辺境伯と国王◆
風の中に冬の気配が交じるようになった日の午後、私は屋敷の庭の一角にある温室にシアを誘った。ここは義父上の母君が建てた温室で、その後も領主の妻達が大切に守って来たものだという。花や緑など自然を好むシアもこの場所を大変気に入っていて、寒さが増し始めた今の季節は特に訪れる事が増えた。
アレクシアとの婚姻が成立してからの私は、時間が許す限り彼女と過ごす生活に変わっていた。アレクシアとの関係を修復するようにと、レックスやロバートどころか義父上からも再三言われ、執務室から追い出されたのだ。義父上からは、全てを一人で抱え込むな、先を見据えれば人を育てる事も大切な仕事だと言われてしまえば、反論の余地もなかった。
「ラ、ラリー様、自分で食べられますから…っ」
私が口元まで運んだ菓子を前に顔を赤く染め、遠慮がちに抗議するのは、既に妻になったアレクシアだ。これまでは彼女を遠ざける事ばかり考えていたが、婚姻の成立と兄王の意図を知った私は、これまでの考えを捨てる事にした。
シアとの婚約を本格的に解消しようと思ったのは、シアの暗殺命令が隣国から出ていると聞かされたからだ。それを知った私はこの地に戻ってすぐ、兄でもある国王陛下に婚約解消を強く求め、直ぐにでも王都に戻れるように手配して欲しいと頼んだ。命じたのが隣国の王子となれば守るのは容易ではなく、せめて隣国から遠く警備も厳重な王都に戻したかったのだ。物理的に離れればそれだけ危険は弱まるし、王都なら隣国の暗殺者も動きにくいのは明白だからだ。
実際、私もこの地に来てから何度も刺客に襲われている。もう数える気が失せるほどに。シアがここに来て直ぐに治してくれた古傷も、刺客によるものだった。武の心得がある私なら防ぐ事も出来るが、シアにそれを求めるのは難しい。今のところはロバート達のお陰で事なきを得ているが、それがこの先も続く保証はないのだ。
だが、兄王の答えは否だった。危険ならラリーが守ればいいじゃないかと言うばかりで、どうしてもと言うなら王都から精鋭の騎士をシアの護衛として派遣すると言ってきた。
兄王の言葉はヘーゼルダインの現実を知らない、まさに王都にいる人間のそれだった。王都から遠く離れたこの地の危機感を、安寧な王都にいる人間が理解するのは難しい。かつての私自身がそうだったからだ。暗殺やテロが日常茶飯事だと言ったところで、実際にこの地に身を置かないと実感できないだろう。
王都から精鋭の騎士を派遣するという陛下の提案を私は断った。彼らが来たところで誠心誠意シアに仕える保証はなかったからだ。逆に辺境に追いやられたと不満を抱く可能性もあったし、シアの王都での評判を思うととても任せる事など出来なかった。それならロバートに任せた方が何倍もマシだ。
セネットの聖女は、国王の盟友であり後見だと言えば聞こえはいいが、国王にとって唯一自分に膝を折らない存在でもある。良識ある王ならその理由を受け入れられても、そうでない者も一定数いて、彼らにとっては気に食わない存在でしかない。また、王家の権威を高めるためにその稀有な力を自分たちのものにしてしまいたいと思うのは不思議な事ではないだろう。
兄王は歴代の国王の悲願でもある、セネットの力を王家に取り入れる事を優先した。シアの安全を最優先に考えて欲しいとの私の要請に対し、今回の婚姻証明書と共に届いた文に書かれていたのは、シアとの間に子を成して欲しいという、お願いの体をした命令だった。私とシアの子の間に聖女の力を持つか、青銀髪と紫の瞳を持つ娘が生まれたら、その子を王太子の子の妻に…と考えているのだろう。
だが、私の考えは兄王とは違った。この地にろくな護衛も付けずに来たシアの第一印象は貧相の一言に尽き、本当に侯爵家の令嬢かと疑うほどだった。髪や肌には艶がなく、目の下にはクマがくっきりと現れ、酷く痩せていた。それでいて所作は美しく、不安を必死で押し込めながら背を正す姿に、王都に流れている噂が誤りである事を悟った。
領地の影に調べさせたところ、彼女は両親や妹に虐待に近い扱いを受け、婚約者だったエリオットからも邪険に扱われて、彼の仕事を押し付けられていたという。
「どうせ結婚するならおじ様がいいわ」
「ギルおじ様のお嫁さんになるのが夢だったんですもの」
笑みを浮かべてそう告げた彼女は、まだ本当の恋を知らない子どもだった。義父上も、実父に邪険にされたせいで自分に憧れを抱いているのだろうと仰っていたが、それが彼女のこれまでの生活を物語っているように見えた。
だからこそ、この婚約を解消しようと動いたのだ。誰にも頼れず、甘える事も出来ずに生きてきた彼女に、これからは穏やかで温かい人生をと思ったから。年が離れていて荒事を好む自分と火種の尽きないこの地で生きるよりは、王都で年が近く有能で穏やかな気質の者と一緒になった方が幸せになれると思ったのだ。
だが、事は私の思い通りには運ばなかった。隣国や独立派の反乱に気を取られている間に、兄王はさっさと婚姻を成立させてしまった。隣国に嫁ぐのを阻止するためと言われてしまえば、私がそれ以上強く言えないと見越したのだろう。いや、元より兄は婚約解消など考えてもいなかったのだ。




