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第二十六章 抗う術

 パウロがどうしても手が離せない用事ができたとかで、今日はマミがユリアの登校に付き添うことになった。


 付き添いには護衛の意味があると聞いていたユリアは、マミで大丈夫なのだろうかと思ったが、アントン・モーヴェ教区長もシスター杉山も全く心配する素振りがなかった。


 保健室学級では、早くもユリアの付き添いによる特別授業を楽しみにする雰囲気ができていた。


 そこに、現れたシスター服姿のマミに一同の期待は高まった。シスターと話すことなど、誰も経験したことがなかった。


「素敵」と声を上げる生徒もいる。その声にマミもまんざらではない。


 マチコ先生が「それでは、マミさん。今日は何を教えてもらえますか?」と声をかけた。


 マミが皆に振り返って、さっと戦闘ポーズを取って見せる。

「護身術!」とマミが言うと、歓声と驚きの声が同時に上がった。




 マミは先のカルト紛争で教会に保護された孤児である。


 マミは保護された当時、自分から動くということができなかった。

 何かをするように言われれば、できるのだが自分で自分の行動を決めること、自分の意志で動くことができなかった。


 スタッフが気付くと、おしっこやうんちで下着が汚れていることもあった。

 マミは尿意を催してもトイレに行くということができなかったのだ。


 ある日、教区長になる前のアントン・モーヴェ神父が彼女を道場に連れて行った。


 アントン・モーヴェ神父は、オランダ人で一族が幼い頃より柔道を習う柔道一家で育っていた。


 本人も相当な腕前で、当時の日本代表選手が背の高い外国人との対戦を想定して、組み手の相手を依頼されるほどだった。


 当初、マミには道場で何をやらされているのかわからなかった。

 ただただやれと言われたことを一生懸命やった。


 もともとマミは運動神経が悪いわけではなかったし、やれと言われたことを無心に取り組んだお陰で、基礎的な動きは直ぐにマスターした。


 その上達ぶりはアントン・モーヴェ神父がマミには才能があると思った程だった。


 ところが、組み手となるとからっきしだった。

 始めの声がかかると突っ立ったまま相手に組むこともせず、投げられて終わった。


 アントン・モーヴェ教区長は、マミに何も言わず辛抱強く待った。


 マミは突っ立ったまま投げられる日々が続いた。

 他の指導員が見かねてアントン・モーヴェ教区長に言った。「このままでは危険です。マミちゃんは受け身すら取ろうとしない。怪我をしてしまいます」


 そこで、アントン・モーヴェ神父はマミに声をかけることにした。

 指示されて動くのではなく、自分で考えて動けるように指示を出す。


 アントン・モーヴェ神父はマミを呼び「マミ、相手に倒されないように、相手の技を(かわ)して、相手を倒すために技を仕掛けなさい。道場で習ったことを思い出してやってごらん。まずは相手を掴んで始めなさい」


 マミは何をすればいいのか分からなかったので、言われた通り相手の道着を掴んで組み合って、やってはいけないこと、倒されないことに集中した。


 相手が狙う奥襟(おくえり)を外し、仕掛けてくる内股(うちまた)(かわ)す。

 相手の引きに対し体を()らして耐え、押しを()らして位置を取る。


 相手が再度内股を仕掛けてきたとき、体が反応した。

 払いに来た足を(かわ)すとそのまま半身を相手に当てて払腰(はらいごし)を繰り出していた。


 体がマミに語りかけてきたような感じがした。体と意識が再び繋がった瞬間だった。その生々しい実感に驚いたマミは技を決め損ねて、払腰(はらいごし)(がえ)しで畳に背をついてしまった。


 互いに礼をして組手を終え、マミがアントン・モーヴェ神父の方を向くと、負けたマミに向かってアントン・モーヴェ神父が満面の笑みでガッツポーズを向けている。


 アントン・モーヴェ神父をまっすぐ見つめてマミは言った。


「おしっこしたい」


 その後、マミは柔道に、合気道、空手と黒帯を取得して今に至っている。




 保健室でのマミの護身術教室は実技ではなく、まず座学から始まった。


 マミは女生徒たちに、女性に暴力を振るう男の特徴から話を始め、男性から暴力を振るわれた際の法的な対処法、精神的な回復方法とそれらを支援してくれる団体とその連絡先を皆に教えた。


 そして、格闘に関しては、力では男に叶わないことを伝えた後に、実技の最初は、声を出して助けを求める練習から始めた。襲われた際に、声を出せない女性が多いのだという。


 そこで、実際に大声を出すことをやってみる。「やめて」「助けて」と叫ぶ練習から始まった。

 叫ぶことができない子や、声が小さすぎる子がいた。


 次に、防御。これも、逃げることを前提に、ダメージを最小限に抑える方法を教える。


 男性が女性に暴力を加えるとき、そのほとんどがフック気味の攻撃になるとマミは言った。


 そのフック気味に加えられる攻撃に対して、より外の軌道を描くように腕を振るって体を入れ替えることでダメージを回避できる。


 最悪、顔の前に両手を広げるだけでもだいぶ違うのだと言った。


 男の右腕による攻撃を左手で振るう練習をした。コツは相手の攻撃を点で捉えるのではなく線で捉えること、自分の腕の振りも点で出すのではなく線で出すことである。


 相手の攻撃にこちらの手を添えて打線の外に身を置くことを教えた。


 やむなく攻撃する際の攻撃方法を教える。

 急所は人体の正中線にあること。

 

 男性に対して女性の効果的な攻撃は目潰しか金敵への攻撃であること。

 目潰しは付くのではなく、目玉を払うまたはひっかくイメージで攻撃すること。


 金的への攻撃は足で、押し込むのではなく、引くことを意識して打撃を加えることを伝える。


 拳の握り方を教えることはしなかった。拳を交える戦いなどこの子達には無理だからだ。


 保健室登校の生徒達にとって、久しぶりに体を動かす授業となった。

 「マミ師匠」とマミを呼ぶ生徒達の顔が活き活きとしている。

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