静寂の金曜日5
二年前の春、美術部に新入部員として三人の生徒が入部した。
清川直。吉沢千絵。そして、ただ一人の男子部員となった水野正。
彼の描く絵は、とても繊細で、美しかった。男性とは思えないほどの優しい絵を描く人だなと、千絵は感心して見ていたものだった。
水野正はその絵のように、とても繊細そうな少年だった。無口で、部活でもほとんどしゃべらない少年だったが、同じように引っ込み思案な性格の千絵とは、なんとなく波長が合ったようで、ときおり言葉を交わすようになっていた。
直がなにかの用事で部活に遅れてくるようなとき、千絵が一人で美術室にいくと、いつでも先に彼の姿があった。数人いる先輩たちは、部活には遅めに来ることが多かったので、千絵は水野と二人きりになることが多かったのだ。
そして、彼の絵に変化が現れていたことを、千絵はそうとは気づかぬうちに気づいていたのだった。
最初のころ、千絵は彼の絵が好きだった。千絵には到底描くことのできないような緻密なタッチは、まるで本物がそこにあるかのようにリアルに見えて、正直にすごいと思っていた。
しかしあるころから、その絵のなにかが違ってきていた。以前にはあったはずのなにかが、そこには抜けていた。生き物を描いていても、それはとても写実性に優れていて、本物のように見えるのに、なぜか作り物のようにしか思えなかった。本物にそっくりの作り物を描き出している。そんなふうに思えてならなかった。
あるとき千絵は、彼にそのことを訊ねてみた。
――この絵、とてもよく描けているけど、なんだか生きてる感じがしないね。
すると彼はこう言ったのだ。
――それは、心がないからだよ。心がないふうにしか、描けないからだよ。
あの言葉に、どれだけの意味が込められていたのか。そのとき千絵はそれ以上追求することはしなかったが、あのときにもっと話を聞いていればよかったと今になって思う。彼の苦しみを、少しでも和らげることができたかもしれない。そう考えると、深い自責の念が沸いてきた。
千絵にはきっとわかってあげられたはずなのに。馬鹿にされたり蔑まれたりするほうの気持ちは、千絵にも痛いほどよくわかっていたはずなのに。
あの教科書を見たときに、誰かに言うことだってできたはずなのに――。
それは、千絵の犯した重大な罪だった。わかっていて見て見ぬふりをするのも、それは罪だ。いじめに気づいていながらなにもできなかった自分の小ささが、たまらなく嫌だった。
これが直だったならどうだったろう。あの教科書を見たのが彼女だったなら、きっと正面から立ち向かっていったはずだ。直は対岸の火事に首を突っ込む人はいないと言ったけれど、きっと彼女はそれをほうってはおかなかったはずなのだ。
(水野くん。ごめんね。気の弱いわたしでは、あなたを助けられなかった。ごめん。ごめんなさい……)




