第十八章 義理と人情 その一
安原義人が腹を刺されて、ベッドから立ち上がって歩けるようになるまで3週間かかった。
病院に取り調べに来た警察を、病院の地下室に隠れまんまと出し抜いて、大人しく治療に専念した。
組の顧客台帳をリスト屋がどこに流したのかは、まだ掴めずにいた。
安原は顧客台帳をネタに強請って来た連中、自分を刺した連中に、ヤクザとしていずれきっちり落とし前をとるつもりだ。
その前に安原にはやらなければならないことがあった。
自分を助けてくれた女子高生に礼を言わねばならない。これも渡世の仁義である。
治療に専念している間に、自分の右腕である多田に言いつけ、安原が刺された現場付近で、黒髪のギャルっぽい女子高生を探させた。なにかの役に立つかもしれないと虹色を吐くマーライオンのキーホルダーも渡しておいた。
すると、すぐに見つかった。近くの高校の2年生で、安原が刺された日は丁度、修学旅行から帰った日だったという。修学旅行先はシンガポールでマーライオンのキーホルダーの謎も解けた。
彼女は刺された現場のすぐ近くのアパートに住んでいるということだった。部屋番号もわかっている。
安原は自身で女子高生への元へ赴いて礼を言うつもりでいた。
黒髪ギャルの女子高生がアパートの部屋に戻る時間も調べがついている。
彼女は近所の喫茶兼バーである「エデン」という店でバイトしており、11時頃に帰宅するということだった。安原は帰宅途中の彼女に声をかけて礼を言おうと考えていた。
安原は右腕の多田と小籔の二人を連れて、アパートに向かった。
10時を少し回った頃に、アパートの手前で車を停めた。丁度、安原が刺された自販機の前あたりだ。アパートの正面に停めたかったが、白いバンが停まっており手前に停めるしかなかった。
11時を過ぎても、黒髪のギャルが帰って来ない。
安原は部屋を訪れるというやり方は、避けたかった。自分のようなヤクザに部屋を知られるというのは、彼女にとって心地良いものではないだろう。
だから、帰宅途中に声をかけて礼を言い。去ろうと考えていたのだった。
「遅いっすね、いつもならもう帰ってくんだけどなぁ」と運転席の小籔が言う。
「彼氏とシケこんでたりして」と小籔が下卑たことを言う。
「部屋は201号室って言ったよな、どこだ?」と安原。
「2階の奥の部屋ですよ」と小籔が言った途端、後ろから頬を張られた。
「おめえぇは馬鹿か、部屋の明かり点いてんじゃねぇか!もう部屋にいるんだよ!」と安原が言う。
その時、201号室の扉が開いて、二人の女が取っ組み合うようにして出てきた。
一人は確かに安原を助けてくれた女子高生に見える。異変を感じ、安原は車外に出てアパートへと向かう。助手席の多田がその後を追う。
アパートの前に停まる白いバンからも男が二人出てきた。安原は多田にバンの男たちに対応するように目で指示する。多田はアパートの階段下で立ち止まり、道を挟んでバンから降りて来た男と向き合う。
小籔が後ろから白いバンにハイライトを浴びせる。男二人は動けない。
ガンガンガンと足音を響かせて安原が階段を登りきった時、女二人はまだ揉み合っていた。
「やだっ!やだってば!」と黒髪ギャルの女子高生が叫んでいる。
抵抗する女子高生の腕を、修羅の形相で引っ張る女がいる。
「お母さん!もう止めて!」と黒髪ギャル女子高生が叫ぶ。
「いいから、来なさい!」と女が叫ぶ。
安原は女の顔を凝視する。安原は息を呑む。そして、叫んだ「姉さんっ!」
姉さんと呼びかけられて女と女子高生の目が安原に向けられた。
女の顔は驚愕に歪み、女子高生を掴んでいた腕を離す。
その隙に女子高生は部屋に飛び込んでドアを閉じた。鍵をかける音がする。続いてチェーンをかけるガチャガチャという音が響いた。その音を聞きながら安原と女は互いに驚きの表情を浮かべて向き合っていた。
女が怯えた表情で引きつりながら息をする。
女とは対称的な笑顔で安原は歩み寄り、言った。
「姉さん・・・義人だ・・あの娘がユリアなんだな・・・」
ユリアの母、安原義人の姉である倉棚里美の目がかっと見開かれ「ギャ〜」と叫び声を上げる。
安原は姉が何に怯えているのかわからず「姉さん、大丈夫だよ。俺だ、義人だよ」と里見に歩み寄る。
窮鼠猫を噛むという言葉通り、怯えきった里見が叫び声を上げ安原に突進する。
安原はその姉の体を受け止めようとするが、姉の勢いが強すぎて、互いの立ち位置を入れ替えて向き合う形になった。
「姉さん。忘れちまったのか?俺だ、弟の義人だ」と安原は手を差し伸べながら声を掛ける。
里見は憎しみとも怯えとも取れる瞳で安原を見て、ブルブルと震えている。
「あァあ〜」と叫んで、安原に背を向けて、逃げるように駆け出した。
「姉さん・・・」と理由がわからず、安原はあっけに取られる。
里見は音を立てて階段を駆け下りると、階段下に立つ多田の脇をすり抜け、一直線に白いバンに向かった。
アパートの二階の廊下にいる安原からも、白いバンに向かって路上に飛び出す姉の姿が見えた。
バンの前で待機していた男が姉を取り囲むが、姉は男たちに目もくれずロックの掛かっている後部座席のドアを開けようともがいている。
男の一人が首を振り、運転席に何か告げると、ロックが解除され、姉がバンの中に飛び込む姿が見えた。
安原は息を整える。偶然会えた姉と、積もる話をしたいという思いもあったし、異常な状態の姉が心配でもあった。それでも、今自分がしなければならないことは、自分を救ってくれた黒髪ギャルの高校生に礼をいうことだと腹を決める。
”義理と人情、秤にかけりゃ、義理が重たい男の世界”と坂東組長が好きだった歌が頭の中で流れる。
「背中で吠えてる唐獅子牡丹〜」と歌の続きを口ずさんで、安原は姉への思いを吹っ切った。




