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王道で行こう!  作者: たまさ。
終章
99/101

その8

「皇女殿下ではございません」


 誰かの息を呑む音が、シンと静まり返ったその部屋で響いた。

――墓所で眠っている者が、皇女では無いというのであれば、それはすなわち。

第三王子殿下キリシュエータはごくりと自らの咽喉が上下するのを感じた。

満ちた緊張に奥歯がぎしりと音をさせる。だが、そんな彼の緊張など無視するように賢者の塔所属のルークはあっさりと続けた。


「王子殿下です」


「――ぁ?」


 間抜けな言葉は、ティナンの口から落ちた。

そのあまりな声音と内容にキリシュエータは一瞬自分の口から出てしまったのかと我が口を押さえてしまったが、実際は自らの斜め後ろに立つ副官の口から思わずといった様子で漏れ落ちた声。

 間抜けな表情になってしまったティナンやキリシュエータとは裏腹に、【賢者の塔】の礼装姿のルークは真剣であるし――皇太子フィブリスタは目を眇めた。

 キリシュエータはかすれた声で「本気で言っているのか」と呟いた。


 独白のようなその言葉を、ルークは聞き逃さずにうなずいた。

「本気です。

墓所でお休みになっているのは、カーロッタ様がお産みになられた定義上の第四王子殿下でいらっしゃいます」


「ちょっとまて、第四王子殿下?

定義上?

カーロッタが産み落としたのは皇女ではなかったのか?」

「いいえ。カーロッタ様がお産みになられましたのは男子です」

「また、それだ」


 キリシュエータが眉間に皺を寄せて問いかければ、当然のこととして平然と応えるルークに、フィブリスタが無気力にぼそりと呟く。キリシュエータが救いを求めるようにクインザムへと視線を向ければ、クインザムは深々と息を吐き出して一同へと視線をめぐらせ、やがてその眼差しは憤りすら見せるフィブリスタへとひたりと定めた。


「フィブリスタ殿下。

ご理解いただけている筈ですが? それとも未だお認めになられてないのですか。ルディエラは当家の娘だと」

「……私は、産まれたあの子を抱いているのだ。間違いなくあの子は女の子だった。むつきも変えたのだぞ。私が名を与えたのだぞっ。三ヶ月の間愛しんだ娘を、わが子ではないなど……幾度言われても納得できよう筈がない」

 珍しく声を荒げるフィブリスタに、クインザムの口調は更に冷たくなる。

「そうやってあなたは現実を見ようとなさらない。幾度も言いましたでしょうに。

 産まれたてと言ったところで、赤子はそもそも出産のその時に交換されたのですから。確かに殿下が目にされたのも、名をつけたのも――我が母、ミセリアが産み落としたルディエラですよ」

「ああ、お前は幾度も言っていたな。

ルディエラはミセリアの子であると。だがっ」

「この件は緘口令が出ておりましたから、それ以上を言うことは許されておりません。ですから私は事実だけを端的に告げていたのです。幾度も幾度も、あの子は私の妹であると。あなた様とあの子は無関係であると」

「判っている。ああ、そうなのだろう。

そう何度も飲み込んだ。だが、それでも万が一と思ってしまうのだ!」


 あっさりといわれた言葉に、思わず教師に発言を請うかのように第三王子殿下キリシュエータはぱっと手をあげて「クインザムっ」とその言葉をさえぎった。


「なんですか? キリシュエータ殿下」

「ルディエラは確かにミセリアの子で――つまり、ティナンの妹で間違いない、のか?

私の妹でも従妹でもなく?」

 クインザムの妹、ではなくティナンの妹という言葉が出たのは思わずだろう。

だがそんな瑣末なことに気づかずに、キリシュエータはまじまじとクインザムを眺めやってしまった。

「血のつながりが、ない?」


「この場面で気になるのはそこですか?」

 愚かしいというようにクインザムは眼差しを細めたが、キリシュエータにとって大事なのはそこいがいにない。


――記録として残されている史実、自分には妹がいた筈だというのに、ソレが弟であった問題は激しく重大事項であり、あまつさえ赤子が取り違えられているなどという国にとっても重大案件だ。

 死んだとはいえ、第四皇子。ルークが定義上と言ったのは、カーロッタが公式なる陛下の愛妾であった為だろう。その腹から産まれたのが皇太子殿下の子であろうと、公式には陛下の子と示される。それはすなわち、当然のごとく王位継承権が発生する。この問題の中で重要視するのがソコであるというだけでクインザムの眼差しは冷ややかさを増していく。

 相手が王子殿下であろうとも、クインザムは無能に手厳しい。


「いや、あ……なぜ、子の取り違えが?」

「取り違えというより、すり替え、交換です。それは――」

 クインザムが何事かを続けようと口を開いたが、すぐにその眼差しはルークへと注がれた。この場で一番信憑性のある言葉を操ることができるのはルークであり、それをフィブリスタといえども撤回させるのは難しいことを理解しているのだ。

 ルークは誓約する者として胸元に手を当て、ゆるりと口を開く。


「当時の政治情勢、及びカーロッタ様の一族の力関係。さまざまな要因により陛下は決してカーロッタ様の御子に男子をお望みでは無かった。そもそも子を作る予定ではなかったものが子が成された。

 それにより、男子が産まれ落ちたのであればすみやかに女児とすり替える為に当時乳母候補として同時期に出産を予定している女が四名そろえられた。ルディエラと王子とをすり替えたのは一番条件が合致した為です」

 ルークはその無機質な眼差しでちらりとフィブリスタに向けたが、フィブリスタは一瞬ひるんだものの、逆にそれを幸いとしたように口を開いた。


「カーロッタの不貞が判っていたのであれば、陛下はカーロッタを断罪なされば良かった筈だ。カーロッタの子を認めることなどせずに。こんなまどろっこしいことなどせずに」

「片棒をかついでいる方の台詞とは思えませんね」

 ルークの無機質さには耐えられても、クインザムの冷ややかさには耐えられなかったのかフィブリスタが苦いものを噛むような表情をして視線を逸らす。


「カーロッタの一族の飛躍はめまぐるしく、その勢いに陛下でさえカーロッタを愛妾として迎え入れずにはいられなかった。あなた方にはご理解が難しいようですが、当時はこの国の情勢はかんばしいものではなかった。たびかさなる他国との軋轢。国内の諍いの果てにやっと確立された国の基盤は実にもろい。

 言葉は悪いが、金満であるカーロッタがたとえ皇太子と通じようと、それを黙認せざるを得ない程に。だが、更に増長させその地位を確固たるものにさせる訳にはいかない」

 淡々と言葉にするルークの言葉は、それは我が身内の惰弱さをとうとうと語る。キリシュエータはその言葉を聴きながら、当時の情勢を脳裏に描いた。

 勿論、その当時キリシュエータは未だ物心がついたばかりの子供でしかなく、脳裏に並べ立てられるのはむしろ史実として学んだ事柄だ。

 ただし、その史実が違うことなく事実のみではないということは、今ひしひしと感じている。

少なくとも、こんなことは秘匿されたうちの一つでしかないのであろうから。


「切ろうにも切ることができない腫瘍――それがかの一族でありました」

「だが、自分以外の子だぞ? そこまで馬鹿にされてっ」

「そこまで馬鹿にされても切り捨てられない。当時は身のうちに蛇を飼い、外敵として虎とにらみ合う。どうにか体制を整え、なんとか財政をもちなおそうとやっきになっていた頃。

ご存知ですか? 陛下はカーロッタの腹の子が誰でないフィブリスタ殿下の子やもしれぬとを重々承知しておられた。何故なら、カーロッタがそう明言していたからです。彼女はわざわざ陛下と殿下と同日に関係を深めていた」

 クインザムの眼差しは更に冷ややかさをました。

「その上でカーロッタは突きつけた。

腹の子は確かに王族の血を引いている――カーロッタの一族の財力。あなたは自分を切り捨てることはできないだろうと」

 一族の後ろ盾。

そして間違いなく王族の血を持つ子。

カーロッタにとって陛下とは侮るべき者でしかない。何故なら、現在この国を統べるのは前国王とその近親者達がいさかい追い落としをかける中、次々と病に倒れた挙句、最終的に生き残った王族とは名ばかりの末席の者であったから。微力ながらも最終的に決起してその地位を手にいれた予定外のものであったから。

 当然その後ろ盾は無いに等しく、金銭的な力も持ち合わせていない。


 単純に廃することもできず、ただ唯々諾々と流されるのみ。

無理やりその均衡を崩せば、足元から瓦解する。ソレほどに国の安寧はほど遠い。

「勿論、陛下が力を蓄えた現在であればそのようなことを許しはしない。だが当時は間が悪かった。国の内部は未だ落ち着かず、周辺国との間にも問題を抱えていた」

 キリシュエータは一歩遠い場所で彼らの言葉を聞き入れながら、自分の父親の歯がゆさに唇を噛んだ。


そうして導き出された言葉を、躊躇した。

まさかという思いが喉の奥で鉛のようにわだかまる。

まさか。

だがその躊躇は、更に背後のティナンの躊躇でもあっただろう。

ちらりと視線をめぐらせると、キリシュエータの副官のティナンは眉間にシワを寄せている。


――現在情勢は安定した。

何故なら、カーロッタの一族が失脚したからだ。

あまりにも許しがたい誰の目にも明らかな罪を抱き、それを大義名分として一族郎党処罰された。その領地及び財産はすべて国によって没収された。安定をもたらしたのはその財産ともいえる筈だ。

身の内の蛇は自ら尾に噛み付き果てた。


――情勢は安定した。

あまりにも作為的(・・・)に。

どれ程の力を持ってしても、王族殺しは処断を免れることは無い。誰はばかることなく重罪。その全てを奪われ、そして問題は全て解決した。

 莫大な金が国庫を潤して。

 偶然というには、あまりにも血生臭さが消えきれぬ。

カーロッタはミセリアの子を殺した。

事実上、王族の血を継ぐ子を。


「カーロッタは、それと知らずに自分の子を殺したのか?」


 キリシュエータの乾いた言葉に、ルークの眼差しが向けられる。

「カーロッタは図らずもミセリアの子に刃を向けた。それが実子であることに気づかずに。殺され、墓所にいるのは正真正銘――カーロッタの男子。おもてむきでいえば陛下とカーロッタの子、第四王子殿下になります」

「そもそも、何故ミセリアの子に刃を向けた?」

 気がふれたと史実に残されているが、なぜそうなる?

確かに皇子を求めていた女が、自ら女を産み落としたと示されて愕然とするみともあるだろう。だが、子はあくまでも生れ落ちるまでその性別は判らない。

 女であったとしても、皇女として育て上げ次の子に希望をたくせた筈だ。たとえ陛下が非協力的であろうとも、カーロッタは気にかけなかった筈。何故なら第一子目にしても彼女的には何の問題も無かったのだから、次に希望はいくらでも繋げられたであろうに。


「ミセリアが産み落とした子こそ、陛下とミセリアの間に生まれた王子であると噂がたった」


クインザムはただ静かに、告げた。

シンとその場が静けさを取り戻す。


その言葉の意味を咀嚼する前に、ティナンは声を荒げていた。

「そんな馬鹿なっ!

それでは話が――母、ミセリアが、陛下と?」

ドクンと心臓が鼓動を打つ。

さぁーっと引きかけた血が、けれど次の言葉で打ち消された。


「勿論そんなことは無い。だが、ミセリアが抱く赤子には陛下の血筋を思わせる特徴が強く出た。そう、あなた方と同じ色彩が。当然だ、実際の母親は王室に連なる公爵家の娘カーロッタであり、またフィブリスタ殿下であるのだから。はじめのうちこそそんな言葉に耳にいれてもカーロッタは信じなかっただろう。だが、陛下はその噂を真実とするかのように振舞った」

 カーロッタのところに顔を出すかのようにみせ、ミセリアの労をねぎらいその子を胸に抱いた。あくまでも隠れるように。けれどその喜びは誰にも隠さぬように。フィブリスタがわが子へと名を与えたように、陛下もその子に名を与えた。

 見せ付けるように。


 カーロッタの心を揺さぶり続けた。

カーロッタは自分の地位が磐石であると信じていたが、だんだんとその心は暗い闇に侵食された。

 必死にフィブリスタにすり寄り、均衡を保とうと努めたが不安は一向に解消されはしなかった。

――もし、もしも……ミセリアをもう一人の愛妾として正式に迎え入れたなら。もし、生れ落ちた子を「第四皇子」として認めてしまったら。


 ありえないと打ち消しても、打ち消しても。

闇はどんどんとカーロッタの胸を侵食していく。どんなことをしても揺るがないと思っていた大地に亀裂が生じ、不安が足元から這い上る。

 腕にある娘をみれば、その色彩はどんどんと変化する。色の濃い金髪と思われた髪は色彩を濃くし、太陽に透かせば赤くも見える。脈々と受け継がれた直系とは違う色彩。

 はっきりとは言われずとも、侍女達は誰の種だと疑いだす。

カーロッタの身に覚えはなくとも、子の父と公示された男は冷ややかな眼差しを向けてくる。当然だ、その種は彼の息子のものだと公言した女の言など信じるものなどいない。 

それ以外の男と通じていないなどと、どう信じられるのか。

その冷ややかな眼差しが、罪深き者を蔑ように見つめ続ける。


 ルークはふと視線を伏せた。


「――カーロッタは事実、王族を殺し、一族は廃された。

墓所には幼い殿下が眠りにつき――残された女児は何も知らなかった本来の母親の元に戻された」 


「何故、陛下はそんな噂を増長させた?」

 フィブリスタの声は擦れていた。

擦れて、そして自らの言葉を打ち消すようにゆっくりと首をふる。もう誰もが気づいていた。 キリシュエータが気づいたように、フィブリスタも気づいている筈だ。


――そうなるように、仕向けられたのだ。

疑心暗鬼の種を育て上げ、心を壊し、狂った女が自滅するように。まるで自らの腹を食い破り身食いさせるかのように。

誰がそれを成したのか。

フィブリスタが唇をかむ。

死んだのは、フィブリスタの子であったのか、父の子であったのか。

手にかけたのは産み落とした母親。

そして、そうなるように仕向けたのは――


果たして、彼らはどのような結末を思い描いていたのであろうか。

こんな筈では無かったなどと、きっと彼らは言わぬであろう。それもまた見越した闇。


「もう一度申し上げます。

この場で知った事実は全て秘匿されるべきもの――どなた様も、外にお持ちだしなさいませんように」


締めくくるようにルークはつげ、一礼した。


 政治の話だ。

クインザムの告げた言葉は実に後味も悪く喉の奥に残された。

ティナンが主を前に開きかけた口は、キリシュエータが払うようにおしとどめる。

「――」

 外に持ち出すなと幾度も確認された理由は単純だ。

こんな話は公にできるものでは無い。

偶然では決してない。

――カーロッタが王族殺しだというのであれば、現在冠をかぶせられている人物こそがその罪を持つ。

 だからこそ秘匿されたのだ。すべて、無かったものとして闇に葬り去られた。

苦々しい思いに身を包まれ、長息が漏れる。クインザムやフィブリスタが立ち去った小部屋の壁に肩を預けて一度ふるりと首を振ると、生真面目な表情を浮かべていたティナンが「戻りましょう」と促した。

 なんとなくその場にとどまってしまったのは、足が重かった為と――そこを一歩でもでたら自分たちはこの話題に忘れなければならない為だ。未だ整理はついていない。だが、それでもいつまでもここにはいられない。


 浮ついた気持が一気に砕けた。

次にあの娘にあった時、自分はいったいどのように声をかけることができるのか。

恋だの愛だのというものを、ただ向けるには考えることが多すぎて。

自らの血縁筋では無いのだという安堵だけに浸れない。

口腔には苦いものばかりが広がっていく。


 重厚な一枚扉を抜け、細い廊下を歩む。

角を曲がったその場に、体躯の良い男が壁にもたれるように立つ姿に、キリシュエータは目を見張り、ティナンは「顧問」と呟いた。

「よぉ。ちょっといいか?」

 ニッと口角を持ち上げて笑う姿に、ティナンの血が逆流した。

思わずといったように「あなたはっ、いったいどういうっ」と荒げた声。それとほぼ同時――その無骨な体でよくぞここまで俊敏に動けるものだと唖然とするすばやさで、エリックは間合いをつめて剣を振り込み、ティナンは自らの主を引っつかんで下がらせると、かろうじて抜刀しそれを受けた。


 力押しのエリックの大剣にティナンの細剣ではとうていうけ切れぬ。はじき返す力も足らずにティナンが歯軋りすると、エリックはひょいっと力を抜いて剣を収めた。

「どういうつもりだ」

 キリシュエータの低い声に、エリックが肩をすくめて笑う。

その笑みには悪意もなにも存在せず、ただ悠然としたものだけがのせられていた。

「いや? そもそも今は殿下に剣を向けたつもりはありませんよ。

うちの愚息に――ちょっとした警告を」

「判っている。いや、判った」

 キリシュエータは嘆息し「今日はお前たち家族を見すぎた。悪酔いしそうだ」と未だ警戒を解かないティナンを片手で制して半眼を伏せた。

 警告。

愚息へといいながら、それは明らかにキリシュエータへと向けられている。

すでに約定において、自分達にはソレを蒸し返すことは許されない。誰でない父親の命により。


「――これは独り言だ、エリック」

ぼそりと落とす言葉に応えは無い。だがキリシュエータはそのまま続けた。

「私はまがりなりにもこの国の警護職を担うものだ。だが、今の平和が血なまぐさい歴史の上にあることは承知しているつもりだった。陛下の身が清廉であるなどと思ったことはない。もとより血なまぐさい結果をもって現状の地位を得ている御人だ。清廉潔白であろう筈がない。そう、思っていた。

だが……堪えるものだな」

「安心なさい。あの人はお綺麗なものですよ」

 あっさりと言うエリックに、キリシュエータはゆっくりと歩き出す。

「あなたもどうぞお綺麗でいなさい」

 それが揶揄されたものであると感じ取り、キリシュエータはぴたりと足を止めた。


「エリック」

「まだ何か?」

「奥方は息災か?」

 冷ややかな問いかけに、エリックの口元に苦笑が滲む。

「ええ、その筈です」


 細い廊下を抜け、もう一枚の扉を通る。

外から流れる風を受けて、キリシュエータは背後を歩むティナンに小さく呟いた。

「お互い、親には恵まれていないな」


 どちらの赤子にカーロッターの刃が向いていたとして彼等はまったく心を動かしたりしなかったであろうことに胸が痛む。

 もちろん、カーロッタはそんな暴挙に出なかったやもしれぬ。今も生れ落ちた子供を自らの子と信じて慈しんだやもしれぬ。

だがそうなるように仕向け続けた思惑は、決してそれを許しはしなかっただろう。じわりじわりとその闇を広げ、女の心を更に深い地底に落とし込んでいった筈だ。

 そう、たとえばすり替えなどせずに子供は死産として処理すればよかった筈だ。カーロッタに子を望まぬだけであれば。

 だが、そうしなかった。

その筋書きは次を想起させる。それは許されなかった。たとえどんな犠牲があったとしても。

 いいや、きっとこれは犠牲ですらない。

最良の結果をもたらすべく、好機。


 現実に赤子は一人、闇に葬られた。


 キリシュエータの呟きにティナンが応える前に、扉の前で控えていた兵士が声を張り上げた。


「申し上げます!」


***


「おはよう」

 掛けられた言葉に、ルディエラはぼぅっと目をあけた。

厳しい口調ではなく、優しい言葉だ。

聞きなれた、兄の。

「……おはよう」


 外界の光をさえぎるカーテンを引き、一息に部屋の中に朝の光が差し込む。眩しさに顔をしかめて、朝にしてはマーリアが作る朝食の軽快な音やら香がしないなーとぼんやりとする頭で考えると、カーテンを全て引いた兄の姿が視界にはっきりと入って、ぎょっとした。

「隊長っ」

 兄さんではなくて、隊長と呼んだのは、三男であるティナンの服装が隊服であった為だ。ぎょっと目を見開いて、今現在の自分の現状を確認する。

 周りを見回せば、見慣れたベイゼルとの同室ではない。寝台はゆったりと大きく、部屋は隊舎の雰囲気とはがらりと違う。それもその筈で、第三王子殿下であるキリシュエータの側近であるティナンの私室は王宮にすえられている為だ。

 本来であれば従卒がカーテンをあけたり朝の世話をするのであろうが、ルディエラがいる為だろう、ティナンは自らの手でカーテンを引き、陶器のボウルに水差しから水を落としてルディエラに顔を洗うようにと世話をしてくれる。


その水の入ったボウルを見下ろし――うめいた。


……思い出したのだ。

何故自分がティナンの部屋にいるのか。

何故、ティナンが優しい口調なのか。

昨夜何があったのか。


「――ぼく……クビになったんだ」


 ルディエラの低い呟きとは裏腹に、ティナンは上機嫌でルディエラの頭部にふわりと手を添えて、優しく撫でた。


「さぁルディ、いい朝だね。着替えて朝食にしようか」


 どんよりとした気分に陥っているルディエラは、はじめてティナンを心底うざいと思った。


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