゃないか、そう言いたいわけ? さすがに今のはデリカシーないけど、ワザと言ってる?」
さすがというか。雪野さんは俺の心を読んだかのように疑いの目で見つめてくる。
「ごめん。俺なんかを雪野さんみたいなカースト上位の人が、誘ってくれるなんておかしいと思って、ちょっと考えてしまった」
「そっか。もっと自信持っていいと思うんだけどなぁ。しょーもない男だったら優理に近づいて欲しくないし。たつやがいい男だと思って気になるから、私も気にするんだよ?」
雪野さんは呆れたように顔を横に振って続ける。
「それにさ、誰にでも言うわけじゃないよ。というか初めてだよ? 私って、そこまであっさり断られるほど魅力ないかなあ?」
「ううん。俺は今いっぱいいっぱいで余裕がなくてさ。色々考えちゃって。雪野さん魅力的だと思うよ」
すると雪野さんは嬉しそうに口元を緩めた。
スポーツも出来て、勉強も出来る。俺みたいなのと気さくに話してくれて、すぐ仲良くなった。
優理のことを心から大切に思っている。そのために、多分さっき俺を誘ったときは自分の……経験がないのにも関わらず、体を張ろうとした。
多分、最初の誘いを俺が受けていたら……たぶんエッチしてしまったのだろう。優理から引き離す、ただそれだけのために。
そんな、他人を一生懸命に考える優しい女の子だ。
その上、ルックスもよく可愛いのは間違い無い。
「そっかぁ」
「雪野さんとすぐ仲良くなれたし、友達思いで優しい人だって知ってるから。だから雪野さんがダメとかそういうんじゃないよ」
「嬉しい。たつやが嫌じゃないなら……今日だけでも……いいと思うんだ。優理には絶対内緒にするから」
発言の意味を理解しようと頭を巡らす。何がいいのか?
しかし、気付くと目の前に雪野さんの顔があった。
「えっ、ちょっ」
「んっ……」
俺の唇に柔らかいものが触れ、口の中に温かいものが侵入してくる。
舌と舌が絡み合い——頭がぼーっとするくらい気持ちが良い。
しばらくして口を離すと、お互いの息が荒くなっているのが分かる。
「ぷはっ……はぁっ……」
「……はぁ…………ふぅ…………」
見つめ合ったまま沈黙が続く。
まずい。体が流されている。俺には優理もヒナだっている。その上雪野さんとそんな関係になってしまうって……よくないよな。
「ごめ——」
ごめんと言って、雪野さんの身体を押しのけ、もう一度断ろうとすると頭の奥に痛みを感じる。
この感じは! 嘘だろ? ここで断ったらダメなのか?
「んっ……」
そんなことを考えていると、また雪野さんからキスされ引っ張られるようにしてベッドに倒れ込んだ。
押し倒された形になった俺は雪野さんの瞳に吸い寄せられ、逃げられなくなっていた。
雪野さんが経験がないためか、経験済みの俺は余裕があった。
すごく頑張って、俺をエッチに誘おうとしているのが分かる。そんな健気な様子に胸が締め付けられた。
「雪野さん?」
「たつやさ……もしかして優理と付き合わないつもり? だったら……私と……付き合うのもアリじゃない?」
「どうして——」
「どうしてか、分かったの。今のたつやは、誰とも付き合う気がないって。大切な人はいても、守りたくても……何か罪悪感のようなもので付き合うことを諦めている」
返す言葉がなかった。その通りだ。
「だったらさ、今だけ……めんどくさいこと忘れて……私と……」
そして、お互いの身体が絡み合った。
☆☆☆☆☆☆
ふと目を覚ますと、見慣れない天井が見える。
窓から光が差し込み眩しい。その明るさで意識がハッキリとしていく。
隣を見ると可愛い寝顔があった。静かな寝息を立てている雪野さんだ。肩が露わになっていて素肌が見える。
これは……布団を持ち上げると、胸の膨らみや色づいたところなど、一糸まとわぬ姿が見えた。慌てて目を逸らす。
下半身には昨日の熱がまだ残っている。互いの温もりや、柔らかさを思い出す。
結局俺は流されてしまったのだ。雪野さんはとても寂しかったようで、俺を離してくれなかった。
そしてやはり雪野さんは初めてだった。色々あって今まで出来なかったと話していた。
「んん……」
モゾっと動く雪野さんを見てドキッとする。
昨日はお互い疲れて寝てしまったため俺も裸のままだ。
昨日の出来事を思い出して悶々としていると、スマホに通知が来ていることに気付き、手に取る。見ると優理からのメッセージだった。
『助け』
一気に目が覚める。言葉が途切れている。なんだいったい?
メッセージは一時間前のものだ。現在時刻を確認する。
「え? ちょっ——今12時前?」
既に昼前になっている。どうりで外が明るいはずだ。
そういえば、今日の午前中、優理は雪野さんと遊ぶ約束をしていたはずだ。この時間に、俺の隣に雪野さんがいるということは、優理との約束をすっぽかしたことになる。
いや、それよりも。中途半端なメッセージは異常だ。一体何が起きている?
ブルッとスマホが震え、次のメッセージが届く。
「は?」
写真付きのメッセージ。写真には、優理が彼女の部屋でベッドに横たわっている姿が映っていた。誰かに両腕を拘束されている! 嘘だろ?
通話ボタンを押すとすぐにつながった。
『クロちゃんが……死んじゃう……離してっ! や、やめてッ!』
悲痛な優理の声が聞こえた。
ガサッ。
すぐ隣で聞こえた音の方向に目を向けると、裸のまま雪野さんが抱きついてくる。
「今の何? 優理の声?」
その瞬間、ぐにゃりと世界が歪んだ。
……意識が闇の底に沈み、そして浮かぶ——。
俺の脳裏に、何者かに囲まれる優理の姿が映り、そして消えた。
★★★★★
「……ねえ、本当に何もせずに帰るの?」
俺の目の前には見覚えのある服装の雪野さんがいた。昨日、二人で抱き合う前の服を着ている。
外は暗い様子。つまり、夜——昨日の夜だ。
時間がまき戻った。
雪野さんの誘いを断ってはいけないのではなかったのか? それとも別の原因が?
いずれにしても戻ってしまった以上、雪野さんの誘いは断らなくてはならない……ということだ。
くそっ。毎回パターンが変わる。
ヒナの時は断ってはダメだった。
雪野さんの場合は、断るのがダメなはずなのに戻ってしまった。
もしかしたら、一回関係を持ち、失敗することに意味があるのか?
そして、雪野さんとのことは白紙になり、なかったことに……?
でもそれって……。




