真実の土曜日8
屋上には冷たい風が吹いていた。町のほうではまだ多くの火の手が見えていて、暗闇を赤く照らしていた。そんな凄惨な町の様子とは裏腹に、反対側の空には星が普段よりもはっきりと輝いていて、こんなときなのにも関わらず、千絵はこの世界にきて初めて美しいものを見たような気がした。
千絵は手元の灯りを頼りに、ビニール紐で直の両手を縛りつけていた。彼女のすぐ後ろには金網があり、そこに彼女の両手を繋いでいるのだ。そこからは虚空が透けて見え、それが一層千絵の胸を寒々しくさせていた。
「ごめんね。直ちゃん……」
千絵は震える手で紐を縛り終えると、苦しげにそう言った。
「ううん。千絵ちゃんが謝るようなことじゃない。千絵ちゃんは悪くないよ……」
直は後ろ手になりながらも、千絵に優しい声をかけた。そんな彼女の優しさに、千絵は胸が締め付けられる思いがした。
直はあのとき、千絵に逃げてと懇願した。しかし、それに従うことはできなかった。直が危険にさらされているというのに、自分だけがそこから逃げるなど、できるはずがなかった。
千絵は振り返り、そこにいる人物に目を向けた。片手には懐中電灯を持ち、もう一方の手にはスタンガンが握られている。それを持つ彼は、この場では絶対的な優位者だった。
「宮島くん。これでいいの?」
「ああ。本当は両足も縛っておきたいところだけど、可哀想だからね。清川さんも馬鹿じゃないし、自分が変な動きをしたらどうなるかくらい想像できるよね」
宮島透は、懐中電灯の灯りの中で薄く笑ってみせた。
「さあ、次は吉沢さんの番だ。あんたのは俺がやってやるよ」
透はそう言うと、肩から提げていたショルダーバッグからビニール紐を取りだし、直の隣に千絵を並ばせた。透は千絵を後ろ手にさせると、すばやくそこにビニール紐を巻いて、金網へと括り付けていった。
「あなたがXだったのね……」
作業を終えた透に千絵がそう言うと、彼は床に置いておいた懐中電灯とスタンガンを拾ってからうなずいた。
「うん。あんなにヒントを出してあげてたのに、なかなか気がついてくれないから、結局こうして自ら正体をばらすことになっちゃったよ」
「三年一組の教室の前で倒れていたのも演技だった……」
「そう。おもしろいくらいにみんな引っかかるんだもんな。笑いを堪えるので必死だったよ」
透は今度は本当に笑い出した。しかし千絵には、その笑い声がとても虚しいものに聞こえた。
「どうしてこんなことを……っ! みんなあなたを仲間だって信じてた。スタンガンでこんなふうに仲間を脅かして、いったいなにをしようとしているの?」
千絵は、悲しみで胸が張り裂けそうになりながら、そう叫んだ。
「へえ。吉沢さん。今日はいつになく饒舌じゃん。そんな声、出せるんだ?」
「今はあなたの指示に従っているけど、直ちゃんになにか危害を加えようとするなら、わたしは体を張ってあなたのことを止めるわ。直ちゃんのためならわたし、なんでもできるんだから!」
「千絵ちゃん……っ!」直が千絵の横で悲痛な声を上げていた。
先程の光景が、千絵の脳裏に蘇る。直は千絵とともに、透を保健室に運ぼうと彼を抱き起こしていた。そうして彼を立ちあがらせたそのときだった。
透はどんと千絵を突き飛ばすと、直を後ろから羽交い締めにした。そしてその手にスタンガンをかまえ、直の首もとに当てたのだった。
千絵はその光景を見て、ぞっとした。それが自分だったなら、まるで構わなかった。けれど、直が危害を加えられるのだけは、とても耐えられなかった。
直はそのとき千絵に逃げろと言ったが、千絵はそれには従わなかった。そして、直を盾に取られた形となった千絵は、透の指示に従うことになったのだった。直もまた、透におとなしく従った。へたに逆らえばスタンガンを浴びせられてしまう。そうなってしまっては、そのあとなにが起きてもどうしようもできなくなる。透の指示に従うより仕方がなかった。
透は千絵の先程の台詞を聞いて、ふんと鼻で笑っていた。
「なに言ってんの? その状態で。助けようにも自分自身が動けないんじゃどうしようもないじゃん」
「それでも……護る。直ちゃんになにかするなら、代わりにわたしがなるから……」
「ふうん。美しい友情って言いたいところだけど、それって本当にそうなのかな?」
「どういう意味……?」
「この際だから、いろいろ訊いてみたかったことを訊いてみようかなと思ってさ」
千絵は、透の意図がわからなかった。なぜ今そんなことを訊ねようなどと思ったのか、理解できなかった。
「清川さんと吉沢さんって、傍目にはちぐはぐというか、全然釣り合いの取れていない二人に見えるんだよね。かたや美人で成績もトップクラスの元生徒会長。かたや地味で運動音痴な小市民」
「そんなこと、言われなくてもわかってる。わたしは直ちゃんとは全然違う。直ちゃんはわたしなんかより、ずっとずっと素敵なんだって……っ」
「そう。それなのに、どうして平気で一緒にいられるのか、俺には理解できない。普通は自分よりも才能があったり美人だったりする人が近くにいたら、妬まずにはおれないはずじゃないのか? そいつの不幸を願うんじゃないのか?」
透の言葉に、千絵は耳を塞ぎたくなった。だけど、そうすることはできなかった。今両手は塞がれたままだ。それに、彼の今言った言葉は真実でもあった。
「それは……」
「ほら。そんなこと、一度は考えたことあるだろう? 自分よりも恵まれた人物を妬んだことがないなんて言わせない」
「一度もないなんて、そんなことは言えない。だけど、直ちゃんはわたしの恩人なの。直ちゃんがいるから、わたしは学校に通えている! 直ちゃんのおかげでわたしはこうして今生きていられるのよ……!」
「それが偽善だってことを、考えたことはない?」
なにを言い出すのだろう。透は、千絵からなにを聞きだそうとしているのだろう。
「偽善なんかじゃない! 直ちゃんはわたしの親友なの。直ちゃんはいつでもわたしの味方だったんだから……っ」
「へえ。おもしろい。その友情ごっこがどこまでのものか、見てみたいもんだな」
透がそう言ったときだった。突然屋上の扉が勢いよく開き、そこから人影が飛び出してきた。




