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第二十九章 戒と律と言 その三

 マクガイアの意識は水蒸気と共に上へ上へと上がって行った。

 

 マクガイアは自分が重さを取り戻したことを知る。マクガイアは雨になって地上に落ちた。


 景色が再び変わる。マクガイアはまた、灼熱の世界に戻された。


 この世界には熱と乾きしかなかった。体を溶かされた者たちがみな川へと向かう。

 

 目に瞼なく、口に唇なく、鼻は穴だけとなり、衣服どころか皮膚も肉も身にまとうことできず、骨を剥き出しにしながら川へと向かう。


 ある者は途中で崩れ落ち、溶け落ちて形を留めず、地に満ちている人炭(ひとずみ)と交わって泥となった。


 川にたどり着いた者たちが目にするのは、煮立った川面だ。

 川に足を踏み入れれば水面より下にある肉が川下へと流された。


 一人が堪らず、川下へ流される。マクガイアは流される者の姿を目で追った。


 その者はやがて中洲に打上げられて止まった。マクガイアが中洲と思ったものはクジラとも、巨大な鰐ともみえるほど(うずたか)く折り重なった屍の山であった。


 マクガイアはああっと大きく吐き、息を吸う。

 吸った空気は喉を焼き、肺を焼いた。


 目眩を覚え膝を着く。膝が人炭(ひとずみ)を潰す感触があった。

 マクガイアはそのままの姿勢で祈り始める。


 神へ慈悲を請うた。赦しを請うた。救いを求めた。


 ザーッという音とともに衣服を雨が打った。雨が地上の熱に触れむわっと一気に湿度が増し呼吸が苦しくなる。そして、涼やかな空気が一瞬にして辺りに広がりはじめた


 マクガイアは感極まって天を仰ぐ。祈りが通じたと思ったのだ。


 だが、その雨は黒かった。真っ黒な雨が降り注ぎ、彼の肌を打つ。その場で彼は泣き崩れた。


 雨は突然にやみ、風が場を払う。

 

 暖かな日差しを頭と背に受けて、マクガイアは周囲に気をはらう。

 咀嚼音が耳に届く、マクガイアは立ち上がり周りを見渡すと大地が白く覆われていた。


 大地は白く蠢いていた。大地は蛆で覆われていた。蛆が屍を喰らっている。

 その咀嚼音が響き渡る。蛆を払おうと手を振り上げると白い大地は一気に黒に覆われた。


 そしてけたたましい羽音とともに幾万、幾億という蝿が飛び上がった。


 蝿がマクガイアの鼻と口、耳を塞ぐ。マクガイアはああとその場に倒れ伏す。


 その途端、羽音も聴こえず、鼻、口、耳を塞ぐものはなくなった。


 あっけにとられ立ち上がる。青空を大きな雲が流れている。

 その雲が影を落とす場所、屍の中洲があったところに人影が見える。


 近づいてみると浅瀬で一人のシスターが顔を覆って泣いている。マクガイアは川に踏み入り彼女のもとまで行くと、川に膝を着き泣いているシスターの肩をたたいた。


 彼女は顔を背けて何やら言っているが、聞き取れない。


 自分が彼女に何かを語りかけているが自分が何を言っているのかマクガイアには分からない。


 彼女が何か言い、彼が何かを語って聞かせる、それが何度か繰り返された。


 彼女は微かに微笑みをたたえて、意を決してマクガイアに向き直って正面を向いた。


 彼から見えていなかったその半分は形がなかった。

 その惨たらしさに、その痛ましさにマクガイアは顔を背ける。

 

 後悔の念がマクガイアを襲う。そして向き直る。


 シスターは首を吊っていた。


 マクガイアは、そのシスターの虚ろな瞳に映る自分の影を見た。





 うなされて目を覚ますと、そばに鈴が立っていた。マクガイアは泣いていた。


 その涙を見て鈴がマクガイアの頭をなでなでする。マクガイアは鈴を抱きしめた。


 マクガイアと鈴は身支度を整えると手を取り合って礼拝堂に向かった。


 朝のお祈りを終えると高梨神父が「昨晩はよく眠れましたか?」と声をかけてきた。

 

 「ええ、ありがとうございます・・・ただ、不思議な夢を見ました」とマクガイア。


「どのような夢ですか?」と尋ねる高梨神父に、どう答えたものかと悩んでいると、マクガイアの目に夢で見たシスターの姿が飛び込んできた。

 

「私はあなたを知っている!」とマクガイアはそのシスターに叫ぶように声をかける。


 声をかけられたシスターは驚いて、後退る。


「あなたは川の中洲で泣いていた。あなたは、あなたは・・・」マクガイアは言葉が続かない。


 息を呑むシスター。高梨神父がマクガイアに落ち着くように声をかけて、シスターに鈴の面倒を見ているように言いつける。

 

 マクガイアと高梨神父は礼拝堂に並んで腰掛けた。


 「すみません。取り乱しました・・・」とマクガイア。


 「何があったのですか?わたくしにお話しいただけませんか」と高梨神父。


 マクガイアは片山神父の聖書を開き、思いを馳せたところから語しだし、昨日見た夢の話をした。


 夢の中で、首を吊り自ら命を絶ったシスターが、先程のシスターと瓜二つで混乱してしまったと理由(わけ)を話した。


 「なるほど、なるほど・・・」と高梨神父は大きく息を吐いた。


「何かこころあたりでも?」とマクガイア。


「彼女の祖父の姉がシスターでした・・・」と高梨神父。


「それで」とマクガイアが先を促す。


高梨神父は一度口を引き結ぶと、席から立ち上がって「着いてきていただけますか」とマクガイアに言った。

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