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Ephemeral note「過去を変える魔女と『銀の剣』を持つ者」  作者: 瑞月風花
終章『儚い記憶の物語』

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『蒼い海の中に沈む場所③』

 

 蒼い光をその手に受け止める女神像。

 黒髪の女、イルイダがその前で祈りを捧げている。


 どうかルオディックが目を覚ましますようにと。


 十日ほど前だった。

 やはりここで祈りを捧げていたイルイダの前に、トーラが現れたのだ。彼女は、とても申し訳なさそうに、こう言った。


「あなたをわたしの駒にさせてください。トーラの末裔マイラの娘としての権限を捨ててください。そして、ルオディックが運ばれてきたら……お医者様に頼らず、ここで寝かせておいてください」

 と。しおらしい癖に、一方的に。


 私にはない、そんな力を母は持っていた。権限など、そもそも持っていない。


 そう思っていた。きっと、母は視えていたのではなく、知っていたのだ。様々に広がるすべての未来を。

 だから、私をリディアスの神学校へ留学させたのだ。

 魔女狩りに関係させないように。

 彼女が現れたその後、普通なら死んでいてもおかしくないくらいの傷を負ったルオディックが、森から吐き出されていた。


 イルイダはイルイダには引き継がれなかった黒髪に手を当てる。

 光にわずか茶色に霞む髪。それは、母の持つ漆黒とはほど遠い。

 だから、イルイダには何も視えない。


 そのルオディックをこのまま放置させていてもいいのかも。

 あのトーラの言葉を信じ続けてもいいのかどうかも。


 しかし、緩やかに変わっていこうとする記憶に気づいた。ミラとミスティがあの魔女の親子に重なろうとしているのだ。顔など知らないあの親子の顔に、彼女たちの顔が。


 今、ルオディックがこのクロノプスに現れたという事実をリディアスに知られてはいけないのだ。森から現れた者は『魔女』とされる世界だ。

 ディアトーラに近づこうとするリディアスに、ルオディックは『魔女』としか映らないはずだ。そう、彼らにとっては、女であるイルイダがここの元首として立つことに、意味があるのだ。


 この国を守るために必要な駒は、ルオディックではない。

 それを肯定するかのように、イルイダに縁談がもたらされたのだから。


 リディアス国王の遠縁にあたるリンディ家の三男坊。確実に捨て要員であろうが、彼は確固たる目的を持って、ここに婿入りしてくる。

 ルオディックが森から現れたという理由は、今の世界では、確実に『否』とされるのだ。

 だから、祈りを捧げている。

 ルオディックが早く目覚めますように、と。


 そして、何かがかちりとはまるようにして、時が動いたことを知った。教会の扉が開いたのだ。

「イルイダ様ぁっ」

 振り返ると万事屋のチャックが慌てて扉を開けていた。


 ―――彼は、目が覚めればきっとひとりで出て行くわ……。


「ディックが、いませんっ」

 その悲しそうな表情を、チャックに重ねてしまった自分に、イルイダは呆れてしまった。チャックはただ慌てているだけだというのに。

「分かったわ。すぐに行きます」

 私はそんなにも彼女の訪れを恐れていたのだ。

 表情を引き締めたイルイダが、蒼い教会から、太陽の光の中へと消えていった。


 ☆


 ルオディックが寝かされていた部屋は、空っぽだった。しかし、その扉を開けた瞬間、清涼感のある香りがわずかに香り、その後、粥の匂いが鼻に匂った。

 目を覚ましたルオディックを介抱していた誰かがいたようだ。

 その誰かは、彼女たちのどちらか。

 しかし、もう存在すらしないのだろう。だから、チャックはただルオディックのことだけを言うのだ。


「探してまいりましょうか? まだあの傷です」

 親友としてのチャックだから、本当は探しに行きたいのだろう。しかし、イルイダはそれを断った。

「いいえ、いずれ出て行ってもらわなければならない者でした。放っておきましょう」


 夢ではない。

 そう、ここにルオディックは確かに存在していた。そして、彼女は確かめる。


「ねぇ、私の父はどうして死んだのだった?」

 イルイダの疑問はすぐに解決された。

「ここに現れた魔女に命を刈り取られたのです。魔女狩りを許した領主さまへ対する復讐かと。私がビスコッティ様の最期を看取りましたので、確かです」

「どんな魔女だったの?」

「姿までは……魔女ですので……すでに姿はなく」

 それも嘘ではないのだろう。


「イルイダ様もお気を付けください。クロノプスは魔女の贄となる家系。いつ何時魔女が現れるか分かりませんので」


 イルイダは「そうだったわね。気をつけるようにするわ」とチャックに微笑み、部屋の片づけを言いつけた。


 そして、明日を考えなければならない。

 この国を守るための、明日を。

 そのために、ルオディックは自ら去っていったのだろうから。

 記憶にあるということは、存在しているということ。

 贄になったわけではない。


 どこかで生きているだろうルオディックを思いながら、イルイダは背をしゃんと伸ばして、空を見上げた。

『蒼い海の中に沈む場所』了

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