【二章】8. 茫然自失
「──昨日、四棟の校舎に何者かに不法侵入された可能性がある」
朝のHRの時間。
二年Cクラスの教室では、担任教師のリナ・レスティアとは別の教師が生徒達に向けて話をしていた。
HRが始まる少し前、登校して来た生徒達によって数名の保安官が校舎内で目撃されており、そのただならぬ空気感に教室内の生徒達はざわついていた。
「何者かが植物魔術の研究室に忍び込んだような痕跡があったようでな……。その為、現在学園内で保安官が調査中だ。また、現場がレスティア先生の管理する部屋だった為、先生は諸々の事実確認中だ。他の校舎に不法侵入されたような形跡も今のところなく、金品などは盗まれていないようでな。一応、生徒によるイタズラの可能性が一番高いと思われるが……。まあ念の為、もし不審人物や怪しい物を見つけたら我々教員に報告するように。また、しばらくは出来るだけ複数人で行動するようにした方がいいかもしれないな」
「……‼」
ピクッと、興味なさ気に頬杖を突いていたシオンの体が小さく動いた。
レスティアの代理でHRに来ている教師の説明を聞きながら、身近な場所での事件性に困惑し、少なからず不安がっている生徒、非日常的な雰囲気を面白がっている生徒、あまり興味がなさそうな生徒、反応は様々だった。
そんな中……。
ドクン、ドクン……、と、シオンの血流は早まり、じわりと手の平に汗が滲んだ……。
……彼の中に、妙な胸騒ぎがあった。
少し前にあった、レスティアが管理する造園木の枝が落下した事件。その事件に関して、木の本体と落下した枝を調べたレスティアはとても不思議がっていた。
曰く、枝は腐敗によって落下したようだったが、木の本体に病気などはなく、偶然の外傷によって発生するタイプの腐敗の仕方でもなかったと。定期的に造園木を手入れし、健康チェックも欠かしていなかったレスティアには、なぜ枝が腐敗し、落下したのか、専門家としての知識を以てしても検討が付かないようだった。
ただしそれは、ある一つの可能性を除いて。
そしてその少し後に起きた、授業中の実験で使用した鉢の中に植物モンスターの種が混入していた事件。
レスティアが準備をしている途中で種が混入したという可能性は間違いなくゼロであり、使用している培養土に関しても、培養土の産地での混入、そして産地から配送している間に混入する可能性も限りなくゼロに近いという見解だった。
そして何より、レスティアは実験の準備の際、植物モンスターの種のような危険な物が培養土に入っていないかを魔術を使用してチェックしている。つまり、本来は先日のような事件は起こるはずがなかったのだ。
ただしそれもまた、ある一つの可能性を除いて。
起こらないはずの事が起こりうるその唯一の可能性があることについて、レスティアは言及しなかった。
しかし今、HRでの教員の話を聞いて、その〝ある一つの可能性〟がシオンの頭の中で過った。
それは、……何者かが意図的に事件を仕組んだという可能性。
「……ッ」
──ガタッ! と、シオンは椅子を鳴らして立ち上がった。
「な、なんだ、一之瀬……、どうかしたか?」
おっかなびっくりした様子の教師の呼びかけには答えず、そのままシオンはクラスメイト達の動揺した視線を集めながら教室を出て行った。
その間、本来はその行動を止めなくてはいけないはずの教師も、触らぬ神に祟りなしというような様子で黙って見送るだけだった……。
「……。……そ、それじゃあHRを続けるぞ……──」
◆
学園内の廊下を、シオンは険しい表情を浮かべながら足早に歩いた。
先ほどの教師が話していた内容だけでは、具体的に何があったかは分かりかねた。
もしかしたら、シオンの心配は大袈裟で的外れなものなのかもしれない。
しかし……。
「(第三者は一体何を見て『不法侵入された可能性がある』と判断した? 一体、研究室内で何かが起こっていた……⁉)」
背中に冷や汗を滲ませながら、シオンは願った。
全身にまとわりつくようなこの焦燥感が、この嫌な胸騒ぎがただの杞憂であってほしいと……。
そうしてしばらく学園内を歩き、シオンは植物魔術の準備室及び研究室がある廊下に着いた。
「……!」
入り口の近くには、廊下に置かれた簡易的な椅子に座るレスティアと周辺に立つ二人の保安官が見えた。
「──先……、……ッ‼」
近づいてレスティアに声を掛けようとした時、──シオンは言葉を失った。
彼の目に映ったのは、普段のにこやかなレスティアからはあまりにもかけ離れた姿だった。
まるで時間が凍り付いているようにレスティアの体は動いておらず、その虚ろな瞳には光が宿っていない。
いつもなら綺麗に整えられているはずの髪は乱れており、無造作に顔の前に垂れている。
それはただ空っぽの器のようで、一切の生気が感じられない姿だった。
「……! お、おい君」
「……」
近づいてきたシオンに対してレスティアの近くの保安官は反応したが、レスティアは一切の動きを見せず、視界にも入っていないかのようだった。
「……ッ‼」
「あっ、おい⁉ 待ちなさい‼ 捜査官以外は立ち入り禁止だ‼」
レスティアの変わり果てた様子を見たシオンはその場で駆け出し、入り口近くにいた保安官を避けるようにしながら準備室内に入り込んだ。
「……!……ッ」
「おい! 待ちなさいっ!」
左右に首を振り、素早く準備室内を見渡して目立った違和感がないことを確認したシオンは、保安官に捕まらないように急いで奥の研究室に入り込んだ。
「? 君っ。今は捜査中だぞ! 何を勝手に入ってきているんだっ」
研究室内では数人の捜査官が室内をチェックする作業を行っており、いつもとは室内の備品の配置も多少変わっていた。
──そして、そんな中まるで吸い込まれるようにシオンの目に映ったのは……。
……いつもリリィがいた筈の鉢の上に残っている、何かが燃え尽きたような灰と、その近くに置かれているマッチの小箱だった。
「……」
究室内で保安官達の怒声が響く中、シオンはただ立ち止まっていた。
まるで、そこが現実の世界ではないかのような。自分の体からあらゆる感覚が抜け落ちていくかのような。思考するという行為そのものが、どこか遠くへ押しやられていくかのようだった。
◆
一体、あの研究室で何が起こったのか。あそこにいるはずのリリィはどうなったのか。
そんなことは、
鉢の上に残った灰と、
その近くにわざとらしく置いてあったマッチの小箱、
そしてレスティアのあの顔を見れば聞く必要はなかった。
否が応でも、シオンは理解するしかなかった。
──リリィは死んだのだと。自分の大切な友達は、何者かに焼き殺されたのだと。
……時刻は既に夜。気が付くと、シオンはいつもの訓練場で鍛錬を行っていた。
そこに明確な意思などなく、まるで身体に沁み込んでいる普段の行動をトレースするかのように限界加速の特訓を繰り返している。
レスティアの研究室でリリィのいなくなった鉢を目撃した後、シオンは呆然と立ち尽くしているところを保安官に拘束されて強制的に退出させられた。
そこから現在に至るまでのことを、シオンはろくに覚えていなかった。
保安官達から厳しく注意を受けていたが、何を言われてもただ意味を持たない音のようにしか聞こえていなかった。ただ一瞬、廊下で保安官達に怒鳴られているシオンを見て、「あ……」と虚ろな瞳で小さく呟いたレスティアの姿だけが記憶の端にこびり付いていた。
次に気が付いた時には、シオンは既に教室の席に座って授業を受けていた。
授業を行っている教師の声も、黒板にチョークを走らせる音も、クラスメイト達がペンを動かしたり物を落としてしまったりする音も、全てが遠く、まるで水の底にいるかのようだった。
ただ時間が過ぎていく中、シオンは頬杖を突いて窓の外をぼんやりと眺めているだけだった。
……そして再び気が付いた時、シオンは訓練場で特訓を行っていた。
そうして何度も回復ポーションを飲みながら過剰なトレーニングを繰り返している内に、ようやくシオンは鮮明な意識を取り戻り始めた。
「(……リリィが、死んだ……。誰かに、殺された……)」
シオンの中で真っ先に思い浮かんだのは、そのことだった。
限界加速を発動しながら剣術の練習をしていたシオンは、その動きを止めた。
「リリィ……」
ポツリと、シオンは呟いた。
『本当に、リナは素敵な力を持ってるんだねー。色んなの人たちの支えになれるのって、いいなー。リリィも、そういう風になれたら良いのになー』
『なれるよ、……リリィなら。リリィはこれから沢山の人たちの助けになれる』
『特別な花かどうかなんて、俺には関係ないからな。特別だろうとそうじゃなかろうと、俺にとってリリィが友達なことには変わりはないから』
『……シオンがぁ……、病気にー、なっちゃたらー……、リリィの実でぇ……』
『ぇー……、まだ、寝ない、よぉ……。もっと、シオンと……おはなし……スヤァ』
『リリィだったら、シオンがリリィを励ましたいって思ってくれたら、それが嬉しいから! きっとそれだけで、たっくさん元気もでるから!』
『もしもシオンが落ち込んでたら、リリィがいっぱい励ましてあげるねー。むふふー』
……リリィの言葉が、一緒に過ごした時間が、シオンの記憶の中から次々と浮かんで来た。
「……」
──無垢で純粋だったリリィを。明るく優しい子だったリリィを。その天真爛漫さで、シオンの大切な人たちを元気づけてくれたリリィを。……これから、まだまだ沢山の未来が待っていたリリィを。
「……誰かが殺しやがった」
それも、決して事故などではない。誰かが、明確な悪意を持ってリリィを殺した。
一体どれだけ怖かっただろうか。どれだけ苦しんだだろうか。
──何の罪もない命が迎えた、その残酷な最期を想像した瞬間……。
理性では押さえきれぬ程の、自分の身を焼き尽くすような強い感情がシオンの中で沸き上がった。
「……」
ギリギリと、シオンは己の骨を砕かんばかりに力強く拳を握りしめた。
割れる程に強く歯を噛み締め、その額には裂けそうなほど膨張した血管が走っている。
──見つけ出す。
──リリィを殺した犯人を。
──俺が、絶対に。




