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第十八章 義理と人情 その四

 車を降りて多田がトランクから荷物を出す。その荷物を安原が引き受けて、ユリアとともにミカエル荘の玄関へと向かう。

「ほんとはヤクザなんかを連れてきちゃいけない所なんだけど」とユリアは扉の前で言う。

「えらく、慣れた口をきくようになったな、ユリア。叔父(おじ)さんはうれしいよ」と安原が言う。


 ユリアがチャイムを鳴らして、(しばら)く待つ。もう、真夜中だ。皆、寝ているに違いない。

 「ユリアちゃん?」インターフォンからマミの声がした。

 ユリアはインターフォンのカメラに向かって頭を下げて「ごめんなさい。こんな夜遅くに。ちょっと困ったことがあって」そこまで言うと、「ちょっと待ってね、すぐ開けます」とマミがこちらに向かってくる足音が中から聞こえる。


 玄関に明かりが点いて、扉が開いた。

「何があったの?中に入って」とマミは言って、ユリアの後ろの男に目が行く。

「あの、こちらわたしの叔父(おじ)さんです」とユリアがマミに紹介する。

「夜分に恐れ入ります。ユリアの叔父(おじ)の、安原義人(よしひと)と言います。実は、わたし、こちらの教会で洗礼を受けております。今日は、(めい)のユリアのことで至急のお願いがあり、夜分にもかかわらず、お伺いさせていただきました。アントン・モーヴェ神父とお話できますでしょうか?」マミは、どう見てもカタギに見えない男を信用したものかどうか迷う。横にいるユリアがマミに大丈夫だと頷く。

「とりあえず、お上がりください」とマミは意を決して二人を招き入れ、食堂に通した。


 食堂でユリアは席についたが、安原は立ったままである。

 マミはアントン・モーヴェ教区長に来客を告げるため、足音を殺しながら階段を登って行った。


 しばらくして、マミが戻って来て言う。

「モーヴェ教区長がお会いになるそうです。しばらく、お待ち下さい」


 安原に席を勧めるが、安原は座ることを遠慮する。(はた)から見ても、安原が緊張しているのが分かった。

 マミは、ユリアと安原にお茶を入れてくれた。ユリアは一口飲んだが、安原は飲まなかった。

 やがてアントン・モーヴェ教区長が階段を降りてくる音が食堂に届いた。


 大きな体に満面の笑みを浮かべてアントン・モーヴェ教区長が食堂に入ってきた。

 安原は目が合った途端(とたん)に、深々と頭を下げて「夜分に申し訳ありません」声が震えている。

「ご無沙汰を・・・お詫びします・・・」と振り絞るように言った。

 ユリアも立ち上がって頭を下げた。


「ユリア君。高校生はもう寝ていなきゃいけない時間だよ」と微笑んで座るように促した。

 ユリアが椅子に座ると、アントン・モーヴェ教区長は安原に向き直り「義人(よしひと)くん。顔を上げて、わたしに顔を見せてくれ」と優しい声をかける。

「立派になったね」巨大なアントン・モーヴェ教区長に比べると安原はまるで少年のようだ。


 アントン・モーヴェ教区長は両手を安原の両肩に置き、「30年ぶりかな?」と声をかける。

「自分のことを覚えて頂いているんですか?」と安原の顔は嬉しさと驚きがないまぜになっている。

「もちろんだ。洗礼を受けたものを忘れられるほど、教会の信徒は多くないんだ」アントン・モーヴェ教区長の手は肩から肘に移動し、そして安原の両手を持って「指もちゃんと揃っているね」と微笑んだ。


 安原の両目からは涙が溢れ出している。アントン・モーヴェ教区長は「よく来た」と、安原をぎゅっと抱きしめた。

 嗚咽(おえつ)を漏らす安原が、落ち着くのを待って、アントン・モーヴェ教区長は言った。

「立っていては話ができない。さあ、座って」安原は大人しく従う。

「お茶を飲みなさい。」安原は一気にお茶を飲んだ。

「で」とアントン・モーヴェ教区長はすべてを見越して言った。

「教会でユリアくんを預かればいいんだね」


「はい」と安原が頭を下げると、ユリアもそれに(なら)って頭を下げた。

「マミ、部屋は空いていたね?」

「はい」

「ユリアくんを部屋に案内してもらえますか」

「はい」

「ユリアちゃん、行きましょうか」と言ってユリアのボストンバックを一つ持って、ユリアを部屋へと案内した。


 食堂を出ていく時に、ユリアは振り返って「叔父(おじ)さん、今日は、ありがとう」と礼を言った。安原は顔を伏せたままで”もう、行ってくれ”というように手を振った。

「マミ。そういえばおはぎがありましたね」とアントン・モーヴェ教区長が聞いてきた。

「ええ、ご用意しましょうか?」とマミ。

「いや、いい。わたしがやる。みずやだね」とおはぎの保管場所を確認する。

「はい」とマミ。

「うん、大丈夫だ。さあ、部屋に案内してあげなさい」と言って、アントン・モーヴェ教区長は立ち上がった。


「義人くん、君はおはぎが好きだったよね。一緒に食べようじゃないか」と安原に声をかける。

「俺にやらせてください」と安原が席を立つ。

「いいから、君は客人だ」と言って、アントン・モーヴェ教区長は安原の空の湯呑みを取ってキッチンに向かった。


 そして、お盆におはぎとお茶を乗せて戻って来て「さあ、いただこうじゃないか」と言った。




 安原がミカエル荘から出てきたのは明け方だった。二人の手下は車の中で眠っている。

 車の窓をノックすると運転席の小籔(こやぶ)が顔を(ゆが)ませて目を開けた。安原の姿を認めるとハッと飛び起き、外に出て後部座席のドアを開けた。

 その振動で助手席の多田も目を覚ます。多田が顔をこすりながら「えらく長くかかりましたね」と言う。安原は「ああ」と頷いた。


「事務所でいいですか?」と小籔が言う。これにも「ああ」と頷く。

「でっかい神父とは会えたんすか?」と小籔が聞いてくる。ああと返事をする。

「そういや、おやっさんはなんで年少(ねんしょう)いったんすか?」と無邪気に聞く小籔の頬を後部座席から腕を伸ばしてペシペシと叩く「すいません」と小籔が首を(すく)めて謝った。




 今日初めて、事件の真相をアントン・モーヴェ教区長に話した。

 安原は、中学を出て、すぐガソリンスタンドで働いていた。仲間とつるんで暴走行為と喧嘩を繰り返し、街で評判のワルになっていた。一歳上の姉の里美は高校で野球部のマネージャーをしており、野球部のエースの倉棚茂と付き合い始めていた。


 そんな時だ、安原は久しぶりに実家によった。今では何の用事で家に寄ろうと思ったのか思い出せないのだが、家に入ると家の中はめちゃくちゃで、姉が血まみれの包丁を持って呆然と立っている。姉の衣服は乱れていた。


 姉の見開かれた視線の先で、親父が腹から血を滴らせながら(もだ)え、姉を睨んでいる。

 安原は何があったのか、そして、父親が助からないだろうことを悟った。

 姉が固く握りしめている包丁を、ゆっくりと奪い、まだ息のある父親を滅多(めった)刺しにした。


 父親が完全に息絶えた事を確認して、呆然とする姉の手をとって台所に行き、姉の手を洗ってやった。

 そして奥の部屋に連れて行くと、床に座らせ、衣服を整えてやった。

 そして姉に耳打ちした。


「いいか、姉さんは何もしていない。俺と親父の親子喧嘩だ。俺が親父をぶっ殺した」と安原は里美に言い聞かせるように言った。


「姉さん、こっちを見ろ」と里美を安原に向き直らせる。

「いいか、姉さん。言ってくれ」と安原は里美の目を覗き込む。


「義人が父さんを殺した」と安原が里美に繰り返す。

「ほら、言ってくれ」と安原が里美の肩を揺する。


「義人が父さんを殺した。姉さんは何も悪くない」と安原が再度、里美に言い聞かせる。

「ほら、言ってくれ」と里美の肩に力を込めて言う。


「義人が・・・父さんを・・・殺した・・・」と虚ろな瞳のままで里美が言った。

「そうだ、姉さん。それでいい」と安原は里美に笑顔を向けた。


 その後、安原は警察に自首した。街で評判のワルがついに行き着く所まで行っただけの事件として、姉里美の犯行を疑うものは誰もいなかった。


 安原はアントン・モーヴェ教区長にユリアとの関係を問われ、姉里美のこと、家族のことなどを話しているうちに、誰にも話さず、墓の中まで持っていこうと決めていたはずなのに、事件のことをアントン・モーヴェ教区長に話してしまっていた。


 安原は、自分が黙っていれば姉の里美は幸せになれるはずと思っていた。なのに里美は、カルトの餌食にされていた。安原は、その現実を突きつけられて、動揺した。それ以上に、里美から強く拒絶されたことが堪らなかった。


 顧客台帳を奪われ、挙句の果てに刺されるなんてヘマをやらかした上に、ただ幸せを願っていた姉から拒絶された。安原は自分の気が()えていくのを感じた。

 自分は(やわ)になっている。受け入れがたい現実に体が反応し、安原は運転席を思いっきり蹴った。小籔が「何すか」と悲鳴を上げる。

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