30.オタクに恋は……
「あれれー。おかしいぞー」
メガネの少年みたいな言い方やめれ。
ってな場合じゃないよね。
「……」
呑気な声にぞくりとして振り返る。
「君たちはいったい何者かなー」
肩口まで伸びた白髪。深紅の瞳。
サイードの実家の屋敷にいた、正体不明の存在。
性別さえ分からない中性的な顔立ち。ヒラヒラした服で体型も分からないけど小柄だ。
「……」
「うーん。黙りかー。顔まで隠して」
……そんで、強い。
今の私じゃ勝てるかどうか、いんや、勝てないかも。
「……おい」
グランバートが私に尋ねてくる。
なんで突然この人がここに来たのか。なんで分からなかったのか。ってことよね。
「……感知は機能してたわ。
それなのに突然感知結界の中に現れた。
つまりは【転移門】の魔法よ」
私もグランバートもこの人がそれを使えることは知ってるけど、向こうからしたら私たちは初対面。だから向こうに聞かせるためにも解説が必要。
「……魔族か」
「そうなるわね」
人間は【転移門】を使えない。
それが使えるのは魔族だけ。
エミーワイス先生の【空間転移】とは違って、厳密に言えば【転移門】は召喚にあたる。べつに実際に門とかは出ないけど。自分を指定の場所に召喚する、みたいな感じ?
先生の転移と違っていろいろ制約があった気がするけど忘れちゃったな。とりあえず感知結界ぐらいなら抜けられるってことは分かったけど。
魔族は耳がとんがってて黒髪なことが多いけど、ここは人間至上主義の王国だから変装してるんだろうな。
「男女の組み合わせか。
うーん。まさかサイード君に仲間がいたなんてなー。
しかも、君たちけっこう強いよね?」
「……っ」
深紅の瞳の瞳孔が開かれる。
龍の瞳みたい。
たしか魔族の瞳はこんな仕様じゃなかったはず。もしかしたらただの魔族じゃない?
あとでグランバートに聞いてみよ。
ってか、ちょっとマズったかな。
姿とか声とかは変えてあるから私たちのことがバレたりはしないだろうけど、話し方も変えた方が良かったかしら。
男女の組み合わせってだけで可能性に引っ掛かるかもだもんね。やっちまったなー。
「うん。僕の鑑定眼でも視えないんだもん。
やっぱり強いよ」
私は実力的に、グランバートは無効化してるから鑑定を妨害できた。
でも、視られてるのが分からなかった。
それだけ実力が拮抗してるのか、あるいはあれは魔法じゃなくて個人の能力なのか。あ、でもグランバートが無効化できてるから魔法なのかな。
「……君たちもしかして、災厄のエルフの仲間だったりする?」
「……」
グランバートがアイツにバレないように、チラリとこっちを見る。
分かってんよ。反応しちゃダメなんでしょ。
災厄のエルフとか物騒な名前だけど、たぶんそれはエミーワイス先生のことだ。前にグランバートがそんなことを呟いてたような気もする。
仮面をつけてて良かった。
私がそれを結びつけたことは向こうに気付かれてない。表情に出ちゃうからね、私ってば。
「答えないか。
まーいーや。あとでじっくり聞くとするよー」
「……」
やっぱり私たちも捕まえるつもりだ。
なら、その前にまずは、
「……」
「ふむぐっ!?」
地面から薄い木の膜を生やして、布代わりにしてグランバートが取り押さえている人の口を塞いだ。
「あららー?」
なんで魔法を使って逃げないのかって聞かれないように口を塞いどく。てか、グランバートが取り押さえてる人が余計なことを言わないようにだね。
『魔法が使えない』なんて言われたら、グランバートが帝国の王族であることがバレる、と思う。それほど魔法無効化はレアだから。
魔族とか龍人種とか獣人種とか、強力な種族が暮らす帝国で人間が皇帝なんてものをやっていられるのも、帝国の皇族にはそういう特殊な能力を持つ魔法を使える人が多いからなのよね。
「生命的に口を封じるんじゃなくて、物理的に口を封じるってことは、この状況においてもその人たちを生かして連れ帰りたい理由があるのかなー?」
「……」
鋭い。
この人の強さを私たちが理解している以上、本来であれば捕らえた人たちを口封じに殺しちゃって離脱に全力を注いだ方がいい。
それでも口を塞いだってことは利用したいってこと。
こっちの狙いを向こうはたぶん全部見抜いてる。この人たちを誘拐犯に仕立てようとしてる私たちの狙いが。つまり、私たちこそがサイードたちを誘拐した真犯人だってことも……。
「ちょっと心外だなー」
「……」
空気が揺れる。
「僕から逃げられると思ってるなんて!」
「っ!」
開かれる瞳孔。ほとばしる魔力。
世界が暗く赤く染まってる気がする。
まるでエミーワイス先生の作った空間世界のような支配感。
この人は、それを現実世界であるこの場所で私たちに感じさせた。
……やっぱり、ちょっと勝つのは難しい。
なら……、
「私が……」
「俺が時間を稼ぐ。お前はこいつらを連れて逃げろ」
「!?」
私が言おうとしてたことを。
「無理よ。貴方じゃたぶん勝てない。
私の方が可能性があるわ」
グランバートの魔法無効化は強力だけど、わりと穴がある。
範囲攻撃だったり、環境自体に作用させたりする魔法なんかには効きが弱い場合がある。
魔法の吹雪は無効化できるけど、それによって発生した気温低下の影響は受ける、みたいな。
相手がどれほどの実力者か分からない以上、汎用性のある私の方が適任。
「……」
それに、貴方に死んでほしくない。
「駄目だ。俺がやる」
「おおう」
即答で拒否。頑固者め。
「だからっ!」
「お前に死んでほしくない」
「!」
私と、同じことを……。
「それに俺ではこいつらを運びながら逃げるのは難しい。
こいつらをまとめて抱えて最速で逃げられるのはお前の方だ」
「……」
言い返せない。
確かにその通りだから。
二人で戦うのはナシだってのはお互いに分かってる。
勝率は確実に上がるけど、たぶん捕らえたこの人たちを殺される。
この人たちを守りながら二人で戦うのは難しい。
ここはグランバートに任せるのが最適解……でも……、
「やだ」
「……は?」
「理屈では分かるけど、私はイヤだ。
貴方を残して逃げるなんてあり得ない。
私も、貴方に死んでほしくないもの」
イヤなもんはイヤ。
今はもう、貴方のいない世界は考えられない。
「お、お前。今はそんなこと……」
困った顔。
困らせてるのは分かってる。
それでもイヤだ。
私を助けるために誰かが、グランバートが犠牲になるなんてイヤだ。
「貴方たちに魔法をかけて飛ばす。
この人の支配領域から抜ければ何とかなる。
それまでは、私が時間を稼ぐ」
だから、私の魔法を無効化しないで。
グランバートはさっきから私の魔法を無効化してる。
さっきグランバートを撃ち出した時みたいな風の魔法。
それで一気に皆を戦線離脱させようとしてるのに。
「……同じ気持ちなんだよ」
「……え?」
「俺も、お前を犠牲にして助かるなんてのは、イヤなんだ」
「……」
分からず屋め。
まあ、それは私も同じか。
でも、ならどうするか。
「もういーいー?」
「!」
髪の毛くるくるして。
待っててくれたのね、わざわざ。このやろう。
「なんにせよ、どっちも逃がさないよー。
僕の支配空間からは逃げられないしねー」
「……」
やっぱりこの重苦しい感じ。魔力だけじゃないんだ。
空間魔法ってほどじゃないけど、何か、この人の魔力でこの辺の領域が支配されてる気がする。
「……!」
そうか。空間。
そうだ。アレがあった!
「……ねえ。ごめん。忘れてたわ」
「……なんだ」
グランバートは魔導躯体の調整をしてたから聞いてないんだった。
先生からはあとでグランバートにも伝えておくよう言われてたの忘れてた。
まあ先生からは最終手段って言われてたから頭の片隅に置いといたんだけど、今がその最終手段の時じゃん!
「えっとね……」
「!」
私はグランバートに最終手段のことを伝えた。
「……説教はあとだ」
「……はい」
グランバートさん、伝えてなかったこと怒ってますよね。そうですよね。
でも私のせいなので怒られる覚悟しときます。
「なになにー? なんかやるのー?」
余裕の表情。
その気になれば私たちをすぐにでも捻り潰せる自信があるんだろうね。
実際、少しは抵抗できてもこの場ではすぐにそうなりそう。
「……」
相手を窺いながら拘束した二人をグランバートたちの元に集めて、私自身もそこに移動する。
サイード人形も私たちの中心に。
私が先頭で相手と相対する形。
突発的な攻撃にも私ならたぶん対応できるから。
「うんうん。サイードを庇った防御陣形ねー。
それからそれからー?」
ナメてる。
こっちが何をするか待ってくれてる。
好都合ね。
「死ねー!」
「へ!?」
私はくるっと振り返ると、魔力で身体強化した拳をサイードの体の中心、心臓がある部分にぶち込んだ。
私の拳はサイードの体にめり込み、突き破って、体の中を突き進んだ。
人形だって分かってても気分は良くないわね。
アイツは驚いた顔をしてる。
そりゃそうよね。
守ろうとしてたサイードを急にぶち殺したんだから。
「それはっ!?」
サイードの背中から飛び出した私の拳を見てアイツが気付く。
でももう間に合わないわよ。
私の手にはサイード人形の核が握られていた。
魔導躯体の最重要機関。
「うりゃ」
私はそのコアを思いきり握り潰した。
瞬間、足元に魔方陣が展開され、私たちを光の球が包む。
先生が用意してくれたのは魔導躯体のコアに刻まれた【空間転移】の術式。
コアを破壊することで一度だけ【空間転移】を使用することができる。
私の膨大な魔力を媒介にしてるから、おいそれと作れるものじゃないらしいけど。
「くそー。逃がさないよっ」
「!」
アイツの影が伸びてくる。
宙に浮かび上がり、無数の槍となって襲ってくる。速い。
「逃げるのよ」
私はそれを土壁を出現させて防いだ。
相当な魔力を込めて作った壁なのにボロボロに壊された。
でも向こうの影の槍も消えた。
相殺。
魔力自体は拮抗してる。
影を扱う魔法は既存の魔法にはない。
つまり闇の属性。
魔族はそのほとんどが闇の属性らしいから、やっぱりこの人は魔族なんだ。
「ちっ」
舌打ち。さすがにこれは予想外みたい。
そりゃそうよね。
エミーワイス先生がいないのに【空間転移】で逃げるなんて思わないものね。しかも攻撃をあっさり相殺されて。
でも、これで私たちが先生の手の者だってことがバレた。
この魔法は先生しか使えないから。
でも先生はバレてもいいから帰ってこいって言ってくれた。
こうなった以上、絶対にこの人たちを連れて帰る。
「……よし」
発動準備完了。
さっさと逃げよ。
「じゃ、あでゅー」
魔法を発動。転移が開始。
「……」
向こうは何もしてこない。
まあ、もう何もできないけどね。
「……くそー……しょーがない。それらはあげるよ。
でも覚えてなよ。必ず君たちを捕まえてあげるから」
「……」
不敵な笑み。
「やだね。
もう二度と会わないわ」
私たちの姿が消えていく。目の前が光で染まる。無事に転移してる。
「ははっ」
アイツは最後に乾いた笑いを置いていった。
組織を追う以上、アイツとはいつか戦わないといけないのは分かってる。
私は平和に暮らしたかったから覚醒イベントなんてやらないつもりだったけど、そうも言ってられなくなってきたかも。
「……」
そうして、不穏な風を感じながらも私たちは何とかその場を脱出することができたのでしたとさ。やれやれ。
「……完全に消えた。
なるほどー。あれは魔導躯体、人形だったのか。魔力まで完全に擬態させるなんてね。
……いや。それよりも、僕の支配領域を超越するあの魔法はやっぱり【空間転移】。
ふふ。あはは!
僕は嬉しいよ。
やっぱり貴女が関わってるんだね。
災厄のエルフだなんて呼ばれて。可哀想に。
もうすぐ会えるのかな。
早く会いたいよ。
ねえ、姉さん?」
「どうぇーいっ!!」
転移完了!
って、ここは……?
「転移魔法を使ったようだの」
「あ、先生!」
転移すると目の前に先生。
どうやらそういう設定にしてたみたい。
「……ここは」
私たちが転移したのはサイードとマイアちゃんが住む、先生が作った空間世界。
先生の後ろには二人が住んでるオシャレ木造一軒家が。
「……ふむ。
どうやら作戦自体は上手くいったが、何やら問題があったようだの」
先生は捕らえた三人と壊れたサイード人形を眺めてからそう呟いた。
「……邪魔が入ってな」
「……ふむ。
詳しくは中で聞こう。
サイードはワシが寮に送ってある。ちゃんと寮への入室記録をしてな。
ちょうどヤツの部屋からここへの扉を設置し終えた所じゃ。
サイードを迎えてから話を聞こう。
お主らも疲れたじゃろ。
ココアを入れよう」
「わーい! ココアー!」
なんかいろいろやってくれてたみたい。
そしてココア!
確かに疲れた! 先生の転移魔法ってば、私の魔力をごっそり持っていったのよ。
「クロードはコーヒーかの?」
「ああ。助かる」
グランバートさんはカッコつけてブラックコーヒーなんだって。あんな苦い汁のどこがいいんだか……って言うと怒られそうだな。
てか、素だと先生にタメ口かい。あ、でも皇太子なんだった、この人。
「あ、この人たちはどうするの?」
傭兵っぽい二人は私の土の魔法でガチガチだし、もう一人はまだグランバートが拘束してる。
「ワシの空間に幽閉しておこう。
魔法も使えぬし自害もできぬようにするから心配いらぬ」
それはだいぶ非人道的ですね。っていうツッコミはやめておこう。
この世界では捕虜の扱いなんてそんなもんだ。
痛め付けられないだけマシと思った方がいいからね。
「うおっ!」
「な、なんだっ!?」
「……」
さっそく先生が魔法で三人を消した。
先生が作った幽閉空間に移したみたい。
私の魔法やグランバートには触れずに、彼らだけを選別して隔離した。相変わらずすごい魔法技術。
「ほれ。いくぞ」
先生は三人を異空間に飛ばすとさっさと家の中に戻っていった。
「……」
「……」
グランバートと二人になると、正直ちょっと気まずい。
何がって?
最後の方で言い合ったやり取りよ。
お互いに、死んでほしくない。失いたくない。なんて、こっ恥ずかしいことを言い合ってしまったものだから。
「……」
グランバートも何も言わない。
私とおんなじことを思ってくれてるのかな。
グランバートも、勢いでとんでもないこと言っちゃったと思ってるのかな。
私のことを、ちょっとは意識してくれてる、のかな……。
「……」
そっと顔を覗き見るけど表情は変わってない。
何を考えてるか分からない。
さすがは氷の皇太子。
私には、もうちょっと見せてくれてもいいのに……。いや、違うか。私がもうちょっと分かってあげられるようになればいいのか。
「……って、あれ?」
「どうした?」
「あ、ごめん。なんでもない」
「……そうか」
てか、私ってなんでそんなにグランバートに配慮してあげたいんだ?
え? 私って、もしかしてグランバートのこと好きなの?
……いやいや、確かにこれまでそうかなーってのはあるにはあったけど。
え、てか、そうなるとグランバートも……?
え、そうなの?
グレースちゃんプチパニック!
「…………いや、なこたないか」
「ん?」
「あ、スルーで」
「……」
ないない。
勘違いすんな。
そもそも前世で三次元に恋したことなんてないから、私。
恋愛対象二次元なキツめのメガネ陰キャオタクだったから。
推しに構ってもらえたからって勘違いはイタい。ガチ恋はダメ。ゼッタイ。
私のこれもきっとそんなんじゃない。
私は二次元にしか恋してこなかったから。
私の初恋は指パッチンで敵をボンッてする錬金術師の大佐だから。
……そんな、生身の人間を恋愛的に好きとか、よく分かんないもん。
……あれ?
でもここは私の知ってる物語の世界で、言っちゃえばグランバートだってある意味二次元なのでは?
だって物語の登場人物なんだもん。
え? てことは、私の恋愛対象としては何の問題もないってこと?
いやいや、焦るな私。今はまだそのときではない。ん? なに言ってんだ?
「……」
んー、でもそれはやっぱ違うな。
前世では確かに物語だったけど、今の私にとってこの世界はちゃんとした三次元世界だ。
このグランバートも、物語の登場人物なんかじゃない。
「……」
ちゃんとした、生身の人間なんだ。
「さっきからボーッとしてどうした?
腹でも減ったか?」
「……まあ、減ったは減ったけど」
これはどうなんだ?
アンニュイな気分に浸ってる女に腹減ったのかとか、普通ホレた女に言わんやろ。能天気なヤツめ。
そんなん大猿に変身する少年とか、体がゴムゴムしてる麦わら帽子ぐらいしか言わんぞ。いや、彼らの方がなんなら空気読むぞ。
「もういいよ。行こっ」
と言いつつ、グランバートを置いて先に歩く。
なんかアレコレ考えてるのがバカらしくなってきた。
やっぱりオタクに恋は最終定理だわ。難易度マックスだわ。お腹減ったし。
「あ、待て」
「……なにさ」
振り返ってなんてやんないよ。
「……あー、なんだ。
その、さっき言ったことは、あまり気にしないでくれ」
「……」
そーね。気にしないよ。
「俺の本心からの言葉だった。それだけだから」
「……へ?」
慌てて振り返るけど、グランバートはさっさと私を追い越して家に走っていっちゃった。
顔を戻してその背中を見送る。
「……なんなん」
見てしまった。
すれ違う瞬間、グランバートの頬がちょっと赤くなってたのを。
「……やっぱり難易度マックスやわ」
閉じた扉を見送ってからゆっくりと歩き出す。
やっぱり、オタクに恋は難しすぎる。




