44.名もなき酒場
開いている酒場。
その言葉に私がどれだけ歓喜したか、言葉で表すことは難しい。
全身はふるふると悦楽に震え、脳髄にはドーパミンが溢れかえり、咥内に湧き出る唾液が止まらない。
すぐにでもそこへいってお酒が飲みたいのに、不意打ちの衝撃で思った通りに身体が動かず、もどかしい。
飲みたい。
お酒を。
救いを求めるよう、モチリコちゃんのほうへとゆっくり手を伸ばす。
モチリコちゃんが優しく私の手を握りしめ、にっこりと女神のような笑顔を浮かべる。
「な、泣いてる……!?」
後ろから聞こえたみゃあらちゃんの声で、自分の頬が濡れていることに気づく。
そうか、私は泣いているのか。
「大丈夫ですよぉ。お店は逃げませんからぁ」
その優しい言葉と、両手を包み込むぬくもりのおかげで、ようやく少しばかりの落ち着きを取り戻す。
私は足元を踏みしめ、力を込めてモチリコちゃんへと頷きを示した。
「いこう……そのお店へ」
モチリコちゃんに先導されて、私たちは細く仄暗い道を進む。
とはいえ周りに比べてその道が細いということではなく、そもそもこのあたりには大きな道というものがないのだが。
貧民街といわれるだけあって、周囲の様子はなかなかに個性的なものである。
土地の有効活用のためか、ぎりぎりまで詰めて建てられた家々の間隔と、横がなければ縦に延ばせばいいじゃないといわんばかりに、張りぼてのように無理やり伸ばされた二階、三階のせいで空が極端に狭い。
夕陽の光は満足に差し込むことはなく、空気がどこか退廃的な雰囲気で満ちているように感じられる。
道端に転がる、黒こげになった謎の物体。ところどころ崩れ落ちた石壁に残された、妙にカラフルな落書き。窓枠にガラスが満足に嵌っているほうが珍しいといった有様は、ゲームの中でなければ立ち入ることすら躊躇いそうなほどに刺激的な街並みである。
そんな中、私たちは目的の場所を目指して歩みを進める。
「到着でぇーす」
少しばかり入り組んだ道を数分ほど歩いた先で、モチリコちゃんがそういって足を止めた。
しかし目の前には周りと同じような怪しげな建物があるだけで、特に開いている店はなさそうに見える。
私が不思議そうにきょろきょろとしていると、モチリコちゃんはとっておきの秘密を教えるように、にんまりと笑いながら建物の中へと足を進め、暗い地下へと続く階段をためらいなく下りていく。
「あー、なるほど。地下なんだ」
私は感心したようにつぶやく。いかにも裏世界の酒場といった風情がある。
「足元気を付けてくださいねぇ、すごく暗いのでぇ」
「よく見つけたねー、こんなところ」
「私たちもまさかここがお店だとは思ってなかったんですけどねぇ。なんとなく怪しげな階段があったから降りてみたら、びっくりしましたよぉ」
階段を降りた先に、安普請な扉が目に入る。
扉の先からは人々の話し声と、意外にあたたかな光が漏れている。
私が期待に胸をときめかせながらゆっくりと扉を押し開けると、うっすらとした暖色系の光が広がった。
「ほわぁっ……!」
そこはいかにも悪い大人たちが葉巻に火をつけてブランデーグラスを傾けていそうな、夜の空気に満ちたバーだった。
店の奥行きはそれほどでもないが、天井がやや高く、地下だというのにさほど息苦しさを感じることはない。
控えめに設定された照明が、薄暗く周囲の空気を照らしている。一見して決して高級な調度品は置いていないようだが、雰囲気作りのセンスがいい。
カウンターと数個のテーブルがおかれた店内を見渡すまでもなく、見知った顔が目についた。
いつもの男性陣三人組がカウンターに並び、肩を揺らしながら談笑している。
明らかなイケメンオーラを漂わせる三人組がお洒落なバーでグラスを傾ける姿というのは、知り合いとはいえ、なかなかクルものがある。
「お、来たな、うわばみ姫」
私たちの姿を見つけ、そういってグラスを掲げるイングベルトさん。
「姫って柄じゃないでしょ、私」
「ぶはっ、否定するのそっちなんだ!」
いや、うわばみだって決して年頃の女子に向けて言うような言葉ではないとは思うが。
「まぁ……それなりに呑兵衛の自覚はありますし」
イングベルトさんはそうかそうかと何度も頷きながら、思い出したようにくつくつと笑ってはグラスを傾けている。
ひょっとするともうだいぶ飲んでいるのだろうか、テンションが高い。というか笑いの沸点が低い。
くそぅ。私がダンジョンに潜ってスライムに喰われたり団長さんを説得してる間に楽しくお酒を飲んでいたとは。
そんな八つ当たりの気持ちがふつふつと湧き出てくるが、すぐに私も飲めるのだと考え直し心を落ち着かせる。
カウンターに全員で座るのは手狭そうなので、私とモチリコちゃんは手近なテーブルへと腰を落ち着けた。
メニューはないが、カウンターの奥にずらりと並ぶ酒瓶を見る限り、適当にお酒を頼めば大抵のものは作ってくれそうである。
とは言え。そう、とは言えだ。
「やっぱりまずはビールだよね」
「うふふぅ、そういうと思いましたぁ。まとめて頼んできますねぇ」
そういってモチリコちゃんが注文のために席を立つ。
そこでふと店の入り口に立ったままのみゃあらちゃんが目についた。
「みゃあらちゃんなにやってるの? こっち来て一緒に座ろうよ」
あ、それとももしかして男性陣の隣がいいのか? このおしゃまさんめ。
彼女だけをカウンターへと送り込むために、どうやって気の利かせたことを言おうか悩んでいると、所在なさげにみゃあらちゃんが呟いた。
「いや……つかアタシここ入っていいの……? なんか未成年の立ち入り禁止とかありそうなんだケド……」
その言葉を聞いた私とモチリコちゃんが思わず固まる。
困ったように眉を寄せるその表情も相まって、なんというか今のみゃあらちゃんが猛烈にかわいい。
そういえばNPCのクロエちゃんと違って、みゃあらちゃんには本当に未成年の中身がいたのだったか。正確に何歳かは知らないけど、たしかに中学生の頃なんてバーとか入ったこともないよね。
「私ぃ……今不覚にもキュンってしちゃいましたぁ……」
「わかる……!」
今まで一人のプレイヤーとして対等にとらえていた少女が不意に見せた、年相応の子供らしさに、私たちは揃ってノックアウトされかけていた。
もちろんみゃあらちゃんのかわいらしい心配事は無用である。頼めばソフトドリンクだって普通に出るだろう。最低でも割りものとしてミルクやソーダ、オレンジジュースくらいは用意してあるはずだ。
「お酒飲ませるわけにはいかないけど、お店に入る分には平気だよ。こっちおいで」
私がそういって背中を押すと、みゃあらちゃんは恐る恐るといった体で店内へと足を踏み入れる。
その姿からは今までの勝気な性格は感じられず、突然テリトリーの外へと連れてこられた小動物の姿を彷彿とさせた。
男性陣も、そんな彼女の初々しい姿を目を細めて眺めている。
「な、なんだよ! そんな目でアタシを見るな……っ!」
いやぁ、ここにきてパーティに萌えキャラが増えるとは思わなかったなぁ。
これはおいしいお酒が飲めそうである。





