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23話 父親の懺悔

また0時間に合わなかったンゴ…


 精神科医の長井先生が皺くちゃな優しい微笑みを浮かべながら、真っ直ぐに俺の目を見つめている。数多の患者達の悩める心を解き解してきた慈愛の笑みだ。

 まるで愛しい我が子を見つめるような、愛情に溢れた聖母の如きそれを直視出来ない人間など、それこそ───その笑顔の持ち主に何か後ろめたいことがある者ぐらいだろう。


 そして───俺はその目を真っ直ぐ見返すことが出来なかった。




「愛莉珠…………そうなのか……?」


「…………」



 ……俺はパパンのその質問にも答えることが出来なかった。




「なるほど、なるほど……」


「……ッ」



 長井先生が視線を逸らした俺の気持ちを悟ってしまったのか、何かに納得する反応を示した。穏やかで柔らかいその声色も物腰も、罪人にとっては閻魔の審判にも等しい恐怖の象徴にしか見えない。

 先生の靴の爪先すら視界に入れるのが恐ろしくて、逃げるように俯いてしまう。頭を垂れ先生から伏せた視線の先には、ガタガタと震える愛莉珠このからだの成長途中の美しい両足が桜台中学のワインレッドの制服のスカートの裾から覗いていた。慌てて両手で太ももを押さえてみるも震えは止まらない。押さえるその両手も震えているのだから。



 まずい……



 まずい……






「姫宮さん」


「…………ぁ」




 長井先生に名前を呼ばれたその瞬間、まるで蛇に睨まれたかのように体が固まった。






 やばい……



 やばい……っ










「今のあなたは───ご自身が最近生まれた人格であるという自覚をお持ちなのですね?」









 心臓が鷲掴みにされたかと思った。


 思わず微かな悲鳴が肺から漏れる。

 咄嗟に唇を右手で押さえるも時既に遅し。この距離で聞こえてなかったなんてことはありえないだろう。


 長井先生と愛莉珠の父親の視線が怖くて怖ろしくて、ただただ2人の視線に晒され続けている自分の体をちぢ込ませることしか出来なかった。




 やめろ……




 やめ……





「では今の姫宮さんは過去の───」


「……ろ」


「───例えば小学校の出来事を覚え───」


「やめろっ!!!」







 悲鳴のような声だった。


 紫藤広樹の声なのか、それともの声なのか。

 その境界さえ曖昧な、2人の人格の共鳴だったのかもしれない。

 


 自分でも驚いた。

 別に、愛莉珠の人格を感じた訳ではない。この体は未だに俺の手の中にあるし、何か思考が乗っ取られるような異物感も感じなかった。


 では今の悲鳴は俺の意志か?

 なら俺は一体何を“やめて”欲しかったんだ?

 俺の正体を言い当てられる事か?



 大声で叫び感情を発散させたおかげか、真っ白な視界が一気に晴れた。俺は不自然な程に冷静な頭で自分の置かれている現状を確認し、この難局を切り抜ける道を探す。


 そうだ……良く考えろ、俺。

 前も自分に言い聞かせたじゃねぇか。俺が第三者の、それも男の人格であるなんて誰が気付けるって言うんだって。

 先生にこっちの人格が新しく生まれた方だって見抜かれたけど───それは別に少し考えれば誰だって気付くだろ、普通。だってパパンはあの日の夜に俺が“以前のような甘えんぼの愛莉珠”だったって言ってたじゃねぇか。今の俺の演技してる清楚な人格の方が本来とかけ離れてるんだから、こっちの方が新しい別の人格に見えるのは当然だろ。実際そうなんだし。



 ……うん、うん。なんか大丈夫そうだ。


 ようは俺が憑依した第三者の人格だということさえ隠せればいい。この清楚系正統派美少女キャラの演技を、愛莉珠本人の精神が生み出したオリジナル人格だと勘違いさせれば良いんだ。

 

 なんだ、簡単なことじゃねぇか。





「姫宮さん」


「っ、は……はい」


「落ち着かれましたか?」


「…………はい」




 うひょぉ、怖ぇぇ……


 俺が落ち着いた瞬間を見極めたのか、しばらく黙っていた長井先生がまた話しかけてきた。こっちの内心読みまくりかよ。流石プロ、心理学技能90以上ありそうだ。


 さ、流石にクリティカルロールでも俺の正体までは見抜けないよね……?


 ね……?




「…………申し訳ございません。大声を出してしまって…………」


「いいえ、こちらこそ。ですが……なるほど…………」




 ま、またロール成功したの……?

 くっそ怖いんだけど。



「……先生。娘は……愛莉珠はどうなのですか……?」



 流石のパパンもさっきの俺のヒステリーには驚いたのか、顔が若干青白くなっている。長井おばあちゃん先生に縋るように俺の状態を尋ねた。


 パ、パパン、あの、そ、そんなに心配しないで……

 マジでごめんだから……

 お、俺もう大丈夫だから……



「あの、お父さん……わ、私は、その、も、もう正気にもどりましたから……」


「愛莉珠……」



 慌てて両手をパタパタと振るって無事を主張する。でもその動作が健気な空元気に見えたのか、パパンが痛ましいものを見る目で娘の名前を呼んだ。

 あぁぁぁしまった。逆効果だった……


 ど、どうしよう……




「そうですね、先ほどの反応でお嬢様の症状がより明らかになりましたので、もう一度診察致しますね」


「それで……先生はどのようにお考えなのですか?」


「……まず、お嬢様が解離性同一症である可能性はやはり高いですね」


「それは……」



 パパンの搾り出すような声だ。



「先ほどのお嬢様の、不愉快な状況に対する強い拒絶反応はこのタイプの解離症に大変多く見られるものです」



 うへぇ……って、あれ?

 今先生ちらっと俺のこと見た?


 こ、怖いから笑顔で返しておこう……



 あ、今度は驚いた顔した。

 何なんだよ一体……




「……ですが、今のお嬢様を見る限り……拒絶反応を示す状況が不明確ですので、やはりもう少し様子を見るべきでしょう。先ほどの反応では明らかに今の自分を交代人格、つまり主人格ではないことを自覚しておられて、そのことを指摘されることに拒絶反応を示しておられるように見受けられたのですが……」


「…………」



 あ、やべ、またなんかミスった?

 今先生明らかに意見変えた……ってか修正したよね?


 あ、曖昧に微笑むのって、万能スルースキルじゃなかったのかよ……



「……つまり、まだ詳しい治療法は判断出来ないと、そうおっしゃるのですか……?」



 パパンが非礼にならないギリギリのレベルで不快感を声色に匂わせている。自分が不愉快であることを相手に伝えているのに無礼にならない程度に抑えているこの高度過ぎる会話スキル。

 長井おばあちゃん先生のトークスキルといい、この部屋での上級スキル発動率が高過ぎて中身17歳DKの俺の場違い感がヤバい。

 外見なんて12歳児だしもっと場違い感がヤバい。



「はい。率直に申し上げて、お嬢様の症状は大変珍しいです」


「珍しい……?それはどのような意味でしょうか?」


「まず、今のお嬢様はほぼ間違いなくご自身の交代人格です。ですが交代人格が一月以上もほとんど途切れることなく表層化したまま続く例は、特にお嬢様のような比較的幼い年齢の子供では大変珍しいですね」



 そりゃ、タイムリープ&憑依なんだから珍しいだろうな……

 珍しいっつかまず現実的にありえないよね。



「そもそもこの解離性同一症という精神障害は一般的には何かしらの強い心理的ストレスから自分の心を守ろうと、主人格が自分の人格の一部を切り離して生み出す、いわば船を嵐の浸水から守る二重底のようなものが作られることをいいます」


「二重底……」


「はい。例え水が流れ込んでも二重底なら船を沈めない、つまり人格が崩壊することを防ぐことが出来ます。ですので元々は人間の正常な自己防衛手段なのです」


「……ですが正常の心理状態だとそもそも二重底など必要ではないのでしょう?」



 パパンの心配と危機感がグサグサと俺の良心をぶっ刺してくる。

 思わず顔を伏せてしまった。



「ええ、それはおっしゃる通りです」


「…………」


「そこで話が戻るのですが、主人格から交代人格が分離する瞬間というのは大抵の場合、強烈なストレスに短期または長期的に接してしまった時です。その後その交代人格は継続的にストレスに晒されることで育って行くのですが、主人格と同等の確固たる人格に育つにはかなりの時間を必要とします」


「……未だ12歳の愛莉珠がこれほど安定した交代人格を持ってしまっていることは、あまり前例がない……と」


「無いわけではありませんが。長期間交代人格が入れ替わっている症例の中には冬の間ずっと交代していた例や、長い期間ですとそれこそ一生交代人格が主人格と交代した例もあります。アメリカでは7歳未満の症例もありますし、日本でも10代後半の女子学生が同一症と診断された例もありますね」


「…………」



 い、一生……

 ま、まあ俺にとってはそっちの方がいいんだけど……

 

 あれ、でももし俺が計画通りにこの世界の俺と付き合うことになったら、やっぱり今の紫藤広樹の人格だとキツいかも知れねぇから代わってもらうってのも……



 やべぇ、どっちがいいのかわかんねぇ……




「ただ主人格と思しき、“感情豊かで甘えんぼなお嬢様”が今の大人びたお嬢様に何を望んでいるのか。そして入れ替わった因子、原因は何なのか。何故大人びた人格を解離し、その自分を育てようと考えたのか。そもそも主人格のお嬢様はご自分の今の大人びた人格の存在を自覚出来ているのか否か。これらの疑問の答えが数問の分でも見つかれば、正しい治療を行いやすくなりますので、それらの答えが見つかるまではじっくり様子をみましょう」


「……わかりました」


「今後もし、また甘えんぼさんなお嬢様がお父様に甘えてこられた……なんてことがありましたら、どのような状況でそれ起きたかを詳しく記録してくださるととても治療が楽になりますので、是非よろしくお願い致します」



 皺くちゃの優しい顔で長井先生が微笑んでくれた。







───────────────






 姫宮愛莉珠という少女は本来は、良く言えば天真爛漫な甘えたがり、悪く言えば───非常に我侭な、性格の持ち主である。万人を惹きつけるその美貌と親しみやすい態度の裏に隠れた彼女のその性格の根底には、冷え切った家庭での生活で生まれてしまった、“愛情”そのものへの歪んだ憧憬と渇望があった。

 少女は“誰からも好かれる自分”になりたかったのではなく、“を好いてくれる人”を欲していた。近い将来に誰かに好かれるような人に変わるために、善行を積む。そんなことを考える心理的余裕などなかった。

 彼女は未来ではなく、、その時に人からの愛情を欲していたのだから。

 


 愛莉珠は自分の価値や存在といった抽象的なものに非常に敏感だった。家庭に居場所が無く親から愛情をほとんど与えられなかった彼女は、成長するにつれ自分の存在を希薄なものに感じることが多くなっていた。


親に必要とされない。なら必要とされる存在になれるように、自分をもっと大胆に表現しよう。


 その考えの結果生まれたのが、先の感情豊かで甘えたがりなの性格だった。自分を見て欲しい。自分はここに居る。その実感が欲しかった彼女が、その実感を与えてくれない環境に適応するために新たな自分を生み出した。

 少女の……苦肉の策だった。



 だが両親は彼女の涙ぐましい変化を評価しなかった。


 実力主義の父慶一、誰か一人に特別な愛情を注ぐことを悪徳と考える博愛平等主義の母愛莉あいり。辛うじて娘の愛莉珠とつながっていた慶一も、非生産的で受動的になった変化後の彼女の人格に評価すべき点を見出せなかった。また娘の生活を守り豊かにすることは出来てもその心を豊かにする手段は知らず、またその必要性も感じなかった。慶一にとって、娘への愛情とは母親が与えるものであったからだ。

 その誤解は夫婦が決別する直前まで解ける事はなかった。



 それでも愛莉珠の周囲は、最初の内は、そんな彼女の変化を歓迎した。


 幼稚園や小学校に習い事の先生、友人、その保護者……

 愛らしく年頃にワガママな愛莉珠はたちまち周囲の人々を虜にした。彼女は何をやっても許された。悲しそうな表情を浮かべれば、教室の席の位置も、友達のお菓子も、体育のチーム分けも、何もかもが思いのままとなった。

 少女は確かに、人に愛される人間になれていた。


 しかしそれはあくまで表層の、それも一時的な愛情に過ぎなかった。

 思春期が始まる小学校高学年に入ると、子供らしさより大人らしさが評価されるようになり、愛莉珠のように何か優れたものを持っている人間は妬みの感情に晒されやすくなる。

 人の評価は環境によって大きく変化するものだ。自分の美貌と甘えたがりの性格を駆使して人から愛情を受け取っていた彼女は、周囲の人間が一斉に思春期に入ったことで変化してしまった今の環境では、愛情ではなく憎しみを叩き付けられるようになってしまった。



 性格を変えたことで自分の望みが逆に遠のいてしまった愛莉珠は、以後自分が変わることを極端に恐れた。彼女にとって“変化”とは現状を打破する力になりえず、逆に自分の人格を揺るがす悪手であったのだ。

 家に居場所がない自分が人格さえも不確かな存在になったらどうなるのか。小女はその疑問を考えるだけで震えが止まらなくなった。


 今の変えてしまった天真爛漫な性格を昔に戻そうとして、果たして成功するのか。


 成功しても自分が愛されないことに変わりは無いのではないか。



 ……そもそもかつての───本当の自分はどのような性格だったのか。


 ほんの少し前の、変える前の自分の元の性格すら思い出せない事実に、彼女は驚愕した。それは紛れもないかつての自分だったはずだ。それをこうも簡単に忘れてしまうのか。



 ああ、やっぱり誰にも愛されない自分は……こんなにも簡単に消えてしまう存在なのか。



 愛莉珠はこの時から、自分の生み出した、永遠に変わること成長することの許されない仮初の性格を捨てることが出来なくなった。





 その小さな胸の内に潜む大きな歪みは、誰にも知られること無く───新たな、”より大きな歪み”に飲み込まれていった。







───────────────







 愛莉珠の父親、名を姫宮慶一という。


 彼が最初に自分の娘に違和感を覚えたのは、彼女の中学校入学を控えた日曜の深夜だった。

 幼稚で我侭。そんな、自己表現が過剰気味な娘の愛莉珠が、新天地の東京で新たな学校への入学を控えたある日に、父である自分に怯えるような眼差しを向けてきた。

 当時の慶一は酷く酔っており、翌朝起きた時に見知らぬホテルの一室で名も知らぬ女と裸で抱き合っていたことの衝撃もあり、娘の変化に気を配る余裕はなかった。

 そしてその3日後、以前は全く興味を示さなかったおことを習いたいと言い出した愛莉珠に再度違和感を覚えた。妻と別離し右も左もわからない東京に連れてきた娘が心配で、久々に休日を取り彼女の様子を見るために帰宅した。

 しかし玄関を開けた途端に腰に抱きついてきた、の甘えたがりな娘の姿を見て、彼は以前感じた違和感を取るに足らないものだと忘れることにした。

 そのつもりだった。



 だがその翌朝、慶一は娘のあまりの変わり様に大きく驚いた。すぐに顔が赤くなる体質はそのままに、まるで年頃の少女のような恥じらいを見せ、拙いながらも上品な仕草所作で振舞おうと努力し、逆に12歳にしては不自然なほどに流暢な敬語を使いこなす、謙虚で美しい少女がそこに居た。

 そんな娘の姿に慶一は初めて、彼女に人間的な魅力を感じた。子供のまま停滞し、精神的な成長を一切望まなかった以前の愛莉珠より、お筝に興味を示し、礼儀作法を学んでより優れた教養を持つ自分になりたいと願う目の前の人物の方が遥かに評価に値する。経営者として培われた鑑識眼が、娘の瞳の中にある狂気的なまでの向上心を見抜いたのだ。



 慶一は愛莉珠の変化を心から歓迎した。

 彼にとって少女のこの成長は、彼女の評価を“只の娘”から“投資のし甲斐のある娘”へと改めさせるに十分だった。現金で現実主義的な慶一にとってこれほど愛莉珠を愛おしいと感じたことは今まで一度も無かった。


 それはおそらく、かつての愛莉珠が本当に望んだ愛情の形ではないのだろう。

 彼女が望んだのは子供なら誰でも与えられるはずの、親の無償の愛情だったのだから。




「───私は年頃の娘に対する正しい愛情の示し方など知りませんでした。子供に愛情を注ぐのも教育するのも、妻のたっての希望で全て愛莉あいりに任せていた。私自身、母には可愛がってもらった記憶はあれど父とは年に数度会う程度の親子関係でした。父親とはそういうものだと、これまでずっと考えていた。妻が宗教に溺れ娘に悪影響を与えていることに気付いた時、愛莉珠はもう10を超えていたのです。娘に……いえ、己の家庭にあまりにも無頓着過ぎた私が招いた、私の罪……娘の不幸です」


「なるほど…………」



 パパンが懺悔するように顔を伏せながら言葉を吐き出している。あまりにも痛ましすぎるその姿に思わず涙が滲んできた。




「長井先生、お願いします。どうか……娘を───我が親子をお助けください」




 そういってパパンは長井先生に頭を下げた。とてつもなく、重たい頭だった。

 ガキの俺には決して篭めることの出来ない、強い強い気持ちが籠った、本物の父親の頭だった。













 なぁ、愛莉珠、そこに居るか?



 見えるか?




 お前は、自分が愛されていないなんて、これを見ても言えるのか?







 なぁ、愛莉珠……





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