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第九章 やったろうじゃん その三

 次の日も、ユリアは保健室登校を命ぜられた。


 保健室に入ると、一年生が一人、本を読んでいた。

 おはようと、ユリアは一年生に声をかけた。


 一年生はキラキラした瞳をユリアに向けて「おはようございます」と挨拶を返した。


「なんの本を読んでるの?めっちゃ分厚いね」とユリアが尋ねる。

「あっあっ、さ、坂口安吾の、全集の、14の、です」ユリアに声をかけられたことが嬉しかったのか、少し声が上ずっている。


「さかぐちあんご?」と初めて聞く名を繰り返すユリア。


「は、はい。あのぉ戦後の作家で、あのぉ太宰治や、おっ織田作之助と無頼派と言われてた作家で・・・」と説明しようとして、キョトンとしているユリアの目を見て言葉を飲み込んだ。


 一年生は、危うく坂口安吾についてWikipediaよろしく、滔々(とうとう)と語りそうになってしまった自分を恥じた。


 彼女は、今まで、それで随分、失敗してきた。相手の何気ない、場をつなぐための問いかけに対して、真剣に、長々とした返事を返して相手を鼻じらませてきたのだった。


 彼女は、わたしは空気が読めないと何度も自己嫌悪に陥った。どうしていいのかわからない。また、やってしまったのではと顔を伏せる。


「へぇ、そうなんだ。本好きなんだね」とユリアは感心したように言う。

「はい」と一年生は、はっきりと言った。


「私、倉棚ユリア。よろしく」とユリアは両手を胸の前で小さく振った。

「あ、あ、一年の柏木(かしわぎ)です。よろしくお願いします」とユリアに向き直って頭を下げた。


「ねえ、柏木さん」とユリアは声を掛けて、読んでいる本を見せてくれないかと言う。


 喜びと不安の入り混じった表情で卒業証書を受け取る卒業生のような姿勢で分厚い文庫本をユリアに差し出した。


 ユリアはその本を受け取ってページを開く。

 ”ピエロ伝道者”と表題にある。 


 ”空にある星を一つ欲しいと思いませんか?思わない?そんなら君と話をしない”その挑発的な文章が、ユリアの心を鷲掴みにする。


 続く文章を読む。その文章は、ユリアの心の淀みのような部分を突いた。油の上に洗剤を一滴垂らしたかのように突かれたところが、ふわっと澄み渡るような気がした。


 さらに、読み進める。


 ユリアは作者に煽られていると感じる。あなたは物知り顔で、わかったつもりでいるけれど、何かを諦めているだけではないのかと問いかけてくる。


 そうだ、みんな星が欲しいのだとユリアは感動し、打ちのめされる。

 わたしは、星が欲しいと皆を前に言えるだろうか。


 ユリアは自分の中心、真ん中辺りを穿(うが)たれるような気分を味わった。穿(うが)たれて嫌な気がしない、むしろ爽快感が広がった。一気に最初のページを読み終えてユリアは柏木後輩に言った。


「これチョ〜面白いんですけど。読み終わったら貸してもらえる?」

「どっ、どうぞ、私は3回読みましたから。先輩、読んでください」と柏木後輩が言う。


「え、いいの。柏木ちゃん大好き。カッシーって呼んでいい?」とユリアは柏木後輩に抱きついて言った。

「は、はい」と柏木後輩が頬を赤らめて返事する。


「カッシーありがとう。坂口安吾なんて作家知らなかったなぁ」とユリアは言う。


「あっ、太宰は知ってたよ。人間失格の人だよね」と馬鹿と思われたくなくて、誰でも知ってる一般常識を口にした。


「はい」と柏木後輩は太宰のより詳しい解説をしたい衝動を抑えた。

 柏木後輩には、それより、聞きたいことがあった。


 柏木後輩は、意を決してユリアに尋ねる。

「先輩、お聞きしてもいいですか?」


「うん、何?」とユリアが坂口安吾全集に目を落としながら返事する。

「先輩は、歌い手の”アイリー”さんで・・」


「違う!違う!」柏木後輩が言い終わらないうちに、全否定するユリアの顔は引きつっていた。


 ユリアの反応に驚いて固まっている柏木後輩との間を、気まずさが埋めていく。ユリアは柏木後輩の目を見ることができず、視線を泳がせる。


 柏木後輩は「先輩は、アイリーさんじゃないんですか?」と疑わしげな視線を向けてくる。


「ちがうよぉ。違う」と目を逸らしたままでユリアは返事した。


 バーンっと、およそ保健室のドアが開けられるのに似つかわしくない音がして、浜崎マリアが入って来た。


「ようユリア」とユリアに声かけて隣に座り。「あっしさぁ・・・」と話し始める。ユリアは救われたような気がした。


 続々と生徒が入ってきて、保健室教室の一日が始まった。


 ユリアは気が気ではなかった。

 柏木後輩に自分が歌い手のアイリーであることがバレた。なぜ?とても慎重にやってきた。


 歌い手を始めたきっかけはTikTokで回ってきた動画だった。


 当時流行っていたアニソンで、ユリアも大好きだったので、自分でもやってみた、これが受けた。凄く受けた。


 ユリアは嬉しいと思うと同時に、不安に駆られ、投稿した動画を削除して、別のアカウントを作成し、アイリーと言う名で動画を上げた。


 安いサングラスをかけて、マスクをして定期的に歌ってみた動画を上げた。狭いアパートでは、近所に遠慮なく歌える場は、ユニットバスぐらいしかなかった。


 そして、それが受けた。また、アニソンだけでなく、父親が好きだった80年代のアイドルソング松田聖子、小泉今日子、中森明菜を歌ったところこれも受けた。


 フォロワーが10万を超えたのは最近のことだ。


 学校の皆には絶対に知られたくないユリアの秘密だった。

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