第48話:誰一人、死なせはしない
「――アークライト軍、出陣した模様です」
リアムがもたらしたその一報に、集会所の空気は一瞬で凍りついた。
僕の決別の手紙に対する、アークライト家の返答。それは、僕が予想していた中で最悪の形のものだった。
「敵軍の総数は、およそ三千。アークライト家が有する全兵力です。総大将は、バルド・アークライト。こちらの予想進軍ルートを通れば、あと五日でこの村の入り口に到達します」
リアムはいつもと変わらない冷静な口調で、淡々と報告を続けた。
三千。
その数字を聞いた瞬間、ミリアは息をのんだが、グルドさんは意外にも落ち着いていた。
「三千、だと。フン、今度は本気で来やがったか。だが、案ずることはあるめえ」
彼は自信に満ちた笑みを浮かべた。
「俺たちは一度、奴らに勝っておる。奴らの戦い方も手の内も分かっている。前回と同じように森の罠でちょいとひねってやれば、すぐに尻尾を巻いて逃げ出すだろうよ」
グルドさんのその楽観的な言葉に、ミリアも少しだけ安堵の表情を浮かべた。
しかし、僕はその空気を断ち切るように、静かに首を横に振った。
「……いいえ、グルドさん。今度は前回と同じようにはいきません」
僕のその冷たい声に、二人ははっとしたように僕の顔を見た。
「確かに僕たちは一度、勝ちました。ですが、それは相手が僕たちを完全に見くびっていたからです。今度の彼らは違う。一度敗れた相手に同じ轍は踏まいと、周到に準備してくるはずです。何より、兵の数が十倍。彼らは僕たちの罠ごと、森ごと、その圧倒的な物量で踏み潰すつもりでやってくるでしょう」
僕の言葉に、二人の顔から楽観の色が消えた。
僕は続けた。
「僕たちの本当の正念場は、ここからです。だからこそ、皆の心を一つにしなければならない」
僕はミリアとグルドさんに向き直った。
「二人とも、村の皆を広場に集めてください。僕から直接、話をします」
◇
程なくして、村の中央広場は全ての住民で埋め尽くされた。
アークライト軍の再来という知らせは、村人たちの間に不安と、同時に前回の勝利からくる奇妙な高揚感をもたらしていた。
「またアークライトの連中が攻めてくるんだって?」
「へっ、返り討ちにしてやらあ! 俺たちの森の恐ろしさを忘れたらしいな!」
そんな楽観的な声も、ちらほらと聞こえてくる。
僕は壇上に登ると、集まった全ての住民の顔を一人一人、ゆっくりと見渡した。
そして、その楽観的な空気を引き締めるように、静かに、しかし力強い声で語りかけた。
「――聖獣の郷の、僕の愛する家族たちへ。皆に伝えなければならないことがあります」
僕のその第一声に、広場は水を打ったように静まり返った。
「アークライト家が再び、僕たちの村を攻めるために軍を動かしました。敵の数は三千。僕たちの村の何倍もの大軍です」
その言葉に、村人たちの間にどよめきが走る。
しかし、僕はあえて続けた。
「……分かっている。皆が何を思っているか。『俺たちは一度、勝ったじゃないか』と。しかし、その油断こそが最大の敵だ」
僕は厳しい口調で言い放った。
「前回の戦いは、ただの小競り合いに過ぎない。今度こそが僕たちの村の存亡をかけた、本当の戦いだ。彼らは僕たちを完全に叩き潰すために全兵力を挙げてやってくる。前回と同じ手が通用するとは、決して思うな」
僕の言葉に、村人たちの浮ついた空気がぴしりと引き締まるのが分かった。
「……怖いかい?」
僕はそこで初めて、声のトーンを和らげた。
「無理もない。僕だって怖い。君たちを失うかもしれないと思うと、今も足が震えるほどに怖い」
僕は自らの弱さを正直に告白した。
「けれど、僕は領主として、君たちの長として、君たちの家族として、一つだけ誓う。――この戦いで、僕は君たちを誰一人、死なせはしない」
その宣言は、絶対の自信に満ちた力強いものだった。
絶望に沈んでいた村人たちが、はっとしたように顔を上げる。
「これは戦争じゃない。僕たちは彼らと同じ土俵で戦う必要はない。僕たちには、僕たちのやり方がある」
僕は壇上に広げられた、この村の周辺一帯を示す巨大な立体地図を指差した。
「僕たちの最大の武器は、剣でもなければ魔法でもない。この、僕たちが誰よりも知り尽くしている、この『土地』そのものだ」
僕は地図の上を指でなぞりながら、僕が考え抜いた前代未聞の『無血の防衛計画』を具体的に説明し始めた。
「まず、敵の進軍ルートであるこの森に、ドワーフの皆さんの力を借りて非殺傷の罠を百以上仕掛けます。
落とし穴、吊り網、催涙効果のある植物の胞子、幻覚を見せるキノコ。殺さず、傷つけず、ただ敵の戦意と体力を徹底的に削ぎ落とすための罠です。
次に、ミリアと兎獣人の皆さんにはゲリラ戦をお願いします。ただし狙うのは兵士ではありません。彼らの食料を運ぶ、補給部隊だけです。腹が減っては戦はできませんからね
極めつけは、僕たちの守り神、ハクの力だ。ハクには敵軍が森で完全に疲弊しきったタイミングで、この一帯を深い、深い霧で包んでもらう」
僕の奇抜な、しかしどこか楽しげですらある作戦の説明に、村人たちの顔から少しずつ恐怖の色が消えていった。
代わりに、彼らの瞳に宿り始めたのは好奇心と、かすかな希望の光だった。
「――いいかい。僕たちの目的は、敵を殺すことじゃない。彼らを心身ともに疲れ果てさせ、恐怖に陥れ、『二度とこの村に関わりたくない』と心の底から思わせて、自分たちの足でこの土地から逃げ出させることだ」
僕は全ての計画を語り終えると、もう一度皆の顔を見渡した。
「僕たちのやり方で、僕たちの故郷を、僕たちの手で守り抜こう。世界に示してやろう。力だけが全てではないということを」
僕は右手の拳を固く握りしめた。
「――さあ、僕たちのやり方で、客人を盛大にもてなしてやろうじゃないか!」
僕のその言葉を合図に、それまで広場を支配していた沈黙は爆発した。
「「「オオオオオオオオオッ!!」」」
それは、恐怖を乗り越えた者たちが発する、力強い、力強い鬨の声だった。




