『記憶の欠片』
「いいか、わしは魔女を撃つ仕事を依頼されておる。わしがお前を撃つこともあるということを覚えておけ」
キラの夢の始まりはその言葉がきっかけだったのかもしれない。
それは久しぶりに見る夢だった。
あの火炙り台の母の夢ではなく、ときわの森を泣きながら彷徨う夢だ。その夢の中でのキラはいつも幼いままで、幼いキラ、すなわちルオディックは、現実と違いときわの森で魔女に出会うのだ。
夢自身は魔女狩り以前から見ているものだった。さらに言えば、それは母の願いを聞くずっと前から見ているような夢なのだから、夢を見ているキラ自身、どうして彼が泣いているのかが、実際にはまったく分かっていなかった。
ディアトーラが魔女とともに監視し続けている森、ときわの森を歩く幼いルオディックは、いつも泣いているのだ。
しかし、夢の中のルオディックは幼い魔女に会い、いつも同じように願うのだ。
「お姉ちゃんを守って」と。
そんな夢を、キラは久しぶりに見ていた。
元々、ルオディックはなぜか森に惹かれるところがあったのだ。母はそれを咎めず、父はそれを咎めた。それこそ魔女を恐れて。火が付いたようにしてルオディックを叱りつけていた。
考えれば当たり前だ。
ときわの森には存在があやふやな魔女以前に、大型魔獣が腹を減らして目を光らせているのだから。
母がおかしいのだと、今のキラなら考えたことだろう。
しかし、ルオディックは森に惹かれ、ひとりで森を歩いて戻ってくるのだ。だから、夢の中のルオディックも、迷いなく歩き続けていた。
夢の中も現実も辿り着くのはいつも同じ場所だった。
森を歩き続けると拓けた場所に出る。そこには、大きな木が空を支えるかの如く枝葉を伸ばしており、まるでルオディックを待ち構えているようにして、聳えているのだ。
その大樹は『リディアの大樹』と呼ばれていた。リディアスが信仰する女神さまがいるとされるご神木でもあるらしい。
それ故にリディアスは、信仰の対象を取り戻すために、ディアトーラを常に監視し、ときわの森へ侵攻する機会を虎視眈々と狙っていたのだろう。
いかに魔女狩りという名目があろうと、他国に進軍するのだ。魔女狩りという理由は確かにあったのだろう。しかし、口実でもあったはずだ。
もちろん、頬の涙を払いながら、その木の麓で立ちんぼをするルオディックには、考え及ばないこと。夢の中のルオディックは、だから、その木を見上げ泣き続けていた。
もし、何が悲しくて泣いているのか、と問われれば、彼はきっと母が死んだからだと答えるだろう。この神様を信仰する国が、自分の母親を殺してしまったと。そして、その国を恐れた父が、母を火炙り台に立たせてしまったと。
大切なものをこれ以上、失いたくないと。
しかし、彼がもう少し大きくなって、悲しいからと涙を流さなくなった頃、彼自身の手で大切なもののひとつを壊してしまうのだ。
幼い彼は、まだそんな未来も知らない。
だから、魔女なんかに頼ろうといつまでも森を彷徨うのだ。
夢を見ている本人であるキラは、そんな風に幼い自分を考えていた。
だから、彼が願うとおりに、そこでいつも魔女に出会うのだ。憎んでいたはずのリディアスではなく、魔女に。
そして、魔女が言った。
「それなに? とってもきれい。それをくれたら、なんでも願いを叶えてあげる」と。
魔女が涙を欲しがって言った言葉だ。
そうだ。
夢の中で出会う幼い魔女は、ワカバと同じ緑の瞳をしていた。
☆
再び話をするようになってから、きらきらとこぼれ落ちてくる光を受け止めるようにして、ワカバの記憶は色彩を帯びはっきりしてきた。
ワカバはときわの森に住んでいた。そして、畑仕事や薬作りをする魔女、井戸から水を汲む魔女を眺めて過ごしていたのだ。今のワカバの感覚としては、それは一緒に過ごしていたというよりも観察に近い。
ワカバの住んでいた家にはラシンという老婆が一緒に住んでいて、彼女が幼いワカバの身の回りの世話をしてくれていた。
しかし、この頃のワカバは『ワカバ』ではなかった。
そう、名前などなかったのだ。
魔女の村でのワカバは『あの子』だった。ワカバはその村で存在しているような存在していないような、そんな存在だったのだ。
変わり映えのない日常。ただ過ぎゆく時間の中で、ワカバは彼女たちを観察しているだけだった。
ただ、そんなワカバにもひとつだけ日課があったのだ。
魔女の村から少し人間の領域に近づく場所には、大きな木が存在していた。ワカバは昼を過ぎた頃になると、その木の麓へ行き、茂る葉の隙間から青い空を見上げて過ごしていた。
青と緑が揺れると光が落ちてくる。きっと、それが楽しいと思っていたのだろう。
木は木漏れ日をワカバに落とし、安らぎを与えてくれていた。その木はワカバの母の木らしいとは、ラシンが言っていたことだった。
「お前がこの場所が好きなのは、この木の中にお前の母親がいるからなのかねぇ」
しかし、この木自身は、ワカバの母親でもなんでもないものだった。母は願いと引き換えに、この木の中に取り込まれただけなのだ。母が何を願ったのかも、願いなど叶えることのないその木に、どうして取り込まれたのかもワカバは知らない。
しかし、願ったことは確かだ。それだけをワカバは知っていた。
見上げた先にある木は、リディアの大樹だ。
その木は、ワカバの母とはまったく無関係の名前だった。
そして、魔女狩りが起きた。
『名前』を呼ぶようになったのは、ラルーが最初だった。
ワカバが研究所の中庭に連れられた時の話を聞いたラルーが、言ったのだ。
「その生まれて間もない葉の色が気に入ったのですね。だったら、今日からあなたのことは『ワカバ』と呼びましょう」と。
どこの国の言葉かは知らない。だけど、そんな意味を持つ名前。
そして、それはワカバの瞳が持つ色と同じ色。
だから、ワカバは『ワカバ』になったのだ。














