第二十九章 戒と律と言 その一
浦上天主堂の高梨神父は、笑顔でマクガイアと鈴の二人を迎えてくれた。
高梨神父は白髪痩身の人であった。顔の皺や節が浮き出た手などを見ると高齢であろうと思われるのだが背筋はピンと伸び、声も凛としていた。
鈴を教会に併設された託児所に預け、マクガイアは高梨神父に教会を案内されながら長崎教区の現状と課題、今後の方針について興味深く聞いた。
地方の少子高齢化は、東京など比でもないくらいに深刻であり、信徒の減少も著しいようである。
マクガイアは高梨司祭に、長崎の信徒達が原子爆弾の投下をどう受け止めているのか、信仰にどのような影響があったのかを尋ねたいと思っていた。
「高梨神父、教会はどのように原爆と向き合っておられるのですか?」と尋ねる。
高梨神父は静かに微笑み「ご覧いただきたいものがあります」とマクガイアを先導した。
マクガイアが連れて来られたのは小聖堂であった。こじんまりとした空間に光が満ちている。
正面の祭壇に薄汚れた石像があるのが見えた。高梨神父の後に続いて石像に近付いていく。
マクガイアの足が止まる。マクガイアの胸を痛みが貫く、石像は聖母マリアの頭部であった。
「原爆投下時に教会にあった聖母マリア像の一部です」と高梨神父が解説する。
「全身像だったのですが、頭部しか見つかっておりません・・・聖母像も被爆されました・・・ガラス製の瞳は熱で溶け落ち、黒い眼窩となってしまいました・・・」
高梨神父の解説を聞きながら、マクガイアはその場に跪いていた。
美しきマリア像は微笑みを湛えながら右の頬から髪にかけて焼け焦げている。
キリスト教が禁じら、激しい弾圧を250年間も耐え忍んできた信者達。
キリスト教が解禁され公に教会を持つことができるようになった信者達。
そして原爆が投下される、ガラスの瞳が溶け落ちるほどの高温が街を包んだのだ。
そして、その破壊から立ち上がり、今も信仰を捧げる信者達がいる。
その心中を思うと言葉にならない・・・
マクガイアが祈りを終え、立ち上がると「戻りましょう」と高梨神父が声をかけた。
戻る道すがら高梨神父は語った。
「原爆が投下される前、教会の信者数は15,000人でした。そのうち10,000人が原爆によって亡くなりました・・・先ほどもお話しました通り、現在の信者の数は7,000人です・・・まだ、わたくしたちは平和への、復興への途上であると考えています」
その日、マクガイアと鈴を迎えてミサが行われた。
高梨神父が説教を始める。
「みなさん、今日の日の喜びを共に分かち合いましょう。本日、東京よりマクガイア神父と鈴ちゃんが我が教会にお越しになりました」とマクガイアと鈴を信者に紹介した。
「今日、わたくしはマクガイア神父を小聖堂にご案内しました。マクガイア神父は被爆したマリア像の前で祈りを捧げられました。その真摯な祈りに、わたくしは感銘を受けました・・・」
話を聞いている信者達に温かな反応が広がる。
「わたくしはマクガイア神父に言いました。わたくしたちは平和への復興の途上であると・・・そう未だ道半ばです。道を誤ることがないよう、皆さんと主イエス・キリストの御心に全霊を傾けたいと思います」
聖堂が凛とし空気に満たされる。
「それでは聖書の朗読をいたします。ヨハネによる福音書第一章一節」と高梨神父。キリスト教神学の中核となる部分である。
「はじめに言があった。言は神とともにあった。言は神であった・・・言によらずになったものは何一つなかった」
言こそが、宇宙の根源的な原理であり、また神の知恵や意志を具現化する存在であることを示す。
言は、単に言語的な意味を超えて、神ご自身が世界と人間に関わるための仲介者であると宣言する。
「言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。しかし言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた」
神の言を拒絶する人の自由意志を認めながら、その愚かさを指摘する。
そして、ユダヤ教の一派であると思われていたキリスト教が、民族を超え、全人類への救いを約束する画期的な一節である。
「言は肉となって、わたくしたちの間に宿られた。わたくしたちはその栄光を見た・・・」
主イエス・キリストが神の子でありながら、人間となり、わたしたちと共に生き、苦しみを分かち合う存在となったことが示される。
一方で、主イエス・キリストは言であり、主イエス・キリストの肉体が重要なのではなく、言こそが重要であり、潰える肉体に神は宿るのではなく、永遠の言の中に宿ることに目を向けさせる。
「律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して与えられた・・・いまだかつて、神を見たものはいない・・・」
ここで、律法を超えた新たな救いの道が開かれたことが示される。愛による救済である。
そして、神を人が直接見ることはできないことを確認する。
つまり、主イエス・キリストの目に見える肉体は神ではなく、彼の言こそが神なのだと再度強調する。
朗読を終えると高梨神父は語りだした。
「原爆が投下されて80年が経ちました・・・わたくしたちは未だ道半ばです。
今日、朗読に使用した聖書は、原爆投下時に福岡に出張されていたため助かった片山神父の物です・・・
片山神父は新型爆弾が投下されたと聞いて、福岡から長崎に戻ります・・・
8月9日の夕方には長崎に戻られたと聞いています」
「この聖書は、片山神父が破壊され、傷ついた人々を励まされ救助にあたった時に携帯されていた聖書です」と高梨神父は言った。




