王都での生活 ◆
「ユーニス、ちょっといいか?」
「…何でしょうか?」
寝込んでしまわれたアレクシア様の側を離れず、額に置いたタオルを自ら交換していたローレンス様に声をかけられて、私は片付けの手を止めた。既に薄い闇が広がり始め、いつもなら夕食の準備に追われる頃だが、今日はそれどころではなかった。
私が敬愛し、唯一とお慕いするアレクシア様が寝込んでしまわれたのだ。今のところ目を覚まされる気配も、熱が下がる様子もみられず、気を揉むしか出来ないのが心苦しい。もし私にアレクシア様のようなお力があったら、何を置いても癒して差し上げるのに…
って、そう言えば呼ばれていたわね。さすがに雇い主相手に知らん顔も出来ない。私は雇い主への最低限の礼節を守るべく、手を止めて側へと歩み寄った。
「シアの事だが…彼女は王都では…どんな生活をしていたんだ?」
「アレクシア様の?」
「ああ…ユーニスは…知っていたのか?彼女が…冬に暖すら与えられていなかったと…」
ああ、ローレンス様は先ほどのアレクシア様の言葉に驚かれていたっけ。そう…あの言葉にはローレンス様だけでなく、メイナードやモリスン夫人、お医者様ですら驚きを隠せなかった。アレクシア様もいつもならそんな事を仰ったりはしないけれど…多分、熱のせいでそこまで気が回らなかったのでしょう。
「…そうですわね。私が知っているのはアレクシア様付になって以降の事ですが…」
そうして私は、私が覚えている限りの事をローレンス様にお話しした。あの家では食事はいつも一人だけ自室で摂らされ、家族の団らんに入れなかった事。服や宝飾品も体裁を整える最低限しか与えられなかった事。専属の侍女も付けられず、身の回りの事は自分でしなければならなかった事。観劇や買い物なども殆ど行った事がなかった事。アレクシア様を庇った使用人は首にされた事。王都での噂の殆どがメイベル様と夫人がアレクシア様を貶めようと広めていた事。体調が悪くなっても医者も呼んで貰えず、一人で耐えるしかなかった事…
他にもたくさんあるけれど…あり過ぎて一晩あっても語り尽くせないほどだわ。私がお側についてからの短い期間でこれなのだから、きっと他にもいろいろとお辛い事がおありだった筈だ。
そして…話している間に私までイライラしてきた…やっぱりあいつら全員、一度痛い目に遭わせてやりたかった…!
「…そんなに…」
私の話を聞いたローレンス様にはきっと、想像以上だったのだろう。話が進むにつれて表情が険しくなっていくのが目に見えて、私と同じように憤っているのが見て取れたけれど…その反応はいい傾向だと思った。私と同じようにあいつらに憤りを感じてくれるという事は、アレクシア様を大切に思って下さっている証拠でもあるもの。まぁ、この人もアレクシア様を泣かせた一人ではあるのだけど…
「…彼らへの罰は…軽すぎたな…」
「私も…僭越ながらそう思いますわ」
口惜しそうにそう仰るローレンス様に、私は僅かだが溜飲が下がる思いがした。そう、陛下の下された罰は貴族の身分を剥奪の上、生涯監視付きの修道院送りで、確かに貴族としては重いものだったけれど…これまでのアレクシア様への仕打ちを思えば、私は軽すぎて不満だったのだ。今更陛下の下された決断に異を唱える事など出来ないけれど…同じように思ってくれるなら幸いだわ。
苦しそうに眠るアレクシア様を見やりながら、眉間のしわを一層深く刻んだローレンス様は、アレクシア様の置かれていた立場をはっきりとはご存じなかったのだろう。でもそれは仕方がない部分もある。王子の婚約者となった娘を、実の親が蔑ろにするなど通常では考えられないからだ。一般的に王子の婚約者となれば、実家が権力を得る事に繋がるから、それこそ下にも置かぬ丁重さで大切にする。それに…蔑ろにすれば王子妃になってから報復される可能性もある。貴族にとって王家に睨まれる事以上の不幸はないも同然だから、普通ならこんな事が起こる筈はないのだ。
だが…あのクズな家族は、アレクシア様のお優しい性格に付け入るように蔑ろにしてきた。アレクシア様が大人しく、我慢強くて真面目な性格でいらっしゃるのも、この場合は仇になった。本当に、実態を知った私は何度あの家族を抹殺してやろうと思った事か…!いや、今だって出来る事ならこれまでアレクシア様が受けた仕打ちを百倍にして返してやりたいと思っているけれど。
「ローレンス様、どうか…アレクシア様をお守りください」
不思議とそんな言葉が自分から出てきて、言ってから私の方が驚いてしまった。でも、これは紛れもない私の本心だった。悔しいけれど…私では、アレクシア様をお守りするのは難しいのだ。もし私が男だったら…と何度思っただろう。私が男だったら、騎士として名を立ててアレクシア様をあの家からお救いしたいと思っていた。
…でも、聖女の力をお持ちで、侯爵家に生まれたアレクシア様には、伯爵家の身分では守るには足りないのだ。私がどんなに騎士として出世しても、アレクシア様の婿になる事は出来ないし、かと言って駆け落ちなどかえって苦労をおかけしてしまうのは目に見えていた。
一方のローレンス様も私がそんな事を言うとは思わなかったようで、僅かに困惑の交じった表情で私を見ていた。それもそうでしょうね、私はずっと厳しい視線しか向けていなかったのだから。
「…ユーニスにそう言われるとは思わなかった…」
「私もですわ。でも…ローレンス様以上にアレクシア様をお守り出来る者などおりませんから。それに…アレクシア様がローレンス様の側にいる事を望んでいらっしゃる以上、仕方ありませんわ」
そう、不敬かもしれないけれど、それが私の本心だった。悔しいけれどアレクシア様の守りとしてこの人以上の適任者はいなかった。何よりもアレクシア様がお慕いしているのだからしょうがない。これまでの事を思えばこんな人に…と口惜しい思いは残るけれど、侍女としても姉としても、アレクシア様の初めての恋を応援してあげたかった。それに…アレクシア様が人並みの生活を送れるようになったのも、この人のお陰なのだ。
「でも…アレクシア様を泣かせた時には…」
「…怖いね、ユーニス。でも…約束を違えるつもりはないよ」
「覚えていてくださってありがとうございます」
そう、私は王妃様の侍女を辞退し、ここで雇って貰えるよう交渉した時に、彼ととある約束していたのだ。それは…婚姻が成立したと知った時に遡った。




