第96話:始まりの場所で
ミリアたち代表者が歓喜と興奮の面持ちで執務室を去った後。
僕は誰にも告げることなく、一人でそっと屋敷を抜け出した。
向かった先は、聖獣の郷の街外れにある小さな泉のほとり。
僕がこの嘆きの荒野に追放されて、初めて【土地鑑定】のスキルで掘り当てた、全ての始まりの場所だ。
月明かりが、静かな水面を銀色に照らしている。
僕はその泉のほとりに腰を下ろし、水面に映る自分の顔をただじっと見つめた。
そこに映っていたのは、アークライト侯爵家の三男だった頃の気弱で自信なさげな青年の面影を残しつつも、どこか見違えるほど精悍になった一人の男の顔だった。
「……王に、なるのか。僕が……」
ぽつりと、独り言が漏れる。
数ヶ月前まで貴族社会の片隅で役立たずと蔑まれていた僕が、一つの国の王になろうとしている。
運命とは、かくも数奇なものだろうか。
僕はゆっくりと目を閉じた。
これまでの軌跡が、走馬灯のように脳裏を駆け巡る。
父上の冷たい視線。兄上たちの嘲笑。
たった一人、この荒野に放り出された時の絶望と孤独感。
そんな僕を主と認めてくれた聖獣ハクとの出会い。
僕を信じ、最初の仲間になってくれたミリアたち兎獣人族との出会い。
ドワーフのグルドさん、エルフのリアム。
カカンとココンの無邪気な笑顔。
そして、僕をマスターと呼び、絶対の忠誠を誓ってくれるセブン。
たくさんの出会いが、僕を変えてくれた。
一人では何もできなかった僕に、仲間を守りたいという強い意志を与えてくれた。
その想いが、僕をここまで連れてきてくれたんだ。
不意に、僕の足元に温かくて柔らかい何かがすり寄ってきた。
目を開けると、いつの間にかハクが僕の隣に座り、その大きな体で僕に寄り添っていた。
「……ハク」
僕はその純白の毛並みを優しく撫でた。
ハクは気持ちよさそうに目を細めている。
「僕は、王の器じゃない。本当は、今でもそう思ってる。人を導くカリスマ性もないし、国を動かす政治力もない。ただ、みんなが笑って暮らせる場所を守りたい。そう願っているだけの、ただの男だ」
僕の弱音ともとれる独白に、ハクは喉の奥でグルル、と鳴った。
そして、直接僕の脳内にその声が響いてくる。
『――王の器かどうかなど、我は知らぬ』
それは厳かで、しかしどこまでも優しい僕の相棒の声だった。
『しかし、お前は我の主だ。我がお前を選び、お前が我を選んだ。それだけは、世界の何者にも覆せぬ絶対の真実。それで、十分ではないのか』
「……ハク」
『王とは、ただの役割の名に過ぎぬ。お前は、お前のままであればよい。我らが主、リオ・アークライトのままで』
ハクの言葉が、僕の心の奥深くに温かく染み渡っていく。
そうだ。僕は王になろうとして、自分を見失うところだった。
僕がなるべきなのは、偉大な王じゃない。
ミリアが、グルドさんが、リアムが、セブンが、そしてハクが信じてくれる、「リオ・アークライト」のままでいればいいんだ。
僕が僕である限り、きっと道は拓ける。
心の靄が、すっと晴れていくのを感じた。
ふと顔を上げると、東の空がわずかに白み始めていた。
夜の闇が終わり、新しい一日が始まろうとしている。
僕はゆっくりと立ち上がった。
そして、眼下に広がる僕たちが築き上げた聖獣の郷の街並みを見下ろす。
家々の窓からは、新しい朝の支度を始めるための温かい光が灯り始めていた。
「行こう、ハク」
僕は隣に立つ相棒に、力強く語りかけた。
「僕たちの郷へ」
その瞳には、もう一片の迷いもなかった。
王としての責任も、民の命を預かる重圧も、その全てを背負う覚悟がそこにはあった。




