紫の攻略対象者
放課後、教室の近くを歩いていたら、高い声が掛けられた。
振り返ると女子生徒が数人で楽しげに話しかけに来ていた。
「紫田先生、こんにちはー。今、暇ですか?」
「ああ、こんにちは。今は用事があるな」
「えー、ちょっとだけでもいいのにー」
「冷たいー」
「はいはい、お前らも早く帰れよ」
正直大した用事も無いが適当に返して足早に立ち去る。
正直、顔が良いと言うだけで生徒に妙に絡まれるのは少し面倒くさいし、捕まったらどれくらい時間を消費されるか分からない。
成瀬先生に憧れて就いた教師という職業には満足しているが、こう言う所は面倒だと思う。
そんな事を思いながら足早に歩いていたら、あ!と聞き覚えのある声が聞こえた。
振り返ると案の定、副担任として受け持っているクラスの生徒である桜宮が近づいてきていた。
「紫田先生、古文って分かります?」
「…まあ、教師なんで多少は」
「良かったぁ。あの、このプリント教えてもらえませんか」
確か古文は怖いと評判の先生の受け持ちだったはずだ。
ざっと見てみるとまあ教えられそうな範囲だったので頷く。
それにしても、
「今日は染谷とかと勉強会してないのか?」
「はい、皆それぞれ用事があって。普段、付き合ってもらえてるのも本当に有り難いなあと思ってるので、今日は自分でと思ったんですけど分からなくて。職員室に質問に行ってみようかなと思ってたんですけど、紫田先生がいたので助かりました」
「あの先生、怖いもんなあ」
「…はい、いや、最初に私が予習不足だったのが悪いんですけど」
そう言って落ち込んでいる桜宮を見て、コイツも変わったなあと思う。
入学したばかりの時は、まあよくいるミーハーな生徒といった感じで俺にも女子数人で連れ立って話しかけにきたり、勉強が苦手で厳しい先生方によく怒られていたりしていた。
それなのに、今は俺に勉強を聞きに来ても下心とかじゃなくプリントしか見てないし、勉強も一生懸命になって成績も一気に上がった。厳しい先生方の評価も向上中である。
その理由は、うちのクラスのヤツには大変に分かりやすい。
桜宮は篠山のことが好きなのだ。
途中から大変分かりやすく篠山を見ては顔を赤くしたり、アプローチをかけているのを見て簡単に気付いた。
成績向上の原因も成績が大変に良く特待生である篠山は来年はSクラスになるので同じクラスになりたいのであろう。
恋愛事で浮かれて成績や素行が悪くなるヤツもいるが、こんな風に変わるなら大歓迎といった感じである。
やっぱり篠山の人柄かなと思うが、アイツの普段の鈍さを思い出して内心でため息を吐く。
成績も良く、友人も多く、性格や家庭環境も問題なしと本人の時々あるやらかしを置いとけば非の打ち所の無い生徒であるのだが、やはり欠点というものは有るらしい。
正直鈍すぎて桜宮が可哀想になってくるレベルである。
そう言えば、生徒会のことも勘違いしていたようで伝えた時には、頭を抱えていた。
正直、あの条件を伝えれば、アイツの友人は勿論、その友人で優秀かつ真面目な篠山も条件に当てはまりまくるのがすぐに分かると思うのだが。妙な所で思い込みが激しいのかもしれない。
そんな事を考えながら桜宮にプリントの解説をしてやると分かったようで目を輝かせた。
こう言うのを見ると先生になって良かったと思うな。
「分かったぁ。なるほど、この文法かあ」
「ああ、分かったようなら良かった。頑張れよ」
「はい、これで明日の小テストもバッチリなはずです。ありがとうございました」
「ああ、気を付けて帰れよ」
「はい、さようなら」
そう言って頭を下げて、歩いていく姿を満足感を覚えて見守っていると、
「…用事ってこれのこと?」
冷たい声が聞こえた。
驚いて振り返ると、声と同じくらい冷たい目をした茜坂先生が立っていた。
その態度の冷たさと言葉の内容に慌てて口を開く。
「あのなあ、偶々会って勉強教えてただけだぞ。つーか、なんでさっきの会話知ってんだ」
「私もついさっき木村さん達に聞いたのよ。紫田先生に話しかけに行ったら、用事があるって言って冷たくあしらわれたって。確かに木村さん達はお喋りでアンタが少し面倒に思うのは分かるけど、桜宮さんにだけ贔屓って言うのは止めた方が良いわよ。アンタ人気あるし、もしも、噂になったら桜宮さんもアンタも困るでしょう。用事があるって断ったなら一人だけ別対応とかしないで断りなさい」
言ってることは分かるが冷たいままの視線に思わず言い訳が零れる。
「いや、だって、桜宮一生懸命だし応援してやりたくなるだろ。と言うか、お前だって篠山とか気に入って別対応だろうが」
言った瞬間、言わなきゃ良かったと思うほどに更に視線が冷たくなった。
「そーいうのが、いけないって言ってるんでしょ。お気に入りの生徒とかがいるのは分かるわよ。教師って言っても人間だしね。だけど、分かりやすい贔屓は止めなさいって言ってるの。アンタ目立つんだから、すぐに問題になりやすいわよ。この時期の女子の思い込みと拡散能力なめるな。私は、ちゃんと人目とか噂とかチェックしてるのにアンタがあんまり無頓着だから言ってるの」
正論でビシバシ責められて、素直に謝るしかない。
「悪かった。ちょっと考えが足りなかった」
そう言うと視線の冷たさがようやく和らいだ。
いつものような表情に戻った茜坂先生と一緒に職員室の方の歩き出す。
歩きながら、ため息混じりに茜坂先生が口を開いた。
「…まあ、気持ちはちょっと分かるのよ。桜宮さん、可愛いし。…ただ、生徒なんだし、思い人もいるんだから、ちゃんと区切り付けなさいよ」
その言葉が頭で処理されて理解できた瞬間、ぶはっとむせた。
「ちょ、ちょっと、待て。俺は桜宮のことはただの生徒としか思ってないぞ!」
「あ、そうなの? さっき、あんまりに緩んだ顔で桜宮さんのこと見てたから、てっきり」
「違う! ただ、教室での桜宮のアプローチとか篠山の鈍さとか教師としてちゃんと教えられたっていう達成感を感じてしみじみしてただけだ!」
「…ごめんなさい。見たこともないような柔らかい笑顔で見てたから、思わずロリコンに走ったかと」
そう言ってばつが悪そうな顔になった茜坂先生に、さっきのあの冷たすぎる視線はこの勘違いもあったのかと頭を抱えた。
「んな訳無いだろ。つーか、俺の趣味は同年代で…」
そう言って目の前にいる茜坂先生を見て思わず言葉を詰まらせた。
茜坂先生は珍しくそれにも気付かず、本当に気まずそうに言葉を探している。
「本当にごめんなさい。ちょっと、似た人で生徒を好きになっちゃった教師の話知ってたから、混同したわ。…先入観で人の行動決めつけるの良くないって知ってるのに」
珍しく落ち込んだ様子でそう語る姿に、以前言っていた見た目が派手で誤解されやすく学生時代は苦労したと言う話を思い出した。
ため息を吐きながら、頭をかく。
「まあ、勘違いってだけだろ。お詫びに今度の飲みはお前が奢ってくれや」
「…別に良いけど。アンタと二人で飲みにいくのもバレたらめんどくさいから店変えるわよ。遠いとこにするけどいいわよね」
「分かってるって。噂になるとお互いめんどくさいしなあ」
「そうよね。だから、無駄に顔が良いのってめんどくさいのよね。ただの同僚ってだけなのに」
「お前、自分でそれ言うの」
「事実でしょ。アンタだって自分の顔面偏差値理解してるじゃない。…じゃ、各クラスの保険便りプリント入れに配ってくるから、またね」
「ああ、お疲れ」
そう言って、職員室の前で別れて、職員室の自分の机に着いた所で頭を抱えて突っ伏す。
先程の会話でさらりと言われたただの同僚と言う言葉に、態度に臭う俺が範囲外という事にダメージを受けるのなんて今更だ。
俺のことを情報源だと言い切り、見せるのは辛辣な態度だけ。
だけど、たまに見せる分かりづらい優しさとか、生徒に向ける柔らかい視線とか、仕事熱心な所とか、こんだけ話すようになると分かるのだ。
おまけに、本人が俺と同じように内心で嫌がっているのだろう派手だという容姿は、控えめなメイクとか、シンプルに清潔感のある感じにまとめた髪とか、落ち着いた感じの服とかと相まって非常に俺の好みなのである。
明らかに変な所で拗らせてそうで絶対にめんどくさい、それも分かっているのに、これだけ揃うとどうしようもなく、好きになってしまうものなのである。
話していて分かるのはお気に入りの生徒が何人かいるが、その中でも一番気に入ってそうなのは篠山だ。
最初の内は、まあアイツ、面白いヤツだもんなとか、良い奴だもんなとか思っていたが、自分の気持ちに気付いてしまって、かつ、ここまで相手にされていないと微妙に気にかかる。
アイツが言ってた似たヤツで生徒を好きになってしまった教師の話というので、まさかなとは思うけど、もしかしたらなんて思ってしまうのは、完全に拗らせているのだろう。
「…決めた、絶対、応援してやろ、あの二人」
小さな声で思わず呟いてしまう。
贔屓はいけないと言われたが、気にするか。ちゃんと周りの気を使おう。
んでもって、篠山と桜宮がくっついたら。
もし、茜坂先生がアイツのこと好きだったならちょっとは分かるだろう。
違ったなら全然良い。
もしそうだったなら、傷心につけ込んでも側にいたいと思っちゃうのがどうしようも無いんだよなあ。
自分の思考に思わずため息を吐いて、思考を切り替えて、仕事をやるために顔を上げた。




