38 帝国からの真実と、母の名
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エミリアーナは下を見ては、所々地面に飛び出している木の根を避けながら、慎重に歩く。
「貴方の父上様からは、今は伏せるように頼まれています。ご本人からお話ししたいようです」
「どうしてもと言っても駄目なのでしょうね? お母様はどうしていらっしゃるの?」
「その……、母上様はすでに亡くっていらっしゃいます」
「そう……なの」
実母に会えるかもしれない、とエミリアーナは少しだけ期待していた。
「馬車の事故で亡くなった、私の両親だと言われていたおふたりはどなただったの?」
「女性の方は、侯爵夫人のご令妹ユーリア様なのは間違いありません。それから男性――キリト様ですが帝国出身の方です。
元ブラックストン子爵家の次男だったとか」
「ブラックストン家……。元ということは今は貴族ではないということね?
……結局私は侯爵家と血の繋がりはなかったわ。お父様達はこのことをご存じだったのかしら?」
「おふたりが結婚されていたのはもちろんご存じです。
ただ子爵家の次男ということは、キリト様ご夫婦が秘密にされていたようです。
旦那様も奥様も、貴方のことを本当の姪だと思っていらっしゃいました。ユーリア様は当時帝国で仕事をされていて、結婚の報告も手紙のみだったそうですよ」
「ご実家からよく結婚の許可が出たわね。貴族はそういうことに煩いでしょう?」
「ユーリア様は庶子だったそうです。彼女は成人するとすぐにご実家を出て帝国に留学し、あちらでお仕事に就かれたらしいですよ」
「そうだったの……。初めて聞く話ばかりだわ。お父様達は、今は全てをご存じなのね?」
「はい。旦那様にだけは私からお話ししました。ご家族に話されるかどうかは分かりませんが」
「そう。……私はこの国で生まれたと聞いていたのに」
ずっと両親だと思っていたふたりの記憶はエミリアーナにはない。彼女を育ててくれたのは侯爵家の父母で、育ったのもこの国だ。
「それについてですが、出自を偽装されたと考えられます。最初からお嬢様をご自分の子として育てるおつもりだったのでしょう。
ユーリア様は妊娠していましたが、貴方を連れてこの国に戻って来ました。ご実家ではなく、キリト様と小さな家を借りて生活されていたようですよ。
……残念なことに流産されてしまいましたが」
「でもブラックストン子爵家の次男だったことと私の出自に関して、どうして隠す必要があったのかしら?
それに実の両親がなぜおふたりに私を引き渡したのか、何か理由があるのでしょう?」
「キリト様のご身分についてですが、ふたつ理由があると思われます。ひとつ目は彼は平民として商売をしたいと常々言っていました。
貴族の身分が邪魔だったのかもしれませんね。
それにブラックストン家はあまり裕福ではありませんでした。ご兄弟が継ぐほどの領地は無く財政も相当厳しかったようです。
父親の代で、領地と爵位を国に返上したそうですよ」
「確かに貴族となると、領地を運営するのにも多額のお金が掛かるわ。父の領地経営を手伝って骨身に染みたもの」
エミリアーナは当時を思い出し嘆息する。
「ご長男はどうされていたの?」
「彼はご両親に結婚を反対されて、このカレンヌ王国に駆け落ちされたそうですよ? 子爵家で使用人として働いていた男爵家出身の侍女と一緒に……」
「えっ、そうだったの? それはご両親も心配だったでしょうね。……え? ちょっと待って」
「どうしました?」
「その話、どこかで似たような話を……」
エミリアーナは歩みを止めてゼンの顔を見つめる。彼女の心臓がドキドキと早鐘を打った。
「ええ、そうでしょうね。女神の差配か貴方が時の愛し子だからか……。縁というものは不思議なものです」
「貴方リリーの両親の事まで……。一体どこまで知っているの」
彼も立ち止まるとくるりと振り返り、警戒心を露わにする彼女をじっと見つめた。
「それともうひとつ。ブラックストン夫人も働いていたそうですよ。貴方の母アンリエッタ様の邸宅で乳母として――」
「……!」
その時ざあっと一陣の風が二人の間を吹き抜け、エミリアーナの髪を舞い上がらせる。
「当然驚きますよね? 俺もでしたから」
「……詳しく説明してもらえるかしら?」
エミリアーナが思っていた以上に、冷静で冷ややかな声が出る。
「ええ、もちろんです。貴方の母上様のお名前は、アンリエッタ・イエローラインとおっしゃるそうです」
「アンリエッタ・イエローライン……。イエローラインという家門は特に記憶には無いわ」
「人目を避け、ひっそりとお暮らしになっていたそうですよ」
「どうしてか貴方はもう知っているのね?」
「はい」
ゼンは空を仰いで息を吐き出すと、真剣な顔をしてエミリアーナに近づいてくる。
「どうかお心を強くお持ちになって聞いてください。……アンリエッタ様は、何者かに毒殺された可能性があります」
「毒殺……?」
彼の衝撃的な言葉に、彼女はガクガクと足が震えてその場に膝から崩れ落ちた。
すぐにゼンが彼女を抱きしめるが、身体の震えは止まらなかった。
「お嬢様、大丈夫ですか? すみません、一度に話すべきではありませんでしたね」
「お母様が毒殺されたって……本当に?」
「ええ。ブラックストン夫人の訴えによって明らかになりました。今、帝国で秘密裏に調査をしているところです。
高位貴族が関わっている可能性が高くなりましたので」
「あ……。お母様はどうして殺されたの?」
「おそらく、父上様と関係があるかと」
「父が? どうして?」
「貴方のご両親が結婚なさるのを良しとしない者がいた、というのが我々の考えです」
「そんなことで……」
エミリアーナは聞かされた事実に愕然とする。
「薄々お気づきかもしれませんが、貴方の父上様は高位貴族でいらっしゃいます。当時その配偶者の地位を狙う家門は沢山あったでしょう。
夫人はアンリエッタ様が毒殺された事に気づいた後、生まれて間もない貴方を逃がして欲しいと息子のキリト夫妻に託したそうです。
彼らが身分を隠し続けたもうひとつの理由と、貴方の出自を偽ったこと。全ての始まりはここからだと思われます」
「お、お父様は? 父は助けてくれなかったの?」
「……父上様は何もご存じなかったのです。ふたりの結婚を反対されていることを知って、アンリエッタ様は身を引かれました。
しかし、彼女のお腹にはすでに貴方がいたそうです。
父上様に内緒で出産されたそうですが、お嬢様が生まれたことを嗅ぎつけた者がいたのです」
「そんな……、酷いわ」
ゼンは呆然とする彼女を抱きしめる。
「その後は貴方のお知りになっている通りです」
「……馬車の事故も、お父様の関係者の誰かが起こしたことなの?」
「それも調査中です。ただ当時の盗賊達がすでに姿を消していまして難航しています。消された可能性も否めません」
「それでも私はまだ生きているわ……。あの馬車の事故に遭ってから、特に命を狙われた事は無いの。
ねぇ、これからも狙われる可能性があるということ?」
エミリアーナは怖くなって、ぎゅっと彼の腕にしがみついた。
「お嬢様の周りには護衛が常におりますから、手を出しづらいのかもしれません。そもそも相手の狙いは次期公爵の地位です。
貴方が何も知らずこの国で暮らしていくのであれば、安全だと思われます。
現在真実を知る者は、犯人達とブラックストン夫人のような使用人だけですし」
「夫人は今、無事でいらっしゃるの?」
「ええ、それは大丈夫ですよ。心配しないでください」
ゼンはエミリアーナの髪を愛おしそうに撫でる。
「……どうして今なの?」
エミリアーナは彼の顔を見上げ、今にも泣き出しそうだ。彼はふぅと息を吐き出した。
「本当に貴方は不思議な存在ですよ。こんなことは初めてで俺自身も驚いています。
……以前神殿で、老紳士が尋ねて来たことがありませんでしたか? 相談にのって欲しいと」
「老紳士……?」
エミリアーナはぼうっとする頭を一所懸命に働かせて、記憶をたどる。
「……確かにいらっしゃったわ。カードで占って欲しいと言われて、最後に私のことを『聖女様』って仰ったの。
彼は帝国にお知り合いがいて、その奥様から相談を受けたと……」
「そう、その方です。彼の知り合いの夫婦というのはブラックストン夫妻です。リリーさんの祖父母ですよ」
「そんな……」
エミリアーナはポロポロと、とめどなく涙を流した。
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