25 奥様の密命と、押しかけ従姉妹ふたたび
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翌朝、レーモンは神殿から婚姻届を持ち帰ってきた。バートに急ぎ入手するよう指示されたからだ。
「エミリアーナ様、お忙しいところ申し訳ありません。執務室まで少しよろしいでしょうか?」
「あら、もう神殿から頂いてきたの? レーモン」
「はい、早朝に坊ちゃまから急かされまして……」
「本当にしかたのない人ね」
エミリアーナはレーモンと一緒に執務室へと向かう。彼は数枚の書類を手に、何度もこちらを振り返りながら少し前を歩いた。
眩しい朝日が窓から差し込む廊下を通り抜けると、執務室の扉が見えてくる。
レーモンが扉を開くと、いつもは朝が苦手な寝坊助バートがすでに待っていた。
「やっと来たね。さあ、そこに座って署名してよ」
「キャッ」
「坊ちゃま! 乱暴はいけません!」
バートは妙に落ち着きがなく、エミリアーナの腕を引っ張ると無理矢理ソファに座らせた。
レーモンが持っていた書類を引っ手繰ると、テーブルの上にバサッと広げる。
「これに署名すればいいんだな?」
「……はい、こちらとこちらの書類。あとはこれでございます。
注意書きが記載してございますので、よく読んで署名なさってください。そう神殿から申しつかっております」
「分かった。エミリアーナ、君もそっちの書類から署名してくれ」
レーモンが書類の説明をしようとするが、バートはほとんど聞かずにサラサラと署名をする。
エミリアーナが渡された書類にじっくり目を通していると、彼は彼女が名前を書くのを待ちきれないようだ。
「こっちは書き終わったからすぐに提出しておいて。僕は今から仕事に行くから、レーモンあとは頼む」
彼はそれだけ言うと、エミリアーナに気遣いもせずスタスタと部屋から出て行ってしまった。
「エミリアーナ様……」
「ええ、心配しなくてもいいわ。……これは封筒に入れて送らないといけないわね?」
エミリアーナはレーモンから大きめの封筒を受け取ると、書類を丁寧に折りたたんで入れた。
彼は彼女の隣に立ち手元をじっと見つめている。彼女は封筒に辺境伯の封蝋をすると彼に手渡した。
「レーモン、これをお願いできるかしら?」
「はい。私にお任せくださいませ」
レーモンは封筒を受け取ると、くるりと踵を返し扉へと向かう。
「……ありがとう、レーモン」
「いいえ、わたくしの務めでございますので」
彼はピタリと立ち止まり、丁寧に礼をして部屋を出て行った。
「お嬢様、よろしかったのですか?」
「ええ、大丈夫よ。……さあ、今日の仕事を片付けましょうか」
エミリアーナは執務机の椅子に座ると、積まれている書類を手に取った。
数日後アイビスが運んできた小さな手紙には、承諾の言葉とリーバスとティアナの婚約が成立したと書いてあった。
「お嬢様……」
「気にしないでリリー。少しだけ寂しいような気もするけれど、思ったより平気なの。だからそんな顔しないで?」
エミリアーナは微笑む。
リリーは困ったように今にも泣きだしそうな顔をしたが、すぐに笑顔を見せてくれた。
◇◆◇◇◆◇
10日後エミリアーナはダッドリーとともに、執務室で次の訪問先の予定を立てていた。
「大奥様からお手紙が届いておりますよ」
「レーモン、もう奥様とお呼びしてもいいんじゃないか?」
「気が早いわダッドリー。まだ国から証明書が届いていないでしょう?」
彼女とバートは、すでに婚姻届を城の担当部署に提出している。
それが受領され、国から認められて初めて辺境伯夫人と呼ばれるのだ。
今はまだ事務方の処理が済んでいないのか、国からの受領書と婚姻の証明書が届いていなかった。
レーモンが執務机の上にそっと手紙を置く。
「ダッドリー、私もそうしたいのは山々なんだがね……。エミリアーナ様こちらでございます」
「封が開けてあるわね、どうしてかしら?」
彼女宛の手紙が開封してあることなど今まで一度も無かったことで、エミリアーナは彼を問い質す。
レーモンは気まずそうな顔をすると、重い口を開いた。
「実は坊ちゃまから命令を受けております」
「命令? 何の?」
「貴方様の動向を、その……報告するようにと。手紙は必ず内容を確かめるようにと言いつけられております」
「なぜそんなことを? 理由は?」
彼女の表情が一変したのにレーモンは気付くと、彼は慌て始めた。
「私共も存じ上げないのです。坊ちゃまに理由をお尋ねしましたが、言うとおりにしろと仰るばかりで。
この手紙も私が手にした時には、すでに開封されておりました。
しかし我々使用人は、エミリアーナ様に敬愛の念を持ってお仕えしておるのは確かです。
どうか誤解されませんようにお願い申し上げます」
レーモンはそう言うと深々とお辞儀をした。
「そう、分かったわ。貴方達を疑ってはいないから安心して?」
「……それと坊ちゃまは先日数名の使用人を新たに雇われました。その中に密かに監視役が混ざっているようです。
さすがにアイビスのことは知らないようですが」
彼は周りをそっと確認すると、少し身を乗り出してひそひそと小さな声で彼女に囁く。
「……ダッドリーはこのことを知っていたのよね? もちろん」
「は、はい。申し訳ありません」
「……分かりました。理由が分からないのではどうしようもないわ。私がバート様にお伺いしてみるから」
彼も居心地が悪そうに視線を泳がせているが、エミリアーナの言葉を聞いてほっとしたようだ。
「とりあえず手紙を読んでみるわね。……あら、こちらへいらっしゃるようよ。エイシャ様を連れて」
「えっ、本当ですか?」
どうやら近いうちにこちらを訪問したいとのことだった。
ダッドリーとレーモンは、また彼女が問題を起こすのでは、と嫌そうな顔をしている。
「しかし今は旦那様が不在ですよ。お帰りになる日はもっと先だろう? レーモン」
「そうですな。屋敷の主人が留守なのですから、お断りされてもよろしいかと思います」
「それもそうね? では、そう返事を書いておくわ」
エミリアーナはこんな時ぐらい役に立ってもらわないと、とバートを理由にして断りの返事を書いた。
手紙は使用人の手によって、その日のうちにバーバラの元に届けられるらしい。
彼女はすぐに返事を書いたらしく、封もされていない手紙を読みながらエミリアーナは溜息を吐く。
「みんな聞いて。明日のお昼頃こちらへいらっしゃるそうよ。私だけいれば構わないですって」
「……お嬢様、何かお出ししましょうか?」
「今はいいわ、ありがとう」
リリーが気を利かせるが、エミリアーナは何かを口にする気にもならなかった。
夜になり自室へ戻ると、小さな紙に監視されているようだと書いた。手紙も全て開封されているとも。
アイビスの足の筒へ手紙を入れると、見つからないようそっと空へ飛ばした。
◇◆◇◇◆◇
翌日、バーバラはエイシャを連れ本当にやって来た。
「こんにちは、お邪魔するわね」
「お久しぶりでございます。さあ、こちらへどうぞ」
皆でエントランスから庭へ移動する。今日は庭にある東屋にお茶の用意をしてある。
以前はここに住んでいたためやはり思い入れがあるのか、バーバラの要望だった。
「アダリナはお留守番してれば良かったのに。ねぇ叔母様」
「エイシャがまた失礼なことを言うかもしれないでしょ! あの……急にお邪魔してしまって、申し訳ございません」
「いいえ、お気になさらずゆっくりしていってくださいね」
アダリナはエイシャを窘めると、エミリアーナの方を向いてペコリと頭を下げる。
彼女が優しく声をかけると赤く頬を染め、恥ずかしそうに俯いた。
「ふん、何よ。アダリナがそう言うから、婚約式の時は大人しくしてたでしょ!」
「当たり前でしょう、侯爵家のご家族もいらっしゃっていたのよ? 決して失礼があってはならないわ。
そもそもこうやってお話さえもできない方々なのよ」
ものすごい剣幕でアダリナがエイシャに抗議する。二人でギャアギャアと口論が始まってしまった。
「まあまあ、もう終わったことだからいいじゃない。少し落ち着きなさい」
バーバラが窘めると静かになるが、ふたりともそっぽを向く。
東屋へと到着し椅子に腰掛けると、リリーを始め使用人達が手早くお茶の準備を始めた。
バーバラはのんびりと空を仰ぎ見ている。
「今日は良いお天気ねぇ」
「ええ、本当に。辺境伯領は晴れの日が多くて過ごしやすいですわ。
……ところで今日はこちらの方に、何かご用でもございましたか?」
「えっ、ええ……実はね。貴方に相談があって来たのよ」
バーバラは表立って嫌がらせなどはしないが、少々強引なところがある。
訝しそうに見る、エミリアーナの微妙な表情の変化を読み取ったのか、彼女は焦った。
「この子……、エイシャをしばらくここで預かって欲しいのよ」
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