26話 支配を求める物
少年が寝てしまうと、マーダは私と向き合った。
「おや、アレスさんにも召し上がっていただこうと思ったのに食べられてしまいましたね」
言うほど残念でもなさそうに笑う。
私は息苦しさから逃れようと、少年を抱き込んだ。
「そんなことをしても、ここからは2人とも逃げられませんよ」
あれ?なんだか身体が重い。
不思議に思って足元を見ると、色のない物が蠢いている。まるでセメトルンだ。
ニョロッとして粘ついているものが足首の周りをグルグルと巻いて、徐々に上に上がってくる。
「うっ」
気持ち悪!
「おや、これが見えますか?ふむ」
マーダが嬉しそうに笑う。
「これが何かわかりますか?」
「わかるわけが、な、」
ぎゃ〜、腕まで上がってきた!
「支配を受けぬとコレは、無作為に魔力に食いつく生き物でしてね。大概の人の器はその時崩壊してしまいます」
その生き物が、むっちゃ私に食いついて来てるんだけど!
「コレが食いつけない肉体を持つ者は、人外の者か忌々しい王の血を引き継ぐ者だけなのですよ。含有する魔力量の多い者から順に食いつくので、きちんと支配しておかないと、気がついたら村が1つ消滅しているなんて笑えないことになりかねません」
見境ないな!
ああ、引き剥がしたいのに掴めないし、コレ。
「少し前まで、これを支配していた別の人物がいたのですがね。私も彼の支配対象になっていて逆らえなかったのですよ」
言いながら、人形のように表情が削ぎ落ちているのをみると、言い知れない不安が湧いてくる。
「ところが7年ほど前になるでしょうか。突然彼の支配から抜けることができまして、今では人としての思考能力を残したコレは私だけになったのです」
言っていることが、さっぱりわからない。
「コレはあなたってこと?」
マーダは肯定も否定もしない。自分のことを話しているのに、まるで自分のことではないみたいだ。
「元々は、マーダという人は敬虔な教会の下っ端神官だったのです。知っていましたか?」
知らんわ!
「どうです、アレス。その少年と子でも作りませんか。私ではあなたとの間に子ができませんからね。ああ、でも彼との間に生まれた子は支配対象になるのでしょうか?」
話が飛んだ!
「あなたの言ってること、さっぱり理解出来ないんだけど!」
「そうですか?ふむ。私は新しくて丈夫な魔力に耐えられる肉体が欲しいのです。本当なら、長い間年を取らないドウシタンタ人の身体がいいのですが、もう帰れません。他の国の人との間には子ができないのが我々ドウシタンタ人ですからね」
マーダが出自を明らかにする。
ナンテコッタ人ではないの?
「この身体では次なる境地にはたどり着けませんから、新しい器が必要なのですよ。彼が長い時をかけて成し得なかったことを、私が成してみようかと。まあ、魔力に強いナンテコッタ人でもいいかと思ったのです」
消去法!
「この身体もそろそろ50年経ちますから、あと10年したら朽ちていきます。今、子が生まれれば丁度いい時期になるでしょう。私が身体を乗り換えるのに」
ダメだ。頭が彼の言うことを理解するのを拒否してる。
「最初はあなたの身体でもいいかと思っていたのですが、女はいろいろ不便ですし、ね。いいところに少年が来たと思えば、その少年は私の支配を受け付けないようです」
見ると、その透明ウネウネは少年には巻きついていない。
まあ、猫耳ついてるもんね。支配を受け付けない人外さんだよね。
私には首まで巻きついているけど、って見なきゃよかった。
うう。
「こうして、飲み込まれていくのを見るのは趣味ではないのですよ。私、普通の感性を持っているので」
どこに普通の感性があったのか教えてくれ。
「しばらくしてあなたが飲み込まれた頃、また来ましょう」
マーダは無表情でそう言うと、部屋を出ていった。
少年はまだ起きない。
私が、飲み込まれるってどういうこと?
新しい身体って、どういうこと?
さっきのマーダを思い出す。あれはもう人ではなかった。
……コワイ。
魔力が使えない状況の私って、こんなにも何もできない存在なんだろうか。
情けなさと、得体の知れない物への恐れとで、視界が滲む。
こんなことになった時、助けてくれそうな人はばあばか彼しか思い当たらない。でも、ばあばはもういないんだよ。
……ラージ。
私、死ぬのは怖くないけど、私の身体が私でなくなるのはイヤだ。
私の顔をして、私が私じゃなくなるのはイヤだ。
さっきから、透明なコレは皮膚を破ろうとして何度も体当たりしている。
こわいんだ。
「ラ、ラージ。ラージ」
声が震えて、鼻声になった。透明のが次第に数を増やしている。
「ラージ!」
『……まさか、アレスか?』
ラージの声が聞こえる。
「ラージ!」
『今どこにいる?前の部屋にアレスはいないし、そもそも見張りがいて入れない』
首にかかった電話から、ぐもった声のラージの声だ。
ラージが部屋まで来てる。
なんかわからないけど、がんばれる気がしてきた。
「宿泊所の玄関横の部屋にいるの」
『すぐ行く』
少年からもらった電話にもコレは絡みついて、魔力が消えていくのがわかる。
「お願い、ラージ。私が私じゃなくなったら、私を殺して」
透明のコレが首を覆って、嫌悪感から声が震える。
でも、もう絶望感はなくなった。
『……何があった?……おい!』
電話に溜められていた魔力がなくなったからか、交信ができなくなった。電話の魔力を食い尽くしたコレがまた私に戻ってくる。
でもよかった、最低限のことは伝えられた。
ラージ、変なこと頼んで、ごめんね。
さて、ここまできたら腹をくくるしかない。やれる抵抗はやってみる。
まずは魔力で吹き飛ばしてみよう。
えい!
力を入れるとコレがなぜか増えた。
食いついたコレの食料が増えて、コレの数も増える。
ってマジか。
よし、燃やしてみるか。
えい!
おおう、仲間を犠牲にして火を消してしまった。
次から次へと湧いてきて、火を消す水の流れみたいに見える。
お前らどんだけいるんだよ。
凍らせてみる?
えい!
うう、ガリガリと食いつく共食い劇場が始まった。
……気持ち悪い、やらなきゃよかった。
えっと、私のできる攻撃方法ってあと何があったっけ。




