第十八章 義理と人情 その三
「荷物をまとめろ。ここにはもう戻らない覚悟でいろ」と安原。
「部屋の外で待ってから」と言って安原がアパートの廊下に出ると、白いバンはまだ向かいの通りに停まっていた。
スモークフィルムを貼った窓からこちらを見ている気配がある。
安原は廊下にある消化器を持つと白いバンに目掛けて勢いよく放り投げた。
消化器はきれいな放物線を描いてバンの屋根の上に落ちた。
消化器はボゴッという音を立てて、白いバンの屋根にはっきりとした窪みを残して、向こう側の用水路に落下した。
白いバンは急発進して去って行った。
しばらくして、ユリアがリュックを背負って両手にボストンバックを持って現れた。安原はユリアから2つのボストンバックをひったくって、歩き出す。
ユリアは部屋に鍵をかけて後に続いた。
階段を降りると、多田が黙って安原からバッグを受け取って、川沿いに停めてある黒いベンツに向かって走っていった。ユリアはその男が安原の子分なのだろうと思った。つまり叔父さんである安原はチンピラではなく、そこそこのヤクザなのだと見当をつけた。
多田が車に向かっていくと、車から小籔が降りてきた。
小籔は、後部座席のドアを開けて頭を下げて、安原が来るのを待っている。
安原が開いたドアに乗り込み奥へと移動し、「乗りな」とユリアに声をかける。
ユリアが担いでいたリュックを肩から外そうとしていると「後ろのトランクに入れますか?」と2つのバッグをトランクに収め終えた多田が聞いてきた。
「いえ、これは持っておきます」とユリアは答え、車に乗り込む。
多田はユリアの体が完全に車内に収まるのを待って、外からドアを閉めた。そして、頭を下げて、助手席に回り込んだ。
ユリアは自分が座っている革製のシートを手でなでる。そして「これ、ベンツですよね。お父さんが乗ってたやつとおんなじ・・・懐かしい・・・」と言って車内の空気を胸いっぱい吸い込んで言った。
「タバコ臭っ」それを見て安原が微笑む。
全員が乗り込み、発車の準備が整うと「イエズス会教会へ行ってくれ」と安原が告げる。車がゆっくりと発進した。
「イエズス会に行くんですか?」とユリアが驚いて聞いた。
「ああ、行ったことあるか?ないよな」と安原が言う。
「いえ、よく行ってます。なんなら今日も行ってたし」とユリアが答える。
「お前、カトリックなのか?」と今度は安原が驚いて聞いた。
「いえ違います。ちょっとした縁があって」とユリア。
「そうか、なら話は早い」と安原。
「叔父さんと教会はどういう関係なんですか?」おじさんという言葉に反応して「あっ」と声を上げる運転席の小籔に安原が後ろからビンタをかます。
「俺は、カトリックだよ」えっと社内の3人が叫んだ。安原は後部座席から手を伸ばして前に座る男二人を叩いた。
安原は姿勢を戻してから、ユリアに説明した「さっき、少し離れたところで暮らしていたと言ったろ。そん時に、イエズス会の人たちに出会って、洗礼を受けたんだ」
「そいつら、年少に来てた神父っすよね、俺も知ってますよ」とどこか得意げに言う小籔に、再度、安原が手を伸ばそうとすると、その手をユリアが止めた。
小籔がバックミラー越しにユリアに礼を言うように頭をコクリと下げる。
小籔が座る座席を後ろから安原が蹴る。ユリアがその脚をペシリと叩いた。
「でも、ヤクザでキリスト教徒ってありなの?」とユリアが言う。
ユリアはヤクザと言ってしまって、しまったという顔する。
「少なくとも仏教徒のイタリアンマフィアよりは珍しくはねえだろ」と安原は言う。
「あのぅ、叔父さん、さっき部屋で話していた時に、お母さんが宗教にはまったのは自分のせいだって言ったよね?」と改めてユリアが聞いた。
「ああっ」と安原。
「話して欲しいんだけど」とユリア。
「ああっ」と言って、安原は話し始める。
「俺達は父子家庭だったんだ。母親は親父に愛想尽かして出て行った。親父は漁師をやっていたんだが、これがどうしようもねぇ親父で、飲んだくれで、博打好きで、よく暴力を振るわれた」
前に座る二人も耳をそばだてて聞いている。二人にとって初めて聞く話だった。
「家に帰りたくなくてな、よく近所をぶらぶらしてたんだ」と安原。
「いつものようにランドセルを背負ったまま、近所をぶらぶらしてたら、同級生の女の子に声をかけられた。一緒に集会所に行かないかって」と安原の声に昔を懐かしむような色が浮かぶ。
「集会所がなにかも知らなかったが、着いて行くことにした。とにかく、少しでも家じゃないどこかに居れるならって。で、その子に着いてった」そう言って安原は、自分の手を見つめた。
「行ってみると、居心地がいいんだ。色んな年の子がいて、宿題したり遊んだりしてな。で、姉さんを誘って毎日行くようになった。姉さんも家に帰りたいとは思っていなかったからな」
「今日は、あれだ、突然の再会だったもんで、姉さんもテンパっちまったんだろうが、ガキの頃は本当に仲の良い姉弟だったんだ」と言い訳するように安原は言う。
「その集会所が天の階教会だった。教祖は母方様って呼ばれててな、歳は四十か五十位。いい人でな、俺達には母親がいなかったから、母方様がお母さんだったら良かったのになんて二人で言い合ったりしてた」今の天の階教会しか知らないユリアをはじめとする三人の顔に疑問の色が浮かぶ。
「そういやぁ。母方様は聖母マリアからお告げを聞いたって言ってたな」と安原。
「信じるか?」と聞いてくる安原に、首を振るユリア。
「そうだよな、信じられねぇよな」と安原もそれが当然だと言う。
「しかも、そのお告げってのが”終わりの日まで、互いに寄り添い、慈しみ合いなさい”だって言うんだからな。結婚式かよってな」と安原は笑う。
「ただ、そのお告げがあった日の話をする母方様は本当に幸せそうでな、母方様が高校生だった頃に、学校からの帰り道で林の中に光を見たんだって、かぐや姫が出てくる竹みたいに、何か光ってたって、で、林の中に入って行くと光っているのがどうやら人のようだと、顔や着物ははっきりとわからないが、美しい人だったて言うんだ。わけわかんねぇだろ。で、母方様は、これはやんごとなきお方に違いないと思ったそうだ」
「すると、声が聞こえたって、”あなたには私が見えていますか?”って」と安原は母方様から聞いた話を思い出しなが語った。
「母方様が”見えます”と答えると”祝福された子よ、私は聖母マリアです”って声が言って”皆を導きなさい。終わりの日まで、互いに寄り添い、慈しみ合いなさい”ってお告げがあって光は消えたって」
「まあ、この話が本当かどうかは怪しいが、集まり自体は全然胡散臭いところはなかった。本当に居心地の良い場所だった。それが俺達が中学生になったころ、母方様が死んじまって母方様の甥っ子が後をついで、集まりはどんどんつまらない場所になってった」
「今までは、みながそれぞれできる範囲で持ち合って助け合ってやってたが、できるだけ沢山持って来い、人をもっと連れてこいってなった」と忌々し気に安原は言った。
「俺は中学のころには、もう立派にグレてたから、集まりにも行かなくなったが、姉さんは通ってたな。顔を合わすとあなたも集まりに出なさいって怒られたりもしたよ」
「だから、姉さんを教団に誘っちまったのは俺なんだ。俺のせいなんだ。まだ、姉さんは辞めてねぇんだな」大分端折られている気がしたが、ユリアはあえて聞こうとはしなかった。
しばらくして車が教会の前にやってくると「教会、無くなってるじゃねぇか」と安原が驚いて言った。「えっ、知らなかったの?火事で焼けちゃったんだよ」とユリアが言う。
「なんで、それを先に言わねえんだよ」と安原がユリアを睨んで言う。
「モーヴェ神父に会えねぇじゃねぇか」と吐き捨てる。
「裏にいるよ、それも知らないの?」とユリア。
「何だよ、裏って」と安原。呆れたといった表情でユリアは安原を見て「お兄さん、車を裏に回して」と小籔に声をかけた。




