第ニ十八章 たまたま その三
マクガイアが佐倉青年に連れられ教会の白いバンに乗り込んだ頃、降穂は国際線のロビーのベンチに腰掛けていた。
平日ということもあってか、並んでいるベンチに腰掛けているのは降穂だけである。
降穂は機上でのマクガイアとの会話を反芻する。降穂はマクガイアのことを面白い男であると同時に、危険な男とだと評価していた。
そのマクガイアが天の階教会とぶつかるようなことになれば、どのような事態になるのか・・・
降穂の横に男が無遠慮にドッサと座る。降穂は横に腰掛けた男の顔を見て露骨に嫌そうな顔をする。
その降穂の顔は先程まで、マクガイアに見せていたのとは別の顔であった。
「どうも、公安の松村と言います。外務省情報官の降穂さんが、なぜ、マクガイア神父に接触しようとされているのか、聞かせてもらえませんか?」と松村を名乗る男は言った。
「なんのことですか?私は大佛と言います。大中小の大に、旧字の佛と書いて大佛です」と言う降穂の横顔を、松村と名乗った男が睨みつける。そして舌打ちした。
降穂は涼しい顔である。
「まあ、いい。素直に話してくれるなんて、こっちも思っていませんからね。ただ、覚えておいてください。奴はわたし達、公安がマークしています。くれぐれも邪魔しないでくださいね」言うだけ言って、松村は立ち去った。
外務省は、今、台湾情勢に神経を尖らせていた。中国の武力行使はあるのか、その武力行使を阻止するために諜報活動を行っており、その情報官の一人が降穂であった。
台湾を国と認め国交を結んでいた国は、近年、次々と台湾との国交を破棄し、中国政府と国交を結んでいる。
残る台湾との国交を持つ国で、その動向が注視されるのがバチカン市国である。
さすがの中国も、全世界に12億を超える信者を持つカトリック教会の影響力を無視できない。
そのバチカン市国が中国重視の動きを見せたのが2018年のことだった。
バチカン市国が台湾との国交を破棄するような事があれば、武力行使はより現実味を増すことになる。
しかも、中国は日本の政情不安を煽るための活動を盛んに行っており、第三者を通じて天の階教会と接触を持っていることを降穂は掴んでいる。
そのような時に、中国へ特使として派遣された経験のあるニコラス・マクガイア神父が日本に派遣されることが決定した。
イエズス会日本教区所属の神父三人が中国への特使経験者で固められている。しかも、三人とも武闘派である。
イエズス会にはどのような意図があるのか?バチカンの意向を汲んでのことなのか?
穏やかではいられない。マクガイアと接触するために工作してきた。
そして、先日、マクガイアは公安と強い関係を持ち、次期宰相と噂される宇津奈議員をバチカン特使に引き合わせている。外務省の頭越しにである。
外務省はバチカン特使と宇津奈議員の間で話し合われた内容までは、まだ掴めていなかった。
たとえそれがどのようなものであれ、現在の情勢下で外務省抜きで独自の外交を行うなどということが許されるわけはないのだ。
外務省の上層部は、宇津奈議員へ抗議したということだが、まあダメだろうと降穂は思う。体よくあしらわれて終わったのだろう。宇津奈議員の方が一枚も二枚も役者が上なのだ。
さらに、今日、マクガイアの口から天の階教会と接触したと聞いた。そこに、公安が動いているとなるとマークを外すことなどできないなと降穂は結論する。
バチカン特使との仲介役を終えた後、マクガイアは東京へ戻ると予想されていたのだが、急遽、長崎へ向かうと判明し、段取りを大幅に変更することになったが、マクガイアとの接触は叶った。
その無理な予定変更が、公安に降穂の動きを気取らせたのかもしれないと降穂は思う。
上海行の搭乗手続きまで、まだ時間があった。降穂はVIPラウンジに向かう。
そこでアタッシュケースを受け取ると、個室に移動した。
仕立ての良いスーツを脱いでハンガーに掛けると、ヨレヨレのスーツに着替えた。
鏡の前でメガネを付け替え、髪を逆撫でる。カバンからチープカシオを取り出して左腕に巻いた。
鏡の前には先程までのグローバルエリートの姿はなく、うだつの上がらないサラリーマンの姿があった。
降穂は胸ポケットからパスポートとチケットを出し、確認する。
パスポートにある”我孫子冬人”の名前を確認して、胸ポケットに戻す。
ラウンジの受付にアタッシュケースを返し、別のカバンを受け取って搭乗口へと向かった。
そう、ここからは”我孫子冬人”だ。この名前は、中国人にウケる。




