隣国の怪我人と初めての雪
「ローズ、お腹空いていない?」
「絵本読もっか?」
姪が目を覚ました後のレアード王子は、甲斐甲斐しく姪の世話を焼いていた。彼にとって肉親だと思えるのはこの子しかいないのだと力なく笑う彼だったが、そこには今までのような皮肉めいたものは消えているように感じた。何て言うか…吹っ切れた…というのかしら…これまでの彼はどこか斜に構えている様な感じがしたが、今はそれがなくなっているように見えたのだ。
あれからレアード王子は、ロイ=マイヤーと名乗ることになった。マイヤーという苗字はヘーゼルダインではありふれたものの一つで、彼にはマイヤー男爵の庶子という殆ど平民の戸籍が用意された。平民でもいいんじゃないかとの声もあったけれど、立ち居振る舞いも知識もとても平民のそれではなかったため、一応貴族に連なる者となったのだ。
姪はアナベルという名からローズという、こちらもありふれた名に変わり、ロイの亡くなった妻との間に生まれた子とした。
記憶を失ったローズが気がかりだったけれど、そこはロイが甲斐甲斐しく世話を焼いて、少しずつローズも彼に懐いていった。記憶がないので不安がる事は多かったけれど、長い目で見れば記憶がない方が幸せかもしれない、と思うくらいには彼女の境遇は厳しかったと思う。辛すぎる記憶もそうだけど、王族の血を引いているというだけで危険なのだから仕方がない。
ただ…ロイもローズも、王族の証である紫の瞳を持っているので、そこが問題になった。最終的にはロイの両親を、隣国のその隣にあるアンザス国の出身という事で誤魔化す事にした。その国は紫の瞳の者が多いからだ。勿論、これで安全というわけではないけれど…こうでもしなければ生きていくことが難しいのが、今の彼らの立場だった。
「ラリー様、レ…ロイたちはこのままヘーゼルダインに?」
「それに関してはこれからになるだろうね。このままここで暮らすのも、中々難しいから」
「そう、ですよね」
そうなのだ。死んだ事にして仮の戸籍を作っても、やはりあの隣国の王族特有の目では、それだけで身元がわかってしまう可能性があった。王子だけならどうにでもなるのだろうけど、今はローズが一緒だ。単身であれば逃げられても、子ども連れとなれば難しいだろう。
それに…あの子の事を思うと、ここはあまりいい環境とは言えなかった。隣国の近くにいるだけで危険なのだ。あの子が伸び伸びと育つなら、ここから遠い場所の方がずっと過ごしやすいだろうと思う。
「あの子の事を思うなら、アンザス国に行くのが一番だろうね」
「アンザスですか」
「ああ、あの国では紫の瞳はありふれた色だから、隣国の王族と疑われる可能性は低くなる。我が国と国交はないし、隣国を避けて行くとなるとかなりの遠回りだが…あの子を育てる事を一番に考えるなら、あの国がいいと思う」
「そうなのですね」
「ただ…ロイがどう考えているかはまた別だ。アンザスに行くのも危険だからね」
そう、アンザス国に行くとなると、かなりの距離を旅する事になる。隣国を通れば早いけれど、迂回するとなれば数か月はかかるだろう。子連れの旅も十分に危険で、どちらが危険かと天秤にかけても、あまり変わらないような気がした。
「どちらにしても、体調が戻ってからになるだろう。どのみち雪で動く事も難しい。今は養生して、後の事は春になってからだね」
確かにラリー様の仰る通りだった。ヘーゼルダインは冬は深い雪に覆われて、それはこの周辺はどこも同じだった。アンガスに向かうにしても、今は雪で動けそうもないし、ロイやローズの体力だってまだまだ万全には程遠いのだ。隣国へ彼らの分と偽った遺骨を贈った後、相手の出方を見てからでもいいかもしれない。
王子たちと一緒に居た男はジョナス=エルガーと言い、隣国の男爵家の出だった。家族を人質にされていると言ったが、それが本当なのかを調べる手がないため、彼にはレアード王子もアナベルも重傷で、未だに予断を許さない状況だと伝えてある。ラリー様はどうやら、二人が本当に亡くなったと伝えて、別人の遺骨を渡すおつもりのようだった。
こうしておけば、隣国も異議を申し立てるのは難しいだろう。ラリー様は王弟で、その発言は一介の領主に留まらないからだ。そうなった上で動いた方が、もしかすると安全かもしれない。どちらにしても、全ては春が来てからになるだろう。
「うわぁ…」
それから数日後、朝起きたら屋敷の周りが白一色に覆われていた。今年一番の雪が積もったのだ。王都では雪が降る事は滅多になく、私は雪をこんなにも間近で見たのは初めてだった。
「本当に…真っ白なのですね…」
「ああ、シアは雪は初めてだったかな」
「ええ、王都は降りませんでしたから…」
初めての雪は、想像以上に印象が強かった。山だけではなく、野も畑も屋敷も小屋も、全てが白に埋め尽くされていた。空も今は暗い白に覆われていて、雪が舞う様子はこの世とは思えないほど不思議な印象だった。世界がこんなにも一つの色に染まるなんて…夜とはまた違う意味で神秘的ですらあった。ずっと眺めていても見飽きない…そんな景色だった。
「ああでも、冷え込むから気を付けて。雪を眺める時はしっかり暖かい恰好にしないと」
そう言って構い倒すのは、今やユーニスではなくラリー様だ。今も窓際で雪を眺めている私を、後ろから抱き込んで、時々頭や耳にキスを繰り返してくるのだ。さすがに少しは慣れたけれど…
「シア、寒い?耳が赤くなってきたよ」
それはラリー様がキスしてくるからです!と思ったが、さすがに言えなかった。だって、絶対にわざとやっているのだから。しかも侍女やユーニスがいるのに、だ。
前はあんなに知らん顔していたのに…と変わり身の早さにちょっと納得がいかなかったけれど、それを指摘するとラリー様が気に病んで益々過保護が増しそうな気がしたので言えなかった。




