第十四章 宰相となる男 その一
マミが、ミカエル荘の前の通りを箒で掃いている。
いつもより念入りに掃いて、水を打っておいた。今日は、大物がやってくる。
なぜ、ミカエル荘にやってくるのか、その理由はマミには知らされていない。
もう来るかと、通りの入口に顔を向ける。
ちょうど大きな黒塗りの車が静かに左折してくるところだった。
ミカエル荘の手前で速度を落とし、車がハザードを焚くとマミは車に向かって頭を下げた。
車が完全に停まり、運転手が車を降り、後部座席のドアを開ける。
降りてきた男はシックな濃紺のスーツにモスグリーンのネクタイを締め、白髪が混じった髪を綺麗になでつけている。テレビで見るより細身だなとマミは思いつつ、緊張した。
縁無しのメガネ越しの瞳が、マミに気付いて見開かれ、そして細められる。
口元から白い歯が覗く、トム・クルーズのような感じのいい微笑み向けてくる。
男は軽く頭を下げると小走りで駆けてきた。大物らしからぬその所作が可愛いとマミは思う。マミの緊張が解けた。
「おはようございます。衆議院議員の宇津奈一茶です。本日、アントン・モーヴェ教区長にアポイントを頂いております」と男が言う。
「お待ちしておりました。モーヴェ教区長より伺っております。わたし、真庭マミと申します」とマミは頭を下げた。
「マミさん。出迎えていただき恐縮です。よろしくお願いいたします」と宇津奈議員が頭を下げる。
マミは自分のようなものに礼儀を忘れない宇津奈議員に好感を抱いた。この人が自分の選挙区から立候補したなら必ず投票するとまで思った。
「あのぉ、お一人でしょうか?」とマミが後ろの車を覗きながら尋ねる。政治家というものには取り巻きが付いているものだというイメージがマミにはあった。
「一人で参りました」と宇津奈議員は笑顔のまま言った。この人には偉ぶったとこや、気取ったところがまったくないなとマミは思う。
「ご案内いたします」と声をかけたマミの後ろを宇津奈議員が着いて行く。
「何分、教会があのようなことになってしまい。このような狭い建物ですので、お気苦しいかと思いますが、どうぞご勘弁ください」とマミが言う。
「お気になさらず、モーヴェ教区長とより近くでお話できるんですから」と言う宇津奈議員の言葉がマミにはありがたい。
マミはアントン・モーヴェ教区長の部屋のドアをノックし「宇津奈先生がお見えになりました」と告げた。
内側からドアが開きマクガイアが「お待ちしておりました。どうぞ中へ」と、宇津奈議員を中に招いた。
アントン・モーヴェ教区長は両手を広げて、歓迎してみせた。
固くハグして互いの背中や肩を叩き合う、二人は30年前のカルト紛争の時からの知り合いなのだった。
紛争後にカルトへの締付を求める民意と、その締め付けが自分たちにも及ぶ事を危惧する宗教団体、また、カルトや宗教団体からの支援がなくては再選が覚束ない議員などを調整しカルト法なるものを議会で通したのが、この宇津奈議員であった。
宇津奈議員は、それを機に、保守党内で確固たる地盤を作り、次期総理との声も聞かれる。マクガイアは勿論、パウロも会うのは初めてである。
アントン・モーヴェ教区長が二人を紹介した。
パウロは宇津奈議員と握手を交わした際に「東京オリンピックは、見事でした。先生の御尽力のお陰ですね」と言った。
パウロの言葉はお世辞ではない。パウロの目には、憧憬の色が浮かんでいる。
「いやいや、私は何もしていません。若い人たちが成し遂げたことですから」と笑顔を絶やさず宇津奈議員が言う。
「その若い人たちにあの大舞台を任せるということが、他の人にはできなかったろうと申し上げているんです。実に素晴らしかった」とパウロが重ねて言う。
「ありがとう」と宇津奈議員は言う。
そしてマクガイアと向き合って「宇津奈です。よろしく」と右手を差し出した。
「ニコラス・マクガイアです。最近、日本に着任いたしました。以後、よろしくお願いいたします」と挨拶した。
「そうですか、もう日本には慣れましたか?」と宇津奈議員が尋ねる。
「味噌汁が大好きになりました。まだ、納豆には慣れませんが・・・」とマクガイアが言う。
それを聞いて宇津奈議員は声を出して笑った。部屋にいる皆が笑顔になった。
「そうですか。納豆は、やはり外国の方には難しいかもしれませんね」と言って、アントン・モーヴェ教区長を振り返った。
「私は、毎朝頂いていますよ」とアントン・モーヴェ教区長が言う。
「あなたは、もう日本人ですよ」と宇津奈議員が言う。部屋に居心地の良い笑いが起こった。
アントン・モーヴェ教区長がどうぞと宇津奈議員に席を勧め、二人は応接テーブルを間に挟んで向かい合って座った。
マクガイアとパウロは部屋の隅で立ったまま同席させてもらう。
「この度は大変でしたね。わたしにできることがあれば、なんでも仰ってください」と教会の焼失を惜しむ宇津奈議員の言葉から、面談は始まった。




