36 リリー、爆走任務へ行く
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「――お嬢様!!」
リリーはエミリアーナが馬から降りると、彼女に飛びついてきつく抱きしめる。
「エミィ姉さん!」
「エミィ姉様良かった、ご無事で。本当に……」
「リリー、ふたりを守ってくれてありがとう。3人とも無事で良かったわ。それより貴方、また服が汚れてしまうわよ?」
「いくら汚れようが、そんなこと構いません」
エイシャとアダリナも、泣きじゃくりながら両手を握り合っている。
エミリアーナがふたりを呼び寄せると、4人で抱き合ってしばらく泣いた。
「ご無事でようございました」
「貴方達にも、心配掛けてごめんなさいね」
レーモンを始め、ダッドリーや屋敷の使用人達も総出で出迎えてくれている。
エミリアーナはひとまず屋敷へ戻って来られたことに安堵していた。
「さあ、中へ入りましょう」
レーモンに促され、着替えのために自室へと戻る。
◇◆◇◇◆◇
「お嬢様、準備は滞りなく進んでおります」
「――! 気が付いてくれたのね? 安心したわ」
エミリアーナが湯船に浸かり汚れを落としていると、リリーが周りに気付かれないようヒソヒソと囁く。
「ただ、一番始めに気が付いたのがダッドリーさんでして……」
「あら、そうなの。意外だったわね?」
「ええ。肩の上にアイビスを載せたまま歩いていらっしゃったので、驚きましたよ。必然的にレーモンさんにも知られてしまいました」
「まあ! 彼はアイビスの爪で怪我はしていなかった?」
「ええ、大丈夫な様子でした。……それで、おふたりに協力していただけるようです。
ダッドリーさんは危険だと反対されていましたが、レーモンさんが必死に説得されました」
「そう、心配してもらえるのは嬉しいわね。……それにしてもレーモンは本当に頼りになるわ。
私専属の執事になってもらいたいぐらいよ」
「はい、本当に。お嬢様がお帰りになられたことは監視の者も含め、屋敷の者全員が知っておりますので慎重に行きましょう」
エミリアーナは身体に付いている水滴を拭き取り、簡素なワンピースに着替える。
そのまま簡単に自室で食事をとって、ふたりは1歩も部屋から出なかった。
◇◆◇◇◆◇
コンコン――
エミリアーナは灯りを掲げ、木の扉をノックするリリーの後ろにいた。ギイと音をたてて扉が開く。
「お待ちしておりました」
暗い通路に明るい部屋の灯りが差し込むと、エミリアーナは眩しくて目を細める。
「こんな場所があるのね、知らなかったわ」
「この屋敷では私とダッドリー、あとはメイド長しか知りません」
「バートは知らないの? もちろん先代様はご存じなのでしょうけど」
「大旦那様はもちろんご存じです。坊ちゃまは、あまりご興味がないようでして……」
「そう。今だけは彼の怠慢に感謝しないといけないわね?」
エミリアーナはソファに座ると嘆息した。
「捕らえたならず者達の中に、借用書と誓約書を所持している者がおりました。
こちらが、バート様とグッドマン伯爵家子息のアダム様が署名されたものです。確認致しましたが、もはや我々がどうにかできるような金額ではございませんでした」
レーモンがスッと書類を差し出す。部屋の中には他に、側近のダッドリーとゼンがすでにいた。
早めに来ていたのか、ゼンが地図を眺めながら腕組みをする。
「街道沿いの見張りも増えたようなんですよ」
「侯爵家も駄目だったわ。これを持って父の元へ帰るのが一番良いのだけど……。あとは北か南を通って迂回するしかないわ」
「かなりの遠回りになりますよ、お嬢様……。私、皆さんに提案したいことがあるのですが」
「どうしました、リリーさん」
地図を見ていたゼンが彼女の方を振り返る。
「私が侯爵家まで証拠の書類を運びます」
「危険過ぎるわ、リリー」
「いいえ、お嬢様に2度も助けていただいたこの命です。今、私が行かなくてどうするのですか?
絶対に危険なことはしないとお約束致しますから。必ずお役に立ってみせます」
リリーの決意は固そうだ。エミリアーナが反対するが、頑として譲らない。
「確かに彼女なら、気付かれずに行ける可能性は高いかもしれませんねぇ」
ダッドリーが地図とリリーを交互に見ながら呟く。
「お願いします、お嬢様!」
縋り付くリリーに困惑しながら、エミリアーナは決めかねていた。
「しかし彼女に運んでもらうとなると、エミリアーナ様を匿う場所を用意しなければなりませんな。
この屋敷にも護衛はいますが、今となっては誰が味方で誰が敵なのか見分けがつきませんからね」
「そうだなぁ……、何処かに良い場所はないだろうか。
そもそも旦那様が絡んでいる時点で、この屋敷に彼女を置いておくこと自体が危険だ」
レーモンとダッドリーは真剣な顔で話し合っている。
「あの、今更だけど貴方達は本当にそれでいいの? 私の逃走に手を貸してくれることには感謝しているわ。
でもバートは雇い主でしょう?」
「何を仰っているのですか。当然でございましょう?」
「そうですよ。旦那様の尻拭いをなぜ貴方がしなければならないのですか。
辺境伯夫人となられたエミリアーナ様に、お仕えしたかったことは事実です。もちろん今もですが。
しかし誰かを危険な目に遭わせてまで、叶えたい願いではないのですよ」
「しかも、いつまた襲撃されるか分かりませんでしょう?」
ダッドリーとレーモンは当たり前だとでもいうように、エミリアーナの方を見る。
「二人ともありがとう。私はいろいろな物を失ってしまったけれど、人の縁にだけは恵まれていたわね」
彼女の言葉に、ふたりは照れくさそうに笑った。
「あの、ちょっといいですか? 非難先については俺に任せてもらえませんか?」
ゼンが3人の会話に割って入る。
「心当たりがおありでございますか?」
「俺は帝国に知り合いがいます。この辺境伯領からだと、侯爵邸よりあちらの方が随分近いですから。
国境さえ超えられればなんとかなると思います」
「しかし、国境には検問がございますよ。坊ちゃまが先回りしてエミリアーナ様を捉える可能性も否めません。
あれでも彼は辺境伯ですから理由はどうにでもできます」
「そうだなぁ。襲撃してきた者達ももちろん彼女の顔は知っているだろう」
レーモンとダッドリーの言葉にゼンは微笑んだ。
「お嬢様さっき渡した指輪に、神聖力を込めてみてもらえませんか?」
「え? ……ええ、いいわよ」
彼の言葉を不思議に思いながらも、エミリアーナは指輪に手をかざし目を閉じた。
ぽうっと彼女の手の平が明るく光り、指輪の色が変化し始める。
藤に似た薄い紫色から徐々に濃くなり、桔梗のような濃い紫へ変わっていった。
ゼン以外のその場にいる彼らは、驚嘆の言葉を漏らす。
「おお! これは――」
「お嬢様――」
「どうなったの? リリー」
エミリアーナ自身は特に何も変化を感じられなかった。
「ご覧ください、お嬢様!」
「えっ、どういうことなの!?」
リリーはいつもポケットに入れている小さな鏡を取り出し、彼女に見せる。
鏡の中には耳の辺りから毛先まで、薄い緑色をした髪色の女性が映っていた。光の加減によっては銀髪のようにも見える。
「瞳の色も銀色になってます!」
「本当だ!」
ダッドリー達も驚きを隠せない。
「灰色に近い銀、でしょうかね」
ゼンはまじまじとエミリアーナの瞳を見つめる。
エミリアーナはしばらく鏡をじっと見ていたが、ふと気が付いて彼の方を見る。
「全部の髪の色が変わったわけではないのね? 何だか中途半端だわ」
耳から上の辺りは多少色が変化しているが、以前のプラチナブロンドのままだ。
「それはまだ覚醒していないからだと思いますよ」
「覚醒?」
「ええ。愛し子は覚醒をもって聖女となる、と文献にもあります」
「随分詳しいのね?」
「そんなに警戒しないでくださいよ。敵ではありませんし、これからもなりませんから」
訝しげなエミリアーナの視線にゼンは慌てて弁解する。
「それについては、追々お話しますから」
「そう、分かったわ。今は貴方を信じるしかないもの」
彼はほっと胸を撫で下ろした。
しばらくするとエミリアーナの髪の色も瞳も、元に戻ってしまった。
「あまり長くはもたないのね。これで実家まで行けるかと思ったけれど」
「そうでございますねぇ。やっぱり私が行くしかありませんでしょう?」
「リリー、貴方が心配なのよ」
リリーはフフンと何故か自慢げだが、エミリアーナは彼女が心配でたまらない。
「国境だけ先ほどのお姿で行きましょう、お嬢様。帽子か何か被れば誤魔化せるはずです。俺もいますから」
「そうでございますな。エミリアーナ様、そろそろお時間が」
レーモンは時計を灯りの側に近づけて、正確な時間を確認している。
「……分かったわ。時間が惜しいわね、準備しましょう」
先ほど入ってきた扉をノックする音が部屋に響く。顔を覗かせたのはメイド長で、着替えを持って来てくれたらしい。
「ありがとう」
「いいえ、どうかご無事で」
彼女は深く一礼すると、また通路の奥へ消えて行った。
「さあ、着替えましょうお嬢様」
リリーに促され、隣の部屋へと移動するためエミリアーナは立ち上がった。
「エミリアーナ様。私は貴方に、辺境伯夫人としてこの屋敷にいていただきたかったです。今となっては叶わぬ願いですが。
主がご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ございませんでした」
「私も貴方達と共にここで過ごしたかったわ、いつも気に掛けてくれてありがとう」
ダッドリーが深く頭を下げると、隣でレーモンも深々とお辞儀をする。
エミリアーナも丁寧なカーテシーを見せた。
「さあ、お急ぎください」
レーモンに促され、メイド長が渡してくれた平民用の服にリリーと着替える。
「思ったより早く戻って来られたようですよ?」
彼女達が着替えを済ませ部屋に戻ると、固い表情のレーモンがふたりに声をかけた。
「全く、こういう時だけ鼻が利くというか……。もっと他のことに活かして欲しいものですねぇ」
「ふふふ、本当にね?」
「エミリアーナ様、案外落ち着いていらっしゃるんですねぇ」
「さすがにいろいろあり過ぎて、多少の事では驚かなくなったわ」
「そうでございますね、本当に」
呆れ顔のエミリアーナを見て、ダッドリーとレーモンは笑っている。
「では私は、旦那様をなるべく長く引き留めておきますので。どうか皆様お気をつけて。レーモン、あとは頼んだぞ」
ダッドリーはエミリアーナ達に一礼すると、暗い通路の奥に消えていった。
「ああ、任せてくれ。……では皆様、参りましょうか」
エミリアーナ達はレーモンの後ろを付いて歩く。先ほどとは別の通路へと足を踏み入れた。
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