馬車の前に飛び出してきたのは…
リドリー侯爵とセービン大司教の事は頭の痛い問題だったけれど、私は彼らの言いたい事にも一理あると思い、陛下に相談するのは大袈裟ではないかと思っていた。彼らの言う事は事実でもあり、確かに我がセネット家は聖女の末裔に相応しいとは言い難い情況なのだ。両親も妹も反省するでもなく、未だに自分達は悪くない、被害者だと言っていると聞く。そんな態度はここ王都にも伝わっているのだから、正直言ってフォローのしようもない。エリオット様が反省していると伝えられるだけに、余計に彼らの悪評が際立つのだろう。そうは思うのだけど…
「アレクシアよ、確かに由々しき事だ。この件はわしに任せて貰おう」
ラリー様はさっさと陛下に彼らの事を説明して陛下に投げてしまうと、陛下はそれを受けてしまわれた。別に今のところこれと言った被害もないし、不本意な噂は社交界の常だから、わざわざ陛下のお手を煩わせるのは…と思ったのだけど、ラリー様は彼らの私への態度がどうしても許せなかったらしい。そして弟思いの陛下はラリー様の言い分をもっともだと仰り、これは王家の威信にも関わる話だからと引く気がないのは明らかで…
「リドリー侯爵令嬢についても、民から苦情が上がっているのだよ。貴族ばかりを相手にして、平民には見向きもしないと。聖女はこの国の全ての者を慈しむ存在。それを忘れているのではないかと」
「そんな事が…」
「民は…メアリーの事を覚えていているんだ。彼女は貴族だったのに平民にも等しく優しかった、と。長い間民が望む聖女像を彼女が体現していたから、余計にそう感じるのだろう」
「メアリー様が…」
ラリー様の口からメアリー様の名が出て、私の心臓が小さく跳ねた。やってはいけない事をしたけれど、長い年月、彼女は民にとって本物の聖女だったのだと、その事実の重さを感じた。
「彼女がした事は許されないが、それでも未だに彼女を聖女と慕う者は多い。それに現聖女の選考でも平民の聖女が最後まで候補として残っていた。民はメアリーの代わりにと平民の聖女を押していたから、余計にリドリー侯爵令嬢への当たりがきついんだ」
なるほど、リドリー侯爵令嬢が民の前にあまり姿を現さないのはそう言う事情もあっての事かと合点がいった。あのプライドの高そうな彼女が、民と同じ目線に立つなど想像出来ないし、彼女も平民の聖女の方がよかったと言われるのは屈辱なのだろう。もっとも、そんな風に考えること自体、聖女としてどうなのかと思ってしまうのだけど…
「だが、リドリー侯爵令嬢は貧民院や孤児院への慰問はしているのでしょう?」
「そうだとは聞くが…どうじゃろうな」
「陛下?」
陛下の含みのある言い方が気になった。大聖女はその役目上、定期的に王都や地方の神殿や貧民街で奉仕活動をすると聞く。それは大聖女の力を示すものでもあり、権威を保つために重要と聞くけれど…
「神殿は長い間セネットの聖女との関りがなかったせいで、自らの立場を忘れている。それは王家の意向に反するのだが、それを伝えたところで受け入れる事はないだろう」
「でしょうね、セービン大司教の態度からも、神殿はセネットの聖女をただの飾りだと思っているようです」
ラリー様は私の力を知っているから、余計に腹立たしく思われるのかもしれない。
「シアの力はリドリー侯爵令嬢よりも上の筈なのに…」
「直接比べると言っても…力の差を証明するのは難しいじゃろうな」
確かに聖女の力は競い合うものではないし、数値で出るわけでもないからどちらが強いかなど証明のしようがない。陛下としてもこれと言った手がないご様子で、こんな風に煩わせてしまう事が申し訳なかった。
何とも言いようのない気分を抱えたまま王宮を後にした私は、車窓から王都の様子をぼんやりと眺めていた。ヘーゼルダインのタウンハウスは馬車で二十分ほどの場所にある。辺境伯は侯爵位に並ぶけれど、どの辺境伯も基本的に王家とは難しい関係なので、王宮から少し離れた場所に居を構えている。今はラリー様が養子に入ったから王家との関係は良好だけど、以前はかなり殺伐としていたと聞く。その影響もあって伯爵家や子爵家のタウンハウスの方が近いくらいなのだ。
「わ!」
「何だ?」
馬車の窓から外の景色を眺めていた私は、急に馬車が方向転換した衝撃でラリー様にぶつかってしまった。
「どうした?」
「は、はい、旦那様、きゅ、急に人が飛び出してきて…」
「何だと?シア、ここにいてくれ。様子を見てくる」
「え、ええ…」
どうやら人が飛び出して、それを避けようと馬車が急に方向転換をして停まったらしい。ラリー様が直ぐに外に出て様子を確認しに行き、私は馬車の窓からその様子を窺った。道の脇では灰色のローブのようなものを被った人が座り込んでいて、御者とラリー様、護衛騎士がその人の様子を確かめているようだった。随分小柄というか…子供のようにも見える。道を行き交う人が遠巻きにその様子を眺めているのが見えた。
「ラリー様、怪我は?」
「ああシア。どうやら子供が飛び出してきたらしい。今怪我がないか確認しているところだ」
「子供が?」
さすがに相手が子供では放っておくことも出来ないと、私は馬車から降りた。御者や護衛騎士は男性だから子供だと怖がってしまうかもしれないと思ったのもある。と、その時だった。
「い、痛ぇ……足が……足が痛ぇよ!」
最初は弱々しく聞こえた声だったけれど、最後には結構な大きさだった。
「どうしてくれるんだよ! こんな足じゃ、仕事に行けねぇだろうが!」
少し高めのよく通る声だったけれど、その声は随分と元気で張りがある様に聞こえた。
「怪我?」
「ああ、そうだよ! どうしよう! これじゃ仕事にならねぇ! こんなんじゃ、弟や妹にパンも買ってやれないじゃねぇか!」
物凄い剣幕で捲し立てられて思わずラリー様と顔を見合わせてしまった。でも、怪我をしているだけなら問題ないだろう。居合わせたのが私でよかったのかもしれない。




