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王道で行こう!  作者: たまさ。
発覚
91/101

その6

 たかが一通の書簡を開くのに随分と疲弊させられた。

この一通で自分の中の何かがひっくり返ってしまうのではないかというくらいの消耗っぷりは自分としても如何なものであろうか。


 確かに、それはある意味何かがひっくりかえる程の事象であるのだが。

あのにんじん娘が兄の実子――一の姫だというのであれば、大問題だ。更に言えばもともと父の妾であったカーロッタが兄と情を通じていたというのは醜聞いがいのなにものでもない。逆ににんじん娘が父の子だとしても、何故それが元傭兵であるエリックの娘として生活しているのかもおかしな話だ。

死んだ――殺されたとされた姫が生きているのであれば、何故そんなことになるのだろうか。


ことは簡単なことでは無い。

兄の戯言、世迷言だと切って捨ててしまえればどんなに良いか。

「あの糞兄め」

 絶対に当人には聞かせられない罵り言葉を口に乗せ、第三王子殿下キリシュエータは届いた書簡をそのまま暖炉の火へと投げ入れた。


ルークからの書簡は簡潔なものであった。

後日改めて出頭し、報告を致しますということ。そして、その場には皇太子フィブリスタ殿下にもおいでいただけるように手配を、と。


――その言葉だけで、口の中に広がったのは苦味だ。

兄が必要だというのだ、ルークは。

兄にも問題の報告を聞かせると。


ならばもう回答は出たようなものではないか。

ならば……


握りこんだ拳で思い切りキャビネットを叩き、はめ込まれた薄い硝子がガシャリと音をさせて砕けた。

 その物音に同室にいた従僕が慌てて諫めるような声をあげるが、それすら耳を素通りしていく。


***


 一旦兄から離れ、冷たいまなざしで見下ろす妹に――いい大人の分際で拗ねたように眉を潜めるティナンは気を取り直したようにちょいちょいと指先でもう一度ルディエラを招いた。

「おいで」

「いーや。もうっ。用が無いなら出てってよ。

もう就寝時間だし。副長にも迷惑だよ」

 いちいち時刻を確認するまでもなく、すでに体が眠気を覚えている。

「忘れていたけど、犬舎にカムを迎に行かなくちゃいけないし」

「一緒にいってあげたいけれど、そういう訳にはいかないだろうね」

 部屋を一歩出てしまえば兄ではいられない。

だからこそ、もう一度――立ち上がりざまに手を伸ばし、ぎゅっと強くルディエラを抱きしめれば、以前よりずっと体が――硬い。硬すぎる。

 にっくき筋肉の台頭を感じ、ティナンは口元を引きつらせた。

バゼル程ではないにしろ、妹に対しては夢がある。別に隊服を着用していようと構わないが、ふんわりと柔らかな肉付きと、そして汗臭さではなく春の陽だまりのような香り……の妹はいったいどこにいってしまったのか。

 というか、何故にこんなに牛タン臭い。

 ティナンはルディエラのこめかみの辺りにそっと唇を寄せて、すっとその意識を切り替えた。


牛タンと酒と煙草の香りの可愛い妹。

こんなのは完全に間違っている。


「あと八日――覚悟しておくように」

「兄……」

「手加減はしないよ。

もう一度兄と言ったらすっぱりとその瞬間にここからたたき出す。まぁ、そうでなくとも残留できるなどと甘い考えはもってはいないだろうけれど。お前が隊の中で一番足手まといであることに変わりは無い」

 

 ちゅっと軽く唇で触れて、ティナンは突き放すようにルディエラから離れると長靴を打ち鳴らすようにしてさっさと部屋を後にした。

その背はすでに冷徹魔人の鬼隊長。

 呆気にとられてそれを見送り、ルディエラはふつふつと湧き上がってくる怒りに身を震わせた。


「ひっ、きょーものぉぉぉぉ」


 自分勝手! 身勝手!

あまりにも非道すぎる。

自分の都合で兄に戻った癖に、あっという間にそんなことはなかったとでも言うように背をむける。あのしらっとした背中に思い切り蹴りを入れたい。

 蹴倒して踏みつけて、ごめんなさいといわせたい。


「兄さまのばかーっっっ」


魂からの叫びだったが、場所が場所だけにルディエラはその言葉をぱくぱくと口の動きだけで表現した。

「だいっきらいになるんだからっ」

 その台詞は当人に叩きつけなければまるきり意味が無い。

今の兄に叩きつけたところで意味があるとも思われないが。

ルディエラは怒りに身を焼きながら、先ほど自分が言った「カムを迎えに行く」のをまたしても脳裏から消し去り、ぎりぎりと奥歯を噛み締めながら今自分にできることに意識を切り替えた。


すなわち――腹筋百回。

いつまでも足手まといなどと言わせるものか。


***


 くんっと自分の肩口の香をかぐと、やはり牛タンと酒の香が鼻を刺激する。

可愛い妹の移り香があまりにも親父臭い。というか、おっさんだ。

 騎士団の見習い期間が終われば香水の一つでも贈ろうか、などと考えつつ一旦自室へと戻り、部屋の中で一番高い酒をちびちびとやっていたベイゼルを追い出し、ついで自らの主の部屋に行けば――第三王子殿下キリシュエータは書類処理の鬼のようになっていた。

 本来であれば私室の居間でくつろいでいる頃合だと思うのにそこに姿はなく、続き部屋になっている執務室でひとり眼鏡をかけて不機嫌そうにもくもくとペンを走らせている。

しかもその手ときたらいつの間に怪我をしたのか、生成りの包帯が綺麗に巻かれていた。


「殿下、お怪我をなさったのですか?」

「少し切っただけだ」

 そっけない返事。

それ以上聞くなと示す言葉に眉を潜めたが、それじたいは後で侍従にでも聞けば良いだろうとティナンは切り替えた。


「……何していらっしゃるのですか?」

「仕事をしてはいけないか?」

「予定ではこの時間はすでにご就寝の準備だと思いますが? そんな風に根を詰めるような案件は無かったと存じます」

 体を休めることも仕事ですよ、とやんわりと言えば、キリシュエータはどこか冷ややかな空気をかもしながら「釣り書きを見ていただけだ」と返した。

「釣り書き」

 あまりにも意外な返答だ。

ペンを片手に釣り書き。

見合い相手を事務的に点検している主――つまりそういう姿だ。

「結婚話をすすめる気になったのですか?」

「なった。ああ。なった。

私は結婚して子供を三人作る。上から順番に女、女、男だ。年子で種馬のように毎年作る」


――何だか判らないが、壊れていた。


「そこでだ、ティナン」

「はい」

「お前も結婚しろ」


 ばしりと叩きつけられた言葉と、ついでとばかりに机の上にあった書類――おそらく釣り書きの一部を突きつけてきたキリシュエータに、ティナンは呆気にとられた。

「合同結婚式でもいいぞ。お前は今すぐに相手を見繕って来い」


ははははは、と何故かおかしなツタッカートで笑うキリシュエータが不気味すぎる。酒を飲んでいるのかとも思ったが、キリシュエータが酒でおかしなことをしたことは一度もないし、そも酒臭さも感じない。

そう、導き出される解答としてはキリシュエータは現在正常であるということだけ。

「結婚は未だ考えておりません。上の兄でさえ未だ独身ですし、早く身を固める必要は感じておりませんので」

「いいや。必要だ。

絶対に結婚したほうがいい。今すぐに」

……酒は飲んでいないにしても、何か厄介な薬でも飲んだのだろうか。それともおかしな宗教的なものにかぶれたか。ありえないと思いつつもそんな阿呆な考えがちらついてしまう。


――何より、キリシュエータはルディエラが好きなのではないかと思った矢先に、これはおかしい。

 勘違いだというには、長年の経験が違うと訴える。

いくら隠そうとしていたとしても、キリシュエータはルディエラに何らかの想いを抱いている筈だ。

 必死になって隠そうとすればするほどボロがでる人間なのは誰より近くにいた自分が一番良く知っている。

そのボロのおかげで相手の心情を導きやすい為、当人には指摘したことは無いが、間違いなくキリシュエータは嘘を貫き通せるタイプではない。

 少なくとも、ティナンには。


「私のことはともかく、突然ご自身が結婚について前向きになられたのは喜ばしい限りです」

 ちらりと覗き込んだ手元の釣り書きには、どうみても「どうでもいい」という評価しか書かれていないが。

「ああ、もしかしてどなたかに失恋しましたか?」

「――何の話だ」

「お心当たりが無いのであればお聞き流し下さい。

それより、どうせ仕事をなさるのであればきちんと仕事をしましょうか。南砦の方でおきている窃盗団に向ける人員ですが、他砦からの回答前ではございますが幾人か選抜しておきました」

 自分の隊の中でも優秀と思われる数名を抜粋し、如何でしょうか?と問いかけたティナンに、先ほどまで何故か壊れていたキリシュエータは眉を潜めて手を振った。


「なんだか良くない意図が見え隠れする」

「何をおっしゃいますか。

殿下も納得の優秀な人材ばかりをそろえたつもりです。良くない意図とは聞き捨てなりませんね」

「……ベイゼル以下、にんじんと親しい相手ばかりだな。

そのわりににんじんは選抜されていない」

 とんとんっと机を指先で叩きながら言うキリシュエータは真面目な表情を取り戻していた。


「もちろん、見習いはあくまでも見習い。

優秀な人材とは到底言いがたい。ですので今回は排除したのですが、私はおかしなことを言っておりますでしょうか?」

 そう言われてしまえば尤もだ。

だが、やけに静かに口元に笑みをたたえて言い切るティナンに、キリシュエータは苦いものを飲み下すように喉を上下させた。


「砦側からの返答はまだ来ていない。

考慮はするが――ティナン」

 公私の区別をきちんとつけろ。

そう告げたいのだが、キリシュエータはそのまま言葉を飲み込んだ。


最近、まさに公私の区別がついていないのは自分だろう。

ぐっと奥歯を噛み締め、全てを振り払うように首を振る。

――以前であればそれだけで色々なものを切り捨てて来れたというのに、今はべったりとこびりついて苦いのか甘いのか訳の判らないものが主張する。


恋……恋になどかかずらう程馬鹿らしい。

そう笑えればどんなにいいだろう。

苦しくて、苦しくて、悔しい。


***


 一本ティナンのキャビネットからくすねた酒を手に、ほくほくと自分の部屋でありルディエラの部屋でもある官舎の一室に戻ったベイゼルは陽気な口調で「たでーま」と口にした。


 ガチャリと開いた扉の向こう「よっ、せっ」と腹筋をしている小娘と目があった。


「……いつも暑苦しいね、おまえさん」


毎日の日課の為飽きる程に見ているが、酒を飲んで気分が良くなっている時にはちょっとやめていただきたい。一気に酔いが覚めるというものだ。

「ああ、副長。

お帰り、なさい」

「目上の人間に対しての礼節をわきまえて、せめて動作は止めて言いなさいよ」

 よっ、せっ、と腹筋にいそしみながらの台詞に苦言を向けると、その後三度ほど同じ動きを繰り返したルディ・アイギルことルディエラはばったりと背中を床に落とした。


「食べすぎと相まって、気持ちわるっ」

「吐くなよ! よしなさいよっ。冗談じゃないからなっ」

 慌てて窓辺に置かれている手洗い用の桶を引っつかむベイゼルに、ルディエラは「いやだなー、冗談ですよ。食べたものを吐き出すなんてそんな勿体ない」とへらへらと言ったものの、突然何を思ったのか「ふくちょー」と声音をかえた。


「なによ?」

 なんだかイヤな予感を覚えつつ、とりあえず先ほどかっさらってきた酒を自分の寝台の下に放り込んだベイゼルだ。

隊長室のようにキャビネットなどというこじゃれたものは存在しない。

 独身用の寮はそんなものなのだろう。

騎士団員という華々しい職業のわりに少しばかりお粗末だ。


「ぼく、足手まといにならないように頑張ります」

「あー、また何か嫌味でも言ってったのか、お前のにーちゃん」


はははっと笑ったベイゼルであったが、その後部屋の空気はぴたりと止まった。




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