24 バートがバートである限り
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「ただいま。さっき戻ったんだ、元気にしてた?」
扉を開いたリリーの顔から表情がなくなり、能面のようだ。
彼女はエミリアーナを振り返る。
「お嬢様」
「……バート様、何かご用でも?」
「ちょっといい? 話があるんだ」
彼は扉の脇から顔を覗かせる。
「では執務室へ。移動しましょう」
「いや、すぐ済むから。ここでいい」
仕方がないので、彼を部屋へ招き入れた。
「ん? 良い香りがするね。……何飲んでるの? 同じものを僕にも」
そう言いながらソファにドカッと座る。
「申し訳ございません、たった今使い切ってしまいましたので。別の物をご用意致します」
「そ、そう。じゃあそうして」
リリーは茶葉が残っているにも関わらず、別の物を出す用意をしている。
彼にはどこでも手に入る安めのお茶を入れていた。
テーブルの上にカップが置かれるとバートはのたまう。
「ああ、美味しい。さすがだねぇ」
エミリアーナはカップの香茶を一口飲むと早速切り出した。
「それで? 話というのは何です?」
「あ、ええと……結婚式なんだけど、早めることって出来ない?」
「は?」
「いや……あー、結婚式を早めに済ませたいんだけど」
「……」
突拍子もない申し出に、部屋に沈黙が流れる。結婚式自体はもう間近に迫っていた。
エミリアーナはバレないように嘆息し、カップで口元を隠すとチラリとリリーを見る。
彼女は静かに頷き、そっと部屋を出て行った。
「……理由を伺っても?」
彼女は冷ややかだった。バートは落ち着いた表情を見せるエミリアーナにたじろぐ。
「君は元々結婚式の後から、こっちに来る予定だったでしょ?
実家に戻らずにこのままこっちにいるんだったら、結婚式も早めてもいいかなって思ったんだ。
早めに領地に来てくれたから、今じゃすっかり家のことも任せられるし」
誰のせいで早めにこちらへ来たのか忘れているのか……。
随分都合の良い頭だと彼女は思った。
「それに早く君と結婚して、夫婦になりたっくて」
絶対に嘘だ――。エミリアーナは、これだけは確実に分かる。
「……既に招待状は送付されています」
「あ……、そうか。じゃあ無理か……」
エミリアーナが呆れた顔をして言う。
バートは腕組みして、どうにかならないか考えているようだ。
「どうしても駄目?」
「……」
馬鹿馬鹿しくて言葉も出ない。
バートは落胆しているが、今回の縁談には王家も絡んでいる。そう簡単に変更出来るわけがない。
皆、それに合わせて予定を調節しているのだ。
その時、扉をノックする音がした。
エミリアーナが扉の前にいるであろう人物を呼ぶ。
「入ってきて」
「失礼致します」
ダッドリーとレーモンだった。リリーはそっと後ろから付いて来ている。
「扉の前におりましたから、先ほどの会話は聞こえておりましたよ。坊ちゃま」
「旦那様、どういうことです?」
ふたりとも呆れ顔だ。
ダッドリーは信じられないというように、バートを見つめる。
「いや! ちょっとでも早く出来ないかな……って思って。無理ならいいよ?」
リリーは当たり前だろこの薄らトンカチ、というような怒りの籠もった目で見ている。
バートは四人に冷たい目で見られて、いたたまれないのか諦めたようだ。
「坊ちゃま、何か他に理由があるのですか?」
「……いや、何もないよ」
無言のエミリアーナの代わりに、レーモンが尋ねる。バートは首を振った。
「そうだ! 式は無理でも、婚姻届は先に提出できるよね? 署名するだけだから」
彼は更にわけの分からないことを言い出した。
確かに費用が無く、婚姻届のみで済ます平民の夫婦もいる。
しかし大抵の貴族は結婚式の際に書類に署名し、国へ提出するのが常だった。
体裁を一番に気にする貴族が式の前に入籍を済ますなど、余程の理由があるだろうと陰でコソコソ噂されるのが目に見える。
「旦那様、それでは貴族としての面目が保てません」
「そうでございますよ、坊ちゃま。社交界で何と言われるか」
ダッドリーの抗議に、レーモンも頷く。
「噂なんか気にしなけりゃいいじゃないか。面と向かって何か言ってくるわけでもないしさ」
リリーの顔が、能面を通り越して段々と恐ろしいものに変化していっている。
「決めた! ……これは命令だからな。すぐに書類を用意してくれ」
「坊ちゃま、婚姻届は今この屋敷にはございませんよ。神殿にて頂いてまいりませんと……」
「そう。じゃあ用意ができ次第持ってきてよ」
レーモンが勝手に話を進めるバートを窘めるが、彼は足早に部屋を出て行った。
残された面々は、はぁと溜息を吐いた。
「申し訳ございません、エミリアーナ様」
「困った方だ……本当に。どうしよう、レーモン」
ダッドリーは頭を抱えている。
「……仕方ありません。明日婚姻届を頂きに行って参ります」
レーモンはエミリアーナに頭を下げ、部屋を出て行く。
ダッドリーも溜息をひとつ吐いて、退出していった。
エミリアーナがハッとアイビスの方を振り返ると、既に飛び立った後なのか窓枠にはいなかった。
「お嬢様、どうお考えです?」
「明らかに怪しいわね、式はもうすぐなのに。急ぐ必要は少しも無いわ。調べたいところだけど――」
ダッドリーとレーモンのふたりが部屋を出て行くと、リリーは怪訝な表情を隠しもしない。
エミリアーナはふとリリーに尋ねる。
「ねぇ、今から侯爵家に手紙を出したら、何日かかるかしら?」
「そうでございますねぇ、早馬だと三日でしょうか」
「父に調査をお願いしても、一週間はかかるわね。さらにこちらに結果が届くまでにまた三日。
調査の日数を入れて、二週間はかかってしまうわね。
それに早馬を飛ばせば、使用人達には分かってしまうわよね? なるべく内緒にしたいのよ」
「ええ、誰にも知られずにというのは難しいでしょうね」
「いくら私に同情的だと言っても、結局のところ主はバートなのよ。
信用しないわけじゃないけれど、調査が入ることにいい気はしないでしょう?」
実家から遠く離れ過ぎていることがもどかしい。エミリアーナは香茶を飲みながら、思考を巡らす。
リリーは黙って礼をすると、静かに壁の側に移動し控えた。
頼れる人物といえばダッドリーやレーモンだが、彼らには申し訳ないけれど用心のため除外する。
エミリアーナが考え込んでいると、テーブルの上に置いてある手紙が目に留まった。
彼女が小さく丸まったそれを開くと、丁寧な文章が彼らしい力強い字で書き連ねてあった。
――何か悩み事があれば、俺を頼ってください。
手紙の最後にはそう書いてある。
「ねぇリリー、これを見て。何かあれば頼って欲しいって書いてあるわ」
「……お嬢様、いっそ彼にお願いしてみたらいかがです?」
リリーは手紙を覗き込む。
「彼に父への手紙を届けてもらおうかしら? アイビスに運んでもらって」
「それは名案ですね。あ……、でも普通の便せんは無理かもしれませんね?」
「それに雨が降ってしまったら、文字が滲んで読めなくなってしまうわね。小さな用紙に書けるだけ書くしかないわ」
書き切れるかしらとエミリアーナが考えていると、リリーが窓の外を身を乗り出して覗く。
「そういえば、アイビスはいつの間にかいなくなってしまったんですね?」
「ええ、バート様にはアイビスのことは報告していないから、見つからなくて良かったわ。
彼には内緒にしておいた方がいいような気がするの」
「玩具にされては困りますからねぇ」
「さすがにそこまではしないでしょう?」
エミリアーナが驚いて言う。
「分かりませんよ? こう言っては何ですが、信用に値しない方だとお見受けします」
「リリーは厳しいわね」
「当然でございますよ、お嬢様」
リリーは両手を腰に当て、フンフンと鼻息が荒い。
ふふっと笑い合って、エミリアーナは早速手紙を書くことにした。
バートについて調べてもらいたいこと、入籍を急かされていることなどを簡潔に書く。
「リリー、出来たわよ」
エミリアーナは手紙を入れる筒を受け取り、小さく丸めてぎゅっと蓋を閉じた。
「よし、これでいいわ」
彼女は窓の側へ行くと周りをキョロキョロと見回し、控えめに指笛を吹く。
ピイィー!
聞き慣れた鳴き声が聞こえて、バサバサッとアイビスが何処からともなく舞い降りてきた。
「アイビス、よろしくお願いね」
「ピ!」
エミリアーナは彼の足に筒をくくりつけ、そっと背中を撫でる。
アイビスは返事をするように鳴くと、そのまま勢いよく飛び立った。
「気を付けてね、アイビス」
リリーも手を振る。
彼はいつものように屋敷の上を何回か旋回したあと、速度を上げ東へ飛んでいく。
エミリアーナは彼の無事をリリーとともに女神に祈った。
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