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Ephemeral note「過去を変える魔女と『銀の剣』を持つ者」  作者: 瑞月風花
第三章『望まれた世界』

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『雨のディアトーラ』

 

 今日は庭に出られない。魔女のいる部屋の窓にも雨のしずくが打たれて流れる。

 魔女は車いすに座ったままターシャに見守られ、教わった刺繍をしていた。

 白い布に紫色の花を絵柄に合わせて針を刺す。


 この花はラベンダー。

 庭にも咲いていた。だけど、この花は魔女の村にもある。とても特別な色のような気もする。

 蒼い色も特別な気がするけれど、……。

 ターシャのものは、小さな薔薇が咲くもの。薄い桃色で彩られている。ハーブ園とは反対にある庭のものだ。

 魔女はぼんやりと庭を思い浮かべた。


「痛っ」


 ぼんやりしていると、布を支えていた方の親指を針で刺してしまった。

「ぼんやりしているからですよ」

 ターシャが同じように刺繍をしながら、魔女に視線を向けた。魔女はぷくっと膨らんでくる親指の血を吸いとる。ターシャは魔女のその様子も静かに眺めた後、視線を自分の刺繍布へと戻した。

「ずいぶん、上手になってきましたよ。あと少しで完成ですね。次は何をしましょう」

 ターシャはそんなことを言う。魔女は首をかしげる。ターシャの方が上手である。そして、次は……。

「ローズマリーにする」


 ローズマリーは、蒼い色の花。

 蒼も紫も、魔女にとっては特別な色のように思う。


 ☆


 あの手紙がルオディックの手に届いてから、二日経った。

 昨日から雨は降り続いている。

 魔女はターシャと共に刺繍をしたり、読書をしたり、そして、歩くための練習をしたりしている。

 片手に松葉杖、そして、車椅子を押しながら寄り添うターシャが、クロノプス領主館の長い廊下を歩いてくる姿が、ルオディックには見えていた。

 心配した魔女の頬の傷は、もうほとんど治っているし、足の木の支えも取れている。後は、湿布と包帯のみだ。しかし、残り二日で森の中を、しかも深部まで歩かせられる状態になるとは、ルオディックにはとうてい思えなかった。


 そして、そんな彼に気づいたターシャが、魔女にルオディックの存在を気づかせ、お辞儀をさせる。

 どこか無理をしていそうな魔女のその体勢に、ルオディックは声をかけた。

「無理しなくてもいい。ところで、調子はどうだ?」

 魔女はこの質問にいつもきょとんとした瞳を向ける。

 どうして、そんなこと訊くの? 見れば分かることでしょう?とでも言いたげに。

「順調に回復していますよ。後は時間がお薬でしょう」

 そんな魔女の代わりに、ターシャはいつもルオディックに答える。


 時間は、ない。


「今は刺繍をして時間を潰しています。雨なので庭には出られませんし。とても上手に針を刺せるようになってきているのです。今、ふたつ目を刺しているところです。坊ちゃまにも次は見ていただけると思います」


 まるで自分の娘の自慢をしているかのようなターシャの変わりように、ルオディックはいつも自分の目を疑い、肯定の言葉を述べるに止めるようにしている。

 鬼の形相で付き合われるよりもずっといい。

「そうか。それは楽しみだな。でも、庭に出られないのも辛いだろう?」

 ただでさえ、体が思うように動かない状態。部屋の中に籠っていると気持ちの鬱積も溜まっていきそうだと、ルオディックは思ったのだ。

 しかし、今度は魔女がそれを否定した。


「いいえ、刺繍は楽しいです。本を読むのも。庭に出られないのは残念ですが、大丈夫です。心配いりません」


 あれだけ怯えていたことが不思議なくらい、堂々とした物言いだった。しかし、ルオディックの驚きとは対照的に、ターシャは満足そうに微笑んでいる。

 ターシャの教育の賜物なのだろうか。ルオディックは別の心配を過らせた。

「無理はしていないのか?」

 どちらかと言えば、ターシャに向けて『無理させてないか?』と。

 今度はふたりとも答えが返ってこなかった。


 ターシャはルオディックの言葉の意味を咀嚼しているようで、魔女はやはりきょとんとしている。

 そんな沈黙の後、魔女が言う。

「歩けるようになることが、大事ですから」

 と。まっすぐな瞳をルオディックに向けて。

 あぁ、そうだな。歩けるようになることが大切だ。ここにいれば、遅くとも四日後にリディアスがやってくる。しかも、銀の剣を持ったルタを連れて。

 クロノプスとしては、その魔女を彼らに引き渡さないわけにはいかない。


 国を守るため。そして、世界の崩壊を止めるため。

 ただ……。


「そうだな」

 ルオディックは気持ちと裏腹に、優しく微笑む。


 お前は、トーラなのか?

 トーラではないのなら、……。


 もし、それを尋ねたら彼女は何と答えるのだろう。肯定ではなく、否定の言葉であれば、ディアトーラの町娘として、匿えないだろうか。

 そう、否定の言葉であれば。

 ルオディックはそんなことを望みながら、彼女に笑みを向けたのだ。


「ターシャ、昼は共に食事を取ろうと思う。ふたりに話があるんだ」

 ターシャが口を開く。

「承知しました」

 と。


 しかし、それは出来ない。ディアトーラの民は素直である。クロノプスがそれを頼めば、きっと叶えてくれるだろう。

 リディアスの魔女狩りは、相当なものだ。普段どれだけ紳士として振舞っていたとしても、魔女狩りのための兵は、『魔女狩り』という免罪符のもと、何をするか分からないものとなるのだ。

 匿わせた民に被害が及ぶことなど、やはり出来ない。

 ぐっと握りしめた拳を肩からだらりと垂らし、ただゆっくりとした足取りで去っていくふたりの背中を、ルオディックは静かに見つめていた。


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― 新着の感想 ―
ラベンダーやローズマリー、紫と蒼の刺繍を縫う魔女の姿は、ターシャや人間たちとまったく変わりないですね。針で指を刺してしまうところも人間味があって印象的でした。 そうした一見穏やかに見える情景の一方で…
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