第三十九話「冒険者ナオ 1」
夜も遅い時間。
日中は多くの者が働き、どこからしら物音が絶えないサザーランド家の屋敷も今は静寂に包まれ、夜の闇に溶けていた。
だが、屋敷の一角、灯の点いている部屋がある。
屋敷の現主であるエドガーの執務室だ。
中ではカリカリと万年筆の音が静かに響いていた。
エドガーが机の隅に積み上げられた、日中に終えることのできなかった書類仕事を黙々と片付けていた。
「ふう」
書き終えた書類を横にやり、一息つく。
掛けていた眼鏡を外し、疲れた目を指でもみほぐす。
そうしていると執務室の扉がコンコンと叩かれた。
こんな時間に来客とは珍しい。
だが心当たりはあった。
この時間、屋敷内に入れる者は限られる。
エドガーは外していた眼鏡を掛け直すと、扉の外の者へと声を掛ける。
「入れ」
扉が開く。
入口から顔を覗かせたのはエドガーが予想した通りの人物であった。
サザーランド家の血を引く証である銀髪を持つ者、弟のイーサンだ。
「こんな夜遅くまで仕事とは、兄上は相変わらず真面目ですね」
飄々とした声でイーサンは話すが、部屋に入ったイーサンの姿勢は武人特有の美しい直立姿勢。
どこか凛とした雰囲気を纏っていた。
「違うな。私の能力が足りないから、こんな時間まで仕事をしなければならないだけだ」
「ご冗談を。多くの領主はほとんどの仕事を代官に丸投げしてますよ」
「我が領地は人手不足でな。どうだ、これを機会に文官の仕事も憶えてみるか?」
「それは本気で遠慮します」
エドガーの誘いに、真顔でイーサンは断る。
「残念だ」
全く残念そうにない声音でエドガーは応じ、執務椅子から立ち上がり、部屋の隅に置いている魔道具に近づく。
金属で造られた箱型の魔道具は酒を冷やしておくものだ。
中から未開封のワインを取り出す。
「まだ仕事中だったのでは?」
ワインに続き、棚からグラスを取り出すエドガーに対し、イーサンが尋ねる。
「夜も遅い。今日は終わりだ。どうだ、付き合ってくれるか?」
「ええ、喜んで」
部屋の中央に置かれた机を挟み、兄弟はソファーに腰かける。
トプトプと二人の前に置かれたグラスにエドガーはワインを注ぐ。
お互いグラスを持ち、乾杯をする。
エドガーは軽く一口。
イーサンは注がれた半分を一気に飲み、グラスを机に置く。
「いつ以来だ?」
「こうして実家に来たのは5年振りですかね」
「そんなになるか」
手紙でのやり取りは頻繁に行っていたが、こうして対面し、会話をするのは実に久しぶりのことであった。
一週間前に領地に戻ってきてからも、時間がなかなか合わず直接話す機会もなかった。
というのは言い訳で、長いこと文字だけのやり取りだけで意思疎通を図っていたため、お互いがお互いの時間をわざわざ割く必要がないと考えていてしまったことが原因である。
周囲ではサザーランド家の兄弟は仲が悪いと噂されることもあったが、それは全くの誤りであった。
「お前がくれた情報は役に立ったよ」
「それは良かった」
イーサンは冒険者としての身分を活かし、様々な情報を集め、兄であるエドガーに送っていたのだ。
「それだけに、こうして戻って来てもらったはいいが情報の真偽を確かめるのに時間がかかるようになったのが頭痛の種だ」
「なんなら、また冒険者として活動を再開してもいいですよ」
「残念だが許可できない。お前以外に騎士団をまとめる適任者は、現在の我が領内にいないからな」
「……本当、俺が騎士団なんて率いる柄でもないんだがな」
思い出すのは先代騎士団長とその騎士達。
武名はもちろん民に愛され、そして北の地から戻ってこなかった者達だ。
「騎士団は使い物になりそうか?」
「使い物にならないから俺を呼び戻したのでしょう?」
なにを分かり切ったことをと、苦笑しながらイーサンは言う。
「その通りだ。で、どうなんだ?」
「……まぁ、魔物との戦闘であれば新人冒険者に毛が生えた程度の集団としか。勝っている点を挙げるのであれば、素直に指示に従ってくれるくらいでしょうか」
「それは手厳しい」
「残念ながら、まだ実戦は厳しいですね」
「そうか。今日はそれでここを訪ねてきたわけか」
「ええ。ご明察の通りです。さすがにそろそろ騎士団としての役割をこなさなければ領民に示しがつきませんが、今派遣したところで無駄な怪我人が増えるだけです。……頼り過ぎは良くないですが、今しばらく冒険者ギルドの手を借り、領内の治安維持に努めるしかないかと」
「ふむ」
エドガーはグラスに注がれたワインを転がしながら少し思案する。
「まぁ、仕方があるまい。それに運が良いことに多少の余裕ができた」
「と、いいますと?」
「領内に優秀な冒険者が滞在しているようでな。ここ最近、魔物討伐に精を出してくれているようだ」
「優秀な冒険者ですか……?」
エドガーの言葉にイーサンは首を傾げる。
領内に優秀な冒険者が滞在すると思えなかったからだ。
理由は単純。
本当に優秀な冒険者であれば、ここから近い王都に行った方が遥かに稼げると分かるはずだからだ。
「その優秀な冒険者はうちから出している依頼も受けているのですか?」
騎士団がやるべき領内の魔物駆除依頼を大量に冒険者ギルドに出してはいるが、イーサンが冒険者の立場であれば優先して受けようとは思わないものだ。
報酬が安いのだ。
領民の生活を脅かす危険な魔物が対象であれば、もちろん相当の報酬を出すが、イーサンの知る限り、その様な魔物は領内で確認されていない。
「本日3件、昨日も2件依頼をこなしてくれたようだ」
「そりゃもの好きな冒険者がいたものですね……。何という名前の者ですか?」
「ナオという名の冒険者だ。知っているか?」
「ナオ……ね」
顎を手で触りながら、記憶を漁ってみるが、イーサンの知る冒険者の中にナオという名は出てこない。
「聞いたことがないですね。どのような冒険者なのですか?」
「リットン卿が推薦した冒険者としか」
エドガーの発したリットン卿という言葉にイーサンは眉をひそめる。
「そりゃまたなんでうちの領内で?」
リットン卿とはお世辞にも仲が良いとはいえない。
「さあな。我が領内の情報収集のためであれば、もっと目立たなく行動するだろうし、そもそもわざわざ推薦はしないだろう。単純に考えれば、サザーランド家に恩を売っておきたいというところだが」
「今更ですか? ……ああ、噂で聞いた、義妹に水を掛けた件の謝罪といったところですか?」
「ゼロとは言えないが……私が会った印象では、その程度のことでこれまでの態度を改めるとは思えないな」
「王都での評判はすでに失墜しておりますからね」
何せ自分可愛さに領内に引きこもり、災厄の際も一切出兵しなかったのだ。
貴族だけではなく王国内での評判も悪い。
「……調べますか?」
「領内の利になることならば静観する」
事実、今のところ不利益は被っていない。
「今は依頼をこなしてくれているが、お前の言う通り、本当に優秀な冒険者であればいつまでも領内にいないだろう。
騎士団の再建は急務だ。完璧は求めない。
多少の負傷には目を瞑ってでも騎士団の復活を早く領内にアピールしなければならない。
イーサン、頼むぞ」
「ご期待に添えるよう、精々がんばりますよ」
肩を竦めイーサンは応じ、グラスに残ったワインを飲み干す。
「では、俺のがんばりのためにもう一杯頂いても?」
「これで優秀な騎士様がやる気を出してくれるなら安いものだね」
空になったグラスへ、エドガーがワインを注ぐのであった。
久しぶりの更新です……!
お待たせしました(土下座)




