第二十章 たんぽぽのようなひまわり その四
屋台を後にして、ユリアは家に戻ると、ゴミ袋から制服やら教科書やらを取り出して、テーブルの上に再度並べた。それらを眺めているうちに、体が熱くなる。腹の中で、ラーメンと屋台の親父の言葉が燃えている。
ノートと筆記用具を取り出して、必要な生活費を試算した。必要な生活費を稼ぐために、どのくらい働けばいいのか試算した。試算の結果、不可能ではないという結果が出た。
今から思えば、とんでもなく楽観的な試算だったと思い知るのだが、それはユリアを奮い立たせた。
翌朝、学校に向かいながら考えた。取り敢えず、目立たないようにしれっと教室に入り、クラスの状況を見極めようと考えた。
学校までの間に、小さな商店街があった。時間は8時前で開いている店は喫茶店と、パン屋ぐらいだった。そのパン屋は、ユリアが一週間に一度はパンの耳を安く分けてもらうお店だ。焼き立てのパンの匂いを追いかけて鼻先を店の方に向ける。
なんとはなしに横の店のシャッターに貼ってあるアルバイト募集のビラに目がいった。”まかない付き”の文字が意味を伴わず、意識に張り付いた。”まかない付き””まかない付き”つまり、ご飯が食べられると言うことだ。
ダッシュで来た道を引き返す。犬を散歩させていたおばあちゃんがああと道の脇に身を寄せた。アルバイト募集のビラには、時給1150円 勤務時間 月〜土 17:00時〜23:00時の間で応相談 業務内容:仕込み手伝い、配膳、洗い物となっていた。
早起きは3文の得という言葉が頭に浮かんだ。今日、学校が終わったら早速、面接してもらおうと決めた。
初登校を何とか乗り切り、家に帰る途中、求人のビラが貼ってあった商店街の居酒屋の前を通る。シャッターは上がっているが暖簾はまだ出ていない。仕込みの最中なのだろう、通りに面した換気扇が回っている。
ユリアは早足になって、家に帰った。私服に着替えて、再度、店に向かう、まだ暖簾は出ていない。店の前に来て少し怯む。履歴書を持ってきていない、書いてすらいない。ええい、ままよと扉を開けて「すみません」と中に声を掛けた。
「はーい」と着物を着た女将さんらしき女性が振り返った。大将は顔を上げることなく黙々とカウンターの中で作業している。大将と女将さんは夫婦なのだろうとユリアは思った。
女将さんのお腹は大きく膨らんでいる。女将さんが首を横に傾けて何かと聞いてくる。
「あの、求人のビラを見たんですけど、まだ募集してますか?」
「あ、アルバイトの?してます。してます」と言って、前掛けで手を拭いながらちょこちょこと歩み寄って来た。そしてカウンターの椅子を引いてユリアにかけるよう促した。
女将さんはよっこいっしょっと言って自分も椅子に座った。
「履歴書はある?」
「すいません、用意してなくて・・」
「あーいいのいいの、あったほうがいいけど、ちいさなことだから・・・歳はいくつ?学生さんよね?」
「じゅ、18歳です」嘘をついた。
どうしても雇ってもらいたい思いがでたのか、とっさに18と言ってしまった。
この夏に16歳になる、現在15歳ではどう考えても雇ってもらえるとは思えなかった。
ユリアは近くにある服飾専門学校の名前を上げて、千葉から出てきて、春からそこに通っていると、住まいは実際住んでいるアパートの名前を告げた。
「すぐ近所ね。うん」と女将さんはユリアの話を信じたようだった。
「うちの店は、割烹居酒屋でね、夫婦でやってるんだけど、子供ができて」と女将さんはお腹を撫でた。「で、もうちょっとしたら私が店に出られそうにないから、私の代わりを探していたのよ」と言ってニコッと笑った。
「仕事は難しくないの。お客さんの注文を主人に、あっ大将ね。大将に通して、出来上がった料理を出して。空いた器を下げて、ドリンクはうち等の担当。ビール、酎ハイ、焼酎、日本酒を出して、洗い物をして、そのうちレジもお願いできれば、仕込みも手伝ってもらえたらと思ってる」と女将さんは簡単に業務内容を説明した。
「飲食店での働いた経験はある?」と女将さん。
「ありません」とユリア。
「シフトはどうだろう?どのくらい入れる?」
「月曜日から土曜日まで入れます。できるだけ、入れるだけ入りたいです」
「ほんとに、助かるわぁ。でも、専門学校だと課題とかなんとか忙しいんじゃないの?」
「なんとかします」
「時給は1150円、末締め10日払いになります」
「はい」
「いつから入れる?」
「今日から入れます」
「今日から?」
「はい」
「何か聞いておきたいことはある?」
「はい、あのぉ、まかない付きって本当ですか?」女将はあははと笑った。
「そうね、下宿の学生さんにとっては一大事よね。大丈夫、主人が、あっ大将が腕によりを掛けたまかないをお出しします」
「あなた、いいわよね?ユリアちゃん、今日から入ってもらうわよ」
大将がカウンターから顔を上げず、手を上げる。
「決まりね」と女将さんがニコッと笑った。ユリアに少し待つように言い。
一旦奥に引っ込むと、前掛けを持ってやってきた。
「これ着けて」ユリアが前掛けをつける。
「はい、こっち来て・・・これがビールサーバー、こっちがチューハイ、で熱燗」厨房の方へ案内する。
「ここが洗い場、下げた器はこっちのシンクにとにかく入れてく。器の食べ残しはゴミ箱に捨てる。で、隙をみて洗う」と言って、わかったとユリアに頷いてみせた。ユリアが頷き返すと。
「とりあえず、今日は雰囲気とペースに慣れてね」と言ってユリアの肩をポンと叩いた。
「あっ、大事なこと。接客は愛嬌だから、これ、忘れちゃダメだからね」と見本のような笑顔を向けてくる。
「はい」とユリアがニコッと笑ってみせる。
「しばらくはオーダーは私の方で取るから、ユリアちゃんは、おしぼりと突き出しを出して。作業中にお客さんから注文が入ったら、カウンターの大将に席番を言って注文をそのまま通せばいいから、そしたら大将が伝票に注文を追加します。で、その注文が飲み物だったらユリアちゃんが準備する。席番は、カウンター奥から1番、2番、3番、5番、6番、4番ないから気をつけてね。で、座敷が7番、8番。わかった?」
「はい」
「お手洗いは、あそこ」と通路の脇を指さした。
するとそーっと店の扉が開き「暖簾出てないけど、やってる?」と初老の男が顔を出した。
「いらっしゃい、辰さん、入って入って、ごめんなさい、バイトの子にいろいろ説明してて、暖簾出すの忘れちゃってたわ」
「へ〜アルバイト雇うの?景気がいいと見えるね」
「違いますよ、私がほら」とお腹を見せて「ちょっと大事にしたいから、厳しいながらも大将に無理言って、ね、そういうことなの」
「そりゃそうだ、大事に越したこたぁねぇよな、大将」
「モデルかなにかかい、お姉ちゃん。綺麗だね」と辰さんが声をかける。
どうかえしていいか分からず、とりあえず愛嬌と笑っておしぼりと突き出しを出して「よろしくおねがいします」と挨拶した。
「辰さん、飲み物どうします?ビール?」と女将さんがオーダーを取る。
「いや、春だってのに寒の戻りってやつだね、今日は熱燗にしとくよ」
「はい。ユリアちゃん熱燗ね」と声をかけられると、教えられた通りにユリアは熱燗を用意する。
そんな具合で、初日が始まった。
「今のうちにまかないいっとけ」と初めて大将から声を掛けられた。
「はい」と返事する。
鯛の刺身と、ほうれん草の煮付け、味噌汁、筑前煮、ご飯大盛りが乗った膳がユリアに渡された。「飯、お替り欲しかったら言えよ」と言った。
とてつもなく美味しかった。鯛の刺し身一切れと筑前煮一口、ほうれん草の煮付け一口でお茶碗が空になってしまった。大将が笑いながら茶碗に二杯目のご飯をよそおってくれた。
10組から15組くらいのお客さんを捌いて11時になった。まだ客席には3組ほどが残っており、酒を酌み交わしている。女将さんに「お疲れ様、今日はもう上がって」と声を掛けられ、前掛けを外して、大将にお疲れ様でしたと声をかけ、店を出る。
店の扉を閉める手が重い。春とはいえ、まだ、寒さがのこる夜気が心地いい。空のお月さんを見て、ため息が出る。ユリアは家への一歩が踏み出せず、まごついていた。すると女将さんが外に出てきた。




