その1
寝台の下に酒の瓶を放り込む為に体をひねった状態のまま、第三騎士団副長ベイゼル・エージは硬直し、それを見つめていたルディ・アイギルこと第三騎士団見習い隊員ルディエラは大きな瞳を更に大きく見開いて、二度・三度と瞬きを繰り返した。
その特徴的な大きな瞳とがっちりと視線を合わせ、ベイゼルは押さえ込まれたかのように視線を外せなくなってしまった。
ほろ酔い状態だった体から一気に酒精が抜けていく。
あああ、さらば酩酊こんにちは現実。
つまり、これは、アレだ。
背中にいやな汗がつつーっと流れていくのを感じながら、はははははと心の中がおかしな笑いで満たされる。
これはすなわち――酒の飲みすぎだ。
【アビヨンの絶叫】で麦酒を浴びる程飲んだし、第三騎士団隊長ティナンの部屋でいそいそと旨い酒に舌鼓を打っていた。自分ではそんなに酔ってなどいないものと思っていたが、実際は物凄く酔っていたに違いない。
たった今完全にその酔いともおさらばしたが。
失言にも程がある。
おかしい。自分はこんなに失言やら失敗やらをする性質ではない筈だ。何といっても世の中を渡り歩くことは得意とするところで、他人に対しての気配りそれはすなわち巡り巡って全て自分の為! 堅実平凡をモットウに他人様の隅っこあたりでのらりくらりと楽しく過ごしていきたい人間なんだよ。
そういう人間は失言などという糞くだらない阿呆な真似はしない。人生の綱渡りなんざムシして堂々と安全安心な横道を歩く人間なんだよ。
――ただし、このバカ小娘に関わってからというもの色々とほころびがありそうな気はするが。
「えーっと、何だ、その」
愛想を振りまくように、今度は心の中ではなくて音にしてはははははと言ってみる。つーか、何がははははだ、バカかオレ。
つうか、バカだろ。
バカ、バカ、バーカ。
バカすぎて笑えない。
「ああっ、もうっ。
悪い――隊長との関係、うすうす気付いていたわ、オレ」
開き直って体制を整えると、反対側の住人は眉を潜めて泣きそうな顔で見上げてくる。何か言い訳、言い訳と頭の中身を必死にせっついて、
「……いつから、知ってたんですか?」
の問いかけに、明後日の方向へと視線を向けた。
斜め上辺りの天井を。
あくまでも「気付いていた」であって「知っていた」ではない言い訳。
挙句、大事なのは「うすうす」だ。
「いやいや、その、だって、お前さん達って、似ているだろ?
それでよくよく観察して――まぁ、そうなんじゃないかなーと。そうか、やっぱり違ったか?」
「……似て、ますか?」
不信に満ちた眼差しに、ベイゼルは慌てて言葉を付け足した。
「そりゃ、判りやすい髪の色とかは違うけど。もっている雰囲気とか――いや、顔もそこはかとなく、似ているだろ?」
言い訳のように言葉を必死に探した。
何故か、事の始めから全て知っているとは言いたく無かったのは――判りきっていたからだろう。
――自分を騙していたのかといわれるのが、コワイ。
もちろん、性別なり出自なりをむしろ騙しているのは面前の小娘だ。だがこれとそれとはわけが違う。好き好んでやっている訳ではない筈で、むしろ命令として沈黙を貫いているだけだ。
自分も命令だといえばそれまでだが、自分がしてきたことが、自分との付き合いが全て計算づくのものだと思われるのは真っ平ごめんだ。
もちろん、小うるさいティナン隊長に首根っこを掴まれて世話をしてきたことは否めない。だが、渋々だの嫌々だのやっていた訳では――無い……?
あれ、いや、どうだ?
かなりそういう面があったような気がするが、いやしかし……少なくとも、ソレだけではないので、そのように思われるのはイヤだ。
少なくともオレは自分の損得でこいつと付き合っていた訳じゃない。
多少身勝手ではあったとしても。
焦りながらなんとか誤魔化そうとしているベイゼルをよそに、面前の小娘様はぱっと表情を明るくした。
「ティナン兄さまは母さま似で、ぼくは父さま似なんです。
髪の色は母さまの方の家系では時々出るから、ぼくは先祖がえりなんですって。クインザム兄さまが教えてくれました。っても、母さまの家系のほうはあまり付き合いが無いから知らないんですけどね」
嬉しそうに言う相手の言葉に、ベイゼルはだらだらと汗をかきながら小さくやっと息をついた。
どうやら、似ているという言葉に物凄く食いついたようだ。
そしてその言葉の前でそれ以前の話が脳裏から吹っ飛ばされた……あまりにも単純脳みそ。
いいのかよ?
必死に隠していたことがばれたんだぞ?
だっつうのに、何でそう能天気にじぶんの家族構成ばりばり話しているんだ、アホか。
やはりそこはすでに筋肉に侵されているのかもしれない。
オレはバカかもしれないが、ああ、こいつもバカで良かった……
本っ当に、バカで良かった!
***
……あれ、副長はどこまで気付いているのだろうか?
翌朝、寝る前に何故か騎士団第二隊のクロレル副長が連れて来てくれたカムにべろべろと顔をなめまわされて目覚めたルディエラはふとそのことに気付いた。
兄弟であるということがばれてしまったのはある意味仕方が無い。
なんといっても自分とティナン兄さまは似ているのだ。
隠そうとしても何かにじみ出るものとか気品とが隠し通せるものではないのだろう。自分からばらしてしまった訳では無いのだし、副長は「別にいわねぇよ」と約束もしてくれたので問題は無い。
だが、副長は――ルディエラが女であるということには気付いていない、というふうにとっていいのだろうか。
べろべろと相変わらず舐めてくるカムをがしっと手のひらで押し返し、ルディエラはもう片方の手で自分の胸元にそっと手を添えた。
――にじみ出る女らしさ……
は、ないな。
うん。自分で言うのも何だけれど、女らしさとかせくすぃーさなんていうものは、無い。自分に必要なのは筋肉だけ。
「よしっ、今日も一日鍛えるぞ」
おーっ。
ぐんっと拳を突き出して決意を新たにしたルディエラだったが、引かれたカーテンの向こう側から「うっせーぞぉっ」という叱責に首をすくめた。
その声は見事なだみ声、明らかに酒が原因であろう。何事も及ばざるが如しですよ、副長。そのてんぼくはお酒の適量をわきまえていますよ。最近飲んでないけど。
――心の声まですっかり一人称がぼくになっているルディエラだ。
ベイゼルの声にカムがぐぅぅぅっと唸り声で応える。
「カム、副長起こしてあげて」
確かにまだ半刻程早いかもしれないが、たまには朝の散歩――という早駆け――に副長を付き合わせてもいいだろう。
なんといっても……見習い隊員としてここにいられる時間はもう僅かだ。
そんなルディエラの心など知らぬベイゼルは朝一で謎の「おーっ」という不快な声に起こされ、二日酔いでつきつきとしている中獣臭い生き物に顔中を嘗め回されるという事態に「でてけーっ」と怒りを募らせた。
「副長ってばケチくさいな」
ルディエラは仕方なく一人でカムの散歩へと出てきたが、今日は馬で駆けようと馬房へと足を運んで驚いた。
少し前を歩いていたカムが身を沈めて警戒態勢をとり、それに気付いて眉を潜めれば馬房の奥から何かぶつぶつと声が聞こえるのだ。
「――判っている、あれは本当に失敗だった。
おまえの……」
その声がはっきりと耳に入れば、相手はルディエラにとっても良く知る人物。
「あれ、フィルドさん」
頓狂な声で言えば、馬房で馬の背にブラシをかけていたフィルド自身もそれ以上の上ずった頓狂な声で「アイギル!?」と声をあげた。
まるで真昼間からお化けにでも出くわしたかのような驚きようだ。ちょっと失礼ではあるまいか。
ルディエラはそれでも笑顔は絶やさずに「それにしても、どうしてフィルドさんったら第三隊の馬房に? もしかして昨日のお酒がまだ残っていたりします?」と口にし、フィルドがブラシをかけている馬が自分の馬だと知ると、ぱちくりと瞳を瞬いた。
――まさか、仲の良いフリをして悪さしている訳ではないだろうな。などと一瞬だけ失礼なことを考えてしまったルディエラだ。
だが、慌てたフィルドはわたわたと馬用のブラシを放り出し、顔を赤くしてきょろきょろと周りを見回した。
「いや、あの……なんとなく眠れなくてだ、な」
「今誰かとしゃべっていませんでした?」
眉をひそめて、ついでルディエラはハッと息を飲み込んだ。
「うわっ、もしかしてぼくってば邪魔とかしちゃいました?
すみません――ごめんなさいっ」
誰かと逢瀬か?
慌ててカムの首輪を引っつかみ、退散しようとしたルディエラをフィルドは勢いよく引っつかんだ。
がしりと肩をつかまれ、ついで呻くような音を耳にいれる。
「あ……」
がぶりとフィルドの長靴に噛み付いているカムに、ルディエラはつっと冷や汗が流れるのを感じた。
「痛く、ないですか?」
「割と痛い」
「ですよねー」
がんっとカムの頭をはたいてがぱりと口をあけさせるが、長靴にはくっきりとそれはそれは規則正しい四つの犬歯の痕が残された。
まぁ……素敵。
ルディエラは思い切り直立し、がばりと頭を下げた。
「ごめんなさいっ。本当に、ごめんなさいっ」
「……少し痛いだけだ、あまり気にしなくていい。思っていたより痛くないし。もしかして甘噛みだったのかもしれない」
いやいやいや。
今のところカムが甘噛みっぽいことをするのはルディエラに対してだけで、その被害は結構拡大中だ。
それでもカムが処分されたりしないのは、ひとえに灰色狼がこの国では貴重であるから。
国旗にも描かれている国獣であるからだ。
――だがものすごく迷惑なので、訓練の時間意外は面倒を見ろとルディエラに突き帰されてくるのだった。
「謝罪はもういい。このことは忘れてくれ」
「いや、忘れてって言われたって」
簡単に忘れられる訳がない。
「負い目を感じて欲しくない。
対等な状態で告げたいことがあるんだ」
やけに真面目な口調でまっすぐに視線を向けられ、ルディエラは相手の真剣さになんとなく喉を上下させた。
低く唸るカムをもう一度ごんっと叩いて、ちょっと離れて伏せと命じるとカムは唸りながらも命令通りの反応を示す。
――犬舎の人の訓練素晴らしい。
そんなことより、フィルドが真剣すぎてルディエラは口元が引きつるような気持ちになった。
「私が咬まれたことは忘れたか?」
「……えっと、はい。何か判りませんけど、忘れました。
負い目とか何も無いです」
「よし、じゃあ。ちょっと聞いてくれ」
すぅっと、腹の中を空気で満たしたフィルドは、おそらく馬房のちょっと微妙な香に思い切りむせた。
それでも何か真面目に言いたいことがあるらしく、こんもりと滲んだ涙目を一回ぬぐい、そうしてやっと決意を固めた様子で口を開いてみせた。
「ルディ・アイギル」
「はい」
「おまえのことが好きだ。
友人としてでも先輩としてでもなく、情愛の対象として」
ゆっくりと落とされる生真面目な告白に、ルディエラは呆然と相手を見返した。
今なんか、おかしな単語を耳にした。
情愛って……普通、聞かない感じの。
「おまえはすぐに誰でも好きだとか言うから、はっきり言う。
お前とキスがしたいし、抱きたい。そういう意味合いの、好きだ」
間違いようもないはっきりとした告白に、ルディエラの血の気が引いていく。いくら鈍い自分でも、ここまではっきりと言われて判らない訳が無い。
あからさまに言えば、性愛の対象としてルディエラを好きだと、そう、言われたのだ。異性からのはじめての告白。
はじめて他人からきちんとした【好き】を貰ったというのに。
異性……?
「あの、あの……ぼく、男、ですけど」
「判ってる」
重々しい言葉は、さらにルディエラに鈍器のように降りかかった。
乾いた笑いが喉から落ちて、いやいや笑ってはいかんとふるふると首を振って正気を保つ。
ルディエラは泣きたいような気持ちに侵食されながら、それでも真摯に告げられる言葉に真摯に返した。
「ごめんなさい。
ぼく……フィルドさんの気持ちに、応えてあげられない」
「――だよ、な」
フィルドは小さく呟き、ぽんっと優しくルディエラの肩を叩いた。
「すまない。無茶を言っているのは判ってる――きついことを言って、悪かった」
「いえ、そんな……
ぼくこそ、ごめんなさい」
ルディエラは混乱し、ハっと息をついた。
「あの、ぼく絶対に言わないですから。
フィルドさんが女の子より男の子を好きって、ああ、以前なんか色々言っちゃったけど――絶対に、絶対に吹聴したりしませんから、安心して下さいっ」
「……大丈夫だ。もとから心配していないから」
フィルドは乾いた笑みを返したが、いやいや、相手はこんな大きな秘密を暴露してしまったのだ。ルディエラとしてはなんだかとっても申し訳が無い気持ちがして、そしてこの秘密に見合う秘密を咄嗟に口にした。
そう、秘密には秘密で対抗だ。
「ぼく、本当は女の子なんです!
でも女の子が騎士団に入るのって難しくて。男ってことで入団しているんです。ばれないようにって隊長にもきつく言われてて。
だから、絶対誰にも言わないでくださいね? ぼくもフィルドさんの秘密は絶対、何があっても誰にも言わないから。
だから、これでおあいこですね!」
ルディエラはこれでもかととびっきりの笑顔を浮かべて言い切ると、じゃあっと背中を向けて軽やかに馬房を後にしたのだが、残されたフィルドは唖然としながら片手を伸ばし、その先端をわきわきと動かした。
「えっと、あ……え、アレ?」
あれ?




