婚姻成立から一夜明けて…
「アレクシア様、少しは腫れが引きましたか?」
そう言って冷えたタオルを持ってきてくれたのは、私の侍女のユーニスだった。手にした盆の上には冷やしたタオルと水差し、コップなどが乗っていたが、それらを手にしても所作が綺麗なのはさすがだ。
「…ありがとう、ユーニス」
「いえ、いいのですけどね。アレクシア様がちゃんと朴念…ローレンス様とお話出来たのでしたら」
「…う、うん…ありがとう。もう、大丈夫だから…」
「そうですか?ちゃんと自分のお気持ちは伝えられたのですね?」
「え、ええ…」
何だか言われている事が恥ずかしくて、声が小さくなってしまったけれど、幸いにも目にタオルを当てていたから表情はわからなかったと思う。
…実を言うと、ラリー様に私の気持ちは伝えていなかった。昨日は婚姻が成立していた事から始まって、ラリー様の事情やしようとなさっていた事、メアリー様の事などで許容量いっぱいだったから、自分の気持ちを伝えるどころじゃなかったのだ。何と言っても隣国に行かなくてもよくなった事と、メアリー様に気持ちがないと言われた安堵感が大きすぎて、それだけで気が済んでしまったのもある。
それに…もう結婚してしまったのだから、私の気持ちをわざわざ伝える必要があるだろうか…との思いもあった。恥ずかしいし、これからはずっと一緒なのだから改まって言わなくてもいい気がした。言ってしまって今の関係が崩れる不安も大きかったと思う。ラリー様と結婚出来ただけでも十二分に満足だから、私の気持ちを伝えて微妙な空気になるのが怖かった。
「まぁ、ローレンス様との婚姻も無事に成立しましたし、これで一安心ですけれど…でも、昨日は驚きましたわ。ローレンス様がアレクシア様を抱いて部屋にこられたのですもの」
「あ、あれは…」
「何事かと思ったら、アレクシア様は泣いたまま眠っているし…アレクシア様に無体な事を強いたのでは…と心配しましたわ」
「…う…」
「まさか、お話をしただけで泣いて眠ってしまわれたとは思いませんでした」
「も、もう…言わないでよ、ユーニスったら…」
そうなのだ、昨日ラリー様の部屋でお話をしていた後、隣国やメアリー様の不安がなくなった私は泣いてしまったのだけれど…あろう事かそのまま眠ってしまったのだ。朝、目が覚めてその事をユーニスに聞いた私は、あまりの恥ずかしさに悶絶して、穴があったら入りたい気分だった。子どもじゃあるまいし、泣いたまま寝てしまうなんて、ラリー様もきっと呆れてしまわれただろう…それでなくても子どもっぽいと思われているのに…
そのせいで朝起きたら目は腫れて酷い事になっているし、着替えもせずそのままだったため、朝から湯浴みをして、今は目の腫れを少しでも抑えようと冷やしているのだ。こういう時、自分に聖女の力が使えないのが不便だ…それに、ラリー様にどんな顔をして会えばいいのだろう…今の私はそれが心配で気が重かった。
「でも、よかったですわね」
「え?」
「隣国の話がなくなった事ですわ。昨日までのアレクシア様は、戦争に行く騎士よりも青い顔をされて、今にも倒れそうでしたからね」
「そ、そうだったかしら?」
「ええ。ここに来た時なんかとは比べものにならないほど悲壮感を背負っておいででした」
「そんな…」
そこまで酷かっただろうかと思う一方、またユーニスが大げさに言っているのではないかと私は思った。ユーニスは私の事になると表現が過剰になるのだ。私を思っての事だとは思うのだけど、必要以上に大げさに言うのはやめて欲しい…
「それで、ローレンス様はどういうおつもりでいらしたのです?あの偽聖女の事もお聞きになられましたか?」
「え、ええ…何と言うか、その…ラリー様とは何もなかったみたいで…」
「そうでしょうね。ローレンス様のこれまでのお相手の中でも、あの偽聖女は深い仲ではなかったと聞いておりますし」
「ええ?」
ユーニスの言葉に、私は目に当てていたタオルを外して側に立つユーノスを見上げたが、ユーニスは平然とコップを片付けていた。
「ね、ねぇ、ユーニス…その話って…」
「ああ、王妃様からのお手紙ですわ」
「ええっ!じゃ…ユーニス、もしかして…最初から知って…」
「ええ、まぁ。アレクシア様をお守りするためには、ローレンス様などの身辺や過去もある程度は把握しておきませんと仕事になりませんから」
「そんな…」
それじゃ…私がメアリー様の事で悶々としていたのに、ユーニスは知っていたって事?そんな…
「…知っていたなら…教えて欲しかったわ…」
そうすれば、こんな風に泣く事もなく、悩まずに済んだのに…そりゃあ、隣国の事はどうしようもなかったけど…
「ご存じだったら、アレクシア様は未だにご自身の気持ちに気付く事なくお過ごしだったでしょうね」
「…私の気持ちって…」
「アレクシア様を放っておいたら、いつまで経ってもお二人の仲が進展しませんもの。さすがに私がローレンス様を焚きつける訳にもいきませんし…かといって周りもあてにならないし。となれば、アレクシア様に自覚して頂きませんと」
「自覚って…」
「偽聖女と何もなかったとご存じだったら、アレクシア様は未だにローレンス様の事を兄か父親の代わりくらいに思っていたのではありませんか?」
「そんな事は…」
「ないとは言わせませんわよ。アレクシア様はその手の事は無意識に避けていらっしゃるでしょう?」
断言されてしまって、私は言葉を返せなかった。そんな事はない…と思うけど…はっきり否定も出来なかった。ユーニスにそう言われてしまえば、そうなのかと言う気になってしまう自分がいた。確かに私は恋愛事に限らず、誰かと必要以上に親しくなるのが怖かった。信じて裏切られる事への恐れは、今もまだ私の奥底に残っているから。
「そんなアレクシア様に恋心を自覚させるのは至難の業ですし、どうしようかと私も困っていたのですが…偽聖女がいいスパイスになってくれましたわ」
「スパイスって…」
スパイスと言うより劇薬じゃないかと思った私だったけど…にこやかに、艶やかにそう微笑むユーニスに、私は一生勝てる気がしなかった。




